社会が見える英単語

社会が見える英単語 by Lena Morita

「多様性」にまつわる英語圏のキーワードを取り上げながら、日本ではあまり馴染みのない概念を紹介していくシリーズ。異なる社会の問題を知ることで見えてくる、日本社会のこれからとは。

白人が着物姿になってはいけないのか

数年前、娘のために「日本風」の誕生日パーティを開いたアメリカ人がネットで炎上したことがある。お茶会というテーマまではよかったものの、白人の娘に舞妓のような格好をさせ、顔に白粉を塗ったのが「文化の盗用(cultural appropriation)」だと非難された。

そんななか、コメント欄に日本人と名乗るユーザが現れることで空気が一変する。日本人の大多数は外国人が日本文化を楽しむことを喜んでいるし、文化の共有をすべきでないと考える人こそ人種差別者だ、というのだ。

このニュースは日本のネットにも広がり、なんでもかんでも人種差別と過剰反応する白人を逆に嘲笑する流れとなった。たしかに、シーツで作った浴衣を着せられ、箸に見立てた苺ポッキーを抹茶碗の上にのせてにこにこしている小さな外国人の女の子をみて、腹を立てる日本人はそういないだろう。デタラメにしても、微笑ましい類いのものである。こんなことに目くじらを立てて白人同士であれこれ牽制し合う様子は、当の日本人からすると滑稽に映るのも不思議ではない。

他者の文化を「楽しむ(appreciate)」のと「盗む(appropriate)」のとはいったいどう違うのか。そもそも文化を盗むとはどういうことなのか。このコンテクストの理解を深めることで、現代の白人が子供の仮装くらいでここまで過敏になってしまう理由がみえてくる。

盗用で不利益を被るのは日本にいる日本人ではない

日本人として日本に暮らしていると、西洋人や西洋文化に憧れることはあれど、日本人としての自分がマイノリティであったり、差別されているといった感覚を日常生活のなかでもつことはほぼない。いくら世界ではマイノリティであっても、自分たちの島国のなかでは圧倒的マジョリティである。日本の社会、日本の経済圏のなかに留まるうちは、海外でどう「盗用」されようとあまり関係がない。

問題は日本にいる日本人ではなく、アメリカ、ないしは世界に出て生活や経済活動を行っている日系人なのだ。彼らこそが、無思慮なステレオタイプ、構造的差別、そして文化盗用の害を被る当事者である。

たとえば、2017年のVogue 芸者コスプレ事件。白人スーパーモデルのカーリー・クロスが、白粉を塗った芸者風の黒髪姿でVogue の誌面を飾り、炎上した。しかもよりによってダイバーシティがテーマの号。本人はすぐに謝罪する羽目になった。

子供の誕生会と何が違うのか。それは、活躍機会の少ないマイノリティ(=日系モデル)を起用するどころか、マイノリティの文化だけを都合よく利用し、強い立場の人間がいつもどおり利益を享受したという構図である。

白人が日本人の格好をするという例では、映画『ティファニーで朝食を』のミッキー・ルーニーも有名だろう。出っ歯で日本語訛りの茶化した描写が「ただのコメディ」として許されるべきなのかはともかくとして、わざわざ白人俳優に特殊メイクをしてでもアジア系俳優を起用しないという選択が、もう十分に問題なのである。

リスペクトがあっても無害とは限らない

白人の子供が「インディアンごっこ」をして遊ぶような時代は終わった。あからさまに屈辱的、侮辱的な盗用行為に関して今さら議論する必要はないだろう。ファッション感覚でヒジャブをつけてみたいと非信者の白人が軽率に言い放つことが、差別や危険に日々さらされている当事者にとって不愉快なのは言うまでもない。

しかし、他文化を扱う態度にいくら敬意が込められていたとしても、appreciation ではなくappropriation となりうることを忘れてはいけない。他文化を取り入れることで誰が利益を得、誰が利益を得ないのかということに目を向ければ、自然と答えが出るはずだ。

文化盗用の根底には力の格差がある。平等な二者間での文化の貸し借りはむしろ文化の発展を促すもので、本来は喜ばしいことである。

アメリカ音楽の歴史においては、エルヴィスが黒人からロックンロールを盗み、レッド・ツェッペリンが黒人からブルースを盗み……などと言われているが、当然これらは悪意をもったことではないし、異なる文化が合わさることで新たな文化が生まれた例だろう。が、人種差別が色濃く残るなかで、我が物顔でひとの音楽を取り入れてはメインストリームで成功を収める白人に対して、文句のひとつやふたつ言いたくなるのもわかる。

手抜きは通用しない多文化社会のこれから

『ブラックパンサー』や『クレイジー・リッチ!』などの映画の大ヒットによって、マイノリティ人種によるマイノリティ人種の物語でもちゃんと金になり、多くの観客がそのようなエンタメに飢えていることが明らかになってきた。テレビドラマでも、『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』『マスター・オブ・ゼロ』(ネットフリックス)など多人種キャストのシリーズが次々にヒットしている。多様なストーリー、新鮮な表現を求める現代のオーディエンスにとって、付け焼き刃の文化借りは通用しないのだ。

アジア人女優が当たり前のようにハリウッド映画の主役になれる時代がきたとき、子供の無邪気な着物姿にナーバスになる人も減っていることだろう。

例文
The production also raised thorny questions about how to differentiate cultural appreciation from cultural appropriation and accusations, fairly or not, that its white creators had engaged in a modern-day form of blackface.

「この演劇は、文化を楽しむことと盗むことの違いは何なのかというむずかしい問題を提起することになり、白人制作者たちは現代における一種のブラックフェイスを行ったのではないかと非難された」― 2018 年7月4日のニューヨークタイムズの記事より
Lena Morita
ソフトウェア開発者、デザイナー。
問題をたくさん見つけます。Web : jaguchi.com / Twitter : @mirka


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