寺田俊郎先生と考える「哲学する」ってどういうこと?(前編) 哲学カルチャーマガジン『ニューQ』発売中!

近頃「哲学」がブームになりつつあります。書店の話題本コーナーには、哲学関係の本が数多く並ぶようになってきました。この雑誌を手にとったあなたもきっと「哲学」に興味があるはず(ですよね?)。

ソクラテスの時代から2400年以上経ってもなお、「哲学」は私たちの心を離しません。しかし、そもそも「哲学」とは一体何なのでしょうか?「哲学的だね」なんて言ったりするけれど、「哲学的」ってどういうことなのでしょうか?

Googleで検索してみても、答えはすぐに見つからないようです。そこで「哲学とは何か?」を探究しに、いざ哲学研究者の元へ!編集部と哲学研究者の対談をお届けします。(編集部 今井)

このインタビューが掲載されている『ニューQ Issue01 新しい問い号』は、全国の書店およびAmazonでお買い求めいただけます。


「哲学する」ってどういうこと?

編集長・瀬尾(以下、瀬尾) 自分は哲学初心者なのですが、哲学が専門の人たちと一緒に哲学の雑誌を作ったり、哲学対話の手法を使ったワークショップをやったりしているんです。そうすると、「それはちょっと哲学的じゃないかも」とか「もうちょっと哲学的に深めてみましょう」なんて指摘されることがあって、いろいろ考えているうちに「哲学的である」とはどういうことなのか分からなくなってしまいました。それで哲学科出身の今井さんに聞いてみたら、今井さんも分からないって言い出して…。

編集部・今井(以下、今井) 最近哲学がちょっとしたブームで、タイトルに「哲学」とついた雑誌や本がたくさん出版されていますが、哲学史や哲学用語を解説したり、「あなたの悩みにニーチェならこう答えます」みたいに哲学者の思想を紹介したりするものが多いんです。哲学史や哲学者そのものがコンテンツになっている本が「哲学の本」だというのは分かりやすいのですけれど、『ニューQ』は「私たち自身が哲学すること」の面白さを追求したい。でも「哲学する」って実際には何をすることなのか、どうあることが「哲学的」なのか。うまく言葉にできないんです。

寺田 俊郎教授(以下、寺田) 確かに正面から問われると、僕も考え込んでしまいます(笑)

瀬尾 哲学は問いを見つけるものだという理解を何となく持っていたので、『ニューQ』のサブタイトルは「新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン」にしました。でも、そもそも問いを立てることって、どういうふうに哲学と関係しているのでしょう?

寺田 問いを立てることは哲学が始まるための必要条件ですよね。でも、問いを立てたからといって必ず哲学的になるとは限らない。“How”の問い、つまり「どのようにして」と特定の目的のもとで手段を問おうとすると、哲学の問いにはならない場合が多い。もちろんそこから哲学の問いに発展することはありますけどね。

哲学的な人はGoogleで検索しない?

寺田 “How”ではなく“What”や“Why”の問いでも、Googleで調べたり辞書を引いたりしたら答えが分かるような問いは、哲学の問いではないですね。

今井 確かに「東京駅まではどのように行けるか?」とか「広辞苑に載っている一番画数の多い熟語は何か?」なんて訊かれても、哲学的な問いだとは思いません。そういう問いって決まった答えがすでにあるわけですから、私が答えを考える必要がないんですよね。クイズだったら話は別ですけれど。

瀬尾 ということは、答えるために自分で考える必要がある問いが「哲学的な問い」なのでしょうか?もしそうなら、問いがいくら哲学的でも、答えの見つけ方が哲学的でないということもある気がしてきました。自分は割と実利主義者なので、検索して分かることは早い段階で一度分かっておいた方がいいだろうと思って何でもすぐに検索しちゃうんですけれど、やっぱり哲学者は検索なんてしないんですかね?

寺田 Googleで調べたら答えが分かりそうなことは僕も普通に調べちゃうけど、どうなんだろう、やっぱり何でも調べる前にちょっと考えた方がいいのかな?そういえば昔、今井さんに聞いた話だと思うけど、哲学科の講義で真理とは何かという話題になったとき、授業に出ていた他学科の学生が急にスマートフォンを出して「真理」を調べ出してびっくりしたって言っていたよね。それを聞いたときは笑ってしまうと同時に、ちょっと考え込んでしまいました。

今井 そんなことありましたね。あのときは「知恵袋で答え見つけちゃうの?!」って驚いたんです。

瀬尾 「Googleにこう書いてありましたよ」って返されると、その答え方は哲学的じゃないなって感じるんですけれど、一度暫定的な答えを知っておいた上で議論をするぞという態度だったら、哲学的になりそうな気がするんですよね。

今井 「真理とは何か」なんてひとりで一から考えるのは大変なので、一度「真理 定義」とかで検索してみて、知恵袋の回答に「ふ~ん」としてみてから自分で考え始めることはできますよね。まず足がかりを得る感じで。

寺田 それはもちろんできると思います。ただ、最初の「Googleで調べてみよう」ということそれ自体は哲学的ではない。そして往々にして、検索して答えらしいものが出てきたら、それ以上考えるのをやめてしまいますよね。

瀬尾 ビジネス書コーナーによく並んでいるような、答えがたくさん書いてある哲学名言集を読んでみると、今の自分の問題を解決するのに役立ちそうとは思いつつ、読んでいてもあまり哲学的にはなれないのかなと感じるんです。

寺田 Googleで調べるという行為自体が哲学的ではないように、哲学者の名言をたくさん知っても、そのあと「自分で考え始める」ということがなければ本当の意味で哲学的にはなれないということでしょうね。

今井 世の中にはすでにある答えに頼ればいいことと、自分で答えを考える必要があることがあって、「哲学の問い」や「哲学的な態度」というのは差し当たり後者の方に関わっていそうですね。どこまで頼って良くて、どこからは自分で考えなきゃいけないか線引きをするのは難しいですけれど。

「読む哲」と「する哲」

瀬尾 哲学には、ひたすら昔の本を読んで物知りになるというイメージがあったのですが、哲学対話などの実践活動があることを知ると、自分で思索を深めていくような哲学のやり方もあるということに気づきます。きっと「哲学する」というアクティビティには、いろいろなバリエーションがあるんですよね。

自分は音楽が好きなのでジャズを例にすると、「ジャズをやってる」と言うと「それは聴く方?それとも演奏する方?」と聞かれることがあるんです。曲を聴いて評論文を書く人がいたり、特に普段は全然ジャズなんて聴かないけれど、即興のノリがジャズっぽい人を「あいつスイングしてるよね」なんて言ったりすることもある。哲学にはそういう一般的な認知がないというか、「哲学する」という行為がどんなものなのかの世間的な理解が定まっていないのではないかと気づいたのですが、いかがでしょうか?

寺田 確かに「難解な本を読む=哲学」というイメージを持っている人は多くて、それ以外にもいろいろあるはずの哲学的な活動ってまだそんなに認知されてないんじゃないかな。

今井 「哲学やってます」って言っても、「読む人?する人?」とは聞かれないですよね。

瀬尾 「読むのみです!」っていう人がいてもちょっと…。

今井 「読む哲」みたいな(笑)

瀬尾 最近将棋の世界で、「見る将」という将棋を指さずに試合を見るだけという楽しみ方が流行っているんです。うちの妻も「見る将」で、「藤井七段すごい!」と毎回試合を見て解説も聞いてるのに、自分では指さないんです。

今井 将棋における「見る将」が哲学における「読む哲」だとすると、ひたすら本を読んで知識を蓄えるけれど、自分で考えを深めたり思想を確立したりはしないという感じでしょうか。

寺田 「見る将」なんてあるんだ、楽しそうですねえ。「読む哲」は…楽しいかなあ?

瀬尾 哲学書を読んでいるだけでも発見はありますからね。発見によって自分の生き方が変わる可能性もあるし。映画だって、みんな「観る映」じゃないですか。「撮る映」って相当レアですよね。

寺田 なるほど、面白いですね。「撮る映」はかなりハードルが高いですよね。「指す将」は誰でもできるけど、本当に強くなるのはハードルが高そうですね。

瀬尾 上手にならなくても楽しいという人がいる一方で、上手くならないと楽しめない人もいますよね。哲学の対話も、すごくレベルの高い最先端のことを考えて対話するのはもちろん面白そうなのですが、そこまでレベルは上がらなくても、いろんな人たちと一緒に対話できること自体が楽しいということもあって、様々な価値の持ち方がありますよね。

寺田 そうすると、「する哲」はハードルが低そうですよね。いろんなやり方や価値の見出し方があるので、その点で間口が広いというか、敷居が低いというか。

「読む哲」をしていたら、「する哲」をしたくなるはずだと思うんですよね。「する哲」の方が間口が広くて敷居が低いので始めやすそうなものだけれど、そんなに認知されていないから、始まらない場合も多いのかな?

瀬尾 これまでの対話を通して、『ニューQ』は「する哲」の入門的なポジションを目指しているのだと気がつきました。「この人もしかして哲学してるかも」という人に「それ哲学かもしれません」と話を聞きにいくイメージです。いろんな「する哲」を見つけて、その面白さをポップに伝えたいんです。

読んだだけだと分からないことが多い

瀬尾 ただ「読む哲」をやりこんで偉大な人の思想に触れすぎると、「自分が哲学をするなんて…」と思ってしまうことがありそうです。将棋だったら「藤井七段がいるのに自分が将棋する意味ある?」みたいな。

今井 「これまでの哲学者がもう十分考えてるじゃん」と(笑)

寺田 それはあるかもしれないね。

今井 そうだとすると、真理をGoogleで検索した人の気持ちも分かります。自分で考えるくらいだったら「カント 自由」とか検索して、「カントはこう考えました」って出た結果に納得した方がいいということですよね。すでにある答えに頼った方が良いという判断です。

寺田 でもそれで良いとは言えそうにない、ってところから考えてみますか?

瀬尾 体験ベースの知識はリテラシーに影響すると思うので、その意味で「する哲」を勧めたいです。例えば、自分で料理をする人の方が、お店で出される料理の味や工夫が分かる。

今井 「する哲」をすることで「読む哲」が楽しくなるから、「する哲」をしようという誘い方ですね。

寺田 それはもうほとんどの分野に言えることでしょうね。実際に自分でやってみたこと、経験のあることの方が見ていてより楽しい。

今ひとつ思いついたんですけれど、「見る将」は見たら分かるんですよね、きっと。

今井 分かるっていうのは、「この指し手面白いなあ」ということがですか?

寺田 うん、対局を見てそこで何が行われているかが分かる。でも「読む哲」は読んだだけだと分からないことが多いような気がする。

瀬尾 どういった違いなんでしょう?

寺田 「読む哲」していろいろな考え方を知って、そのプロセスなんかも辿ってみて、「あ、いい考えだな」とか「これ僕に合ってる考えだな」と選ぶことはできるかもしれないけれど、そこで論じられていることやそこで言われていることって、一度は同種の問題を自分でも考えたことがないと、そもそもそれがどういう意味をもった問いであり、その思考のプロセスが一体どうしてこんなことになっているのか、本当には分からないのではないかと思うんです。だから文字通りただ読んでいるだけだと面白くないんじゃないかな。

今井 なるほど。そもそも自分でも「する哲」したことがなければ面白さが分からないので、「読む哲」にはなれないはずだということですね。

自分の生き方をめぐる問い

瀬尾 「これは意味のあることかもしれない」と思って、難解なものを頑張って読み続けること自体にちょっとした快楽がある気がして。

今井 それは修行みたいなものとしてですかね?

瀬尾 そうそう。割と自分は哲学をストイシズムみたいなものだと思ってたんです。

寺田 そういう楽しみ方も確かにあるね。哲学ファンと呼ばれる人たちの中には、それを楽しむファンってたぶんいそうですね。分からなくても、繰り返し読んでいるうちに何だか分かってきた気がするという快がある。ただ、難解な書を修行のつもりで読む人はまだマシなんだけれど、難解であること自体に価値を感じている人もいる気がするんですよね。僕は、それは倒錯していると思うんです。

瀬尾 確かに、ドゥルーズとかデリダとか、ちょっと難しめな哲学者の著作を頑張って読むのがかっこいいと自分も思ってました。

例えば現代音楽も、分からないと思いながら聴くんですけれど、何度も聴いていると何かを掴めたかもと思うことがある。難しい問題を前にして、それをして何が得られるかは分からないんですけれど、とにかく抗うのが楽しいみたいな、滝行のような感じですね。

今井 なるほど…。確かにその喜びはなんとなく理解できます。

寺田 ただ、その快は往往にしてやはり権威に支えられてると思うんですね。例えばデリダやドゥルーズじゃないとダメで、どこの誰が書いたかも分からないただ難解なテキストだったら誰も読もうと思わないわけですよ。それは音楽でもそうだと思います。特に最近の芸術論の中には、芸術の権威が芸術だと認めたものが芸術なんだっていう考え方がありますよね。芸術の権威が認めた芸術、しかも難解なものを頑張って繰り返し聴いているうちになんとなく分かったような気になって、「芸術とされるものを自分は理解できるんだ」と思う。なんだかそういう喜びになっている気がしません?

今井 そういうゲームなのではないかと思います。自分にはよく分からないけれど、とにかく権威によって定められたルールがあって、ゲームをやっているうちになんとなくルールが掴めてくる。ルール自体を疑ったり問い直したりはしないけれど、とりあえずゲームに参加できていることが楽しいということはよくあると思います。

瀬尾 でもそのルールをつくっているのは、アートだったらアート市場であったり評論家なわけじゃないですか。評論家は少なくともある程度分かっている人たちでしょう?最終的にルールを理解できるようになることは、結局アートを分かってくることになるのだと思います。哲学でも、分からないながらも頑張ってドゥルーズを読み続けて、批評家の説明を聞くことで︑理解が深まっていくと思うんです。

今井 ドゥルーズが書いた難解な本を読み続けてなんとなくドゥルーズが分かってくるというのと、有名でもなんでもない人が書いた難解な本を読み続けたらなんとなく分かってくるというのは同じことですよね。それなのに、なぜドゥルーズが書いたもののほうが良いかと言うと、「ドゥルーズはすごい」という風潮が先にあるからです。

瀬尾 なるほど。

今井 ただ、それ自体は悪いことではない気がします。哲学書だって、多くの人が価値を見出したものだけが残るべくして残ってきたわけで、みんなが「これはすごいよね」と言い伝えてきたものを、自分も分かるようになりたいという欲求は良いものだと思います。ルールにも価値があります。

でもそれは、真理を知りたいという欲求とは分けて考えた方がいいのではないでしょうか?真理はその辺にいる普通の人が持っているかもしれないし、私が考えることでしかたどり着けないものかもしれない。ただ修行的に権威ある人々が使う共通言語を自分も喋れるようになるということを目指すのは、ルールありきのゲームで強くなろうとすることに似ている気がします。

寺田 知識を得たいという欲求や、それが叶えられたときの快っていうのは理解できるし、確かに別に悪いことではないですよね。ただそれは今井さんが言ったように、哲学をすることの本来の意義ではないと僕も思います。やはり人間には、自分の生き方をめぐっていろんな問いや謎や戸惑いや悩みがあるわけですよね。そういう問いとしっかり向き合って、真理を求めることが哲学です。そうするとやはり、その人に生じた問いとか謎とか戸惑いについて考えられるかどうかが、哲学かそうでないかの分かれ道だと思います。

瀬尾 これまでの話でも「自分で考えること」が「哲学すること」や「哲学的であること」の重要な要素だったわけですが、さらに、そこで考える内容も自分の生き方に関わることでないと哲学にはならないのでしょうか?

寺田 難しい問いですね。例えば「テセウスの船」という思考実験があります。「修復を重ねるうちに部品が全て入れ替わってしまった船は、部品が入れ替わる前と同じ船か?」というものです。これは「同一性とは何か」という伝統的な哲学の問いにかかわる思考実験ですが、別に自分の生き方を直接問題にしているわけではないですよね。ここで考えられるのは、あくまで同一性という概念についてですから。

ただ、この思考実験を通して同一性とは何かを本当にじっくり考えてみると、自己や世界の見え方が変わることがあります。

今井 考えた結果は考えた人自身に適用されますものね。「自分で考える」ということの意義はそこにあるのかもしれません。

寺田 自分の切実な問いから始まっても、それは他の人々と共有され、一般的な問いになっていきます。だから、切実さは問いそのものが哲学的であることのしるしというよりも、問う人の態度が哲学的かどうかの方に関わっていそうですね。

問いそのものが哲学的かどうかのしるしとしては、「なかなか最終的な答えは出ないが、ひとしきり考えて元の同じ問いに戻ってきたとき、自己や世界の見え方が変わっている」ということが挙げられるかな。

瀬尾 なるほど。

寺田 「読む哲」だけではダメな理由をまとめてみると、さっきも言ったように「する哲」をしたことがないと「読む哲」も本当には面白くならない場合が多いからというのと、その人の問い、その人の謎、その人の戸惑い、その人の悩みを考えるのが哲学だから…ですかね。これについては、哲学とは最終的には「自分の生き方を考えることなんだ」としか言いようがないかなあ。

ゲームに乗ってうまくやっていくというレベルの話であれば、自分の問いなんて全然関係なしに「読む哲」はできるかもね。でもそれは「哲学すること」とはやはりちょっと違っている。滝行みたいなものの方が哲学と思われていて、そうではない「自分の問いを考えること」はなんだかよく分からないものになっているかもしれない。それって何?というのが今日の問いだったわけですよね。

瀬尾 はい。これは『ニューQ』をつくる僕たちにとってとても切実な問いでした。この問いを考えることによって僕たち自身も『ニューQ』が見渡す世界も変わってきて…。

寺田 今まさに「する哲」してますね!

後編へつづく
(後編では、寺田先生とした "どうでもいい質問を哲学的な問いに変えるゲーム" の様子をお伝えします。)

このインタビューが掲載されている『ニューQ Issue01 新しい問い号』は、全国の書店およびAmazonでお買い求めいただけます。


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