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戦地に散った若き才能 終戦72年・よみがえるピアノソナタ

音楽を学びながら、戦争で命を落とした学生たちがいます。東京藝術大学でおととい、彼らが残した作品が演奏されました。終戦から72年、音楽がつなぐあの時代の記憶です。
(TBS NEWS23 17年8月1日オンエア)

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7月30日、東京藝術大学の「奏楽堂」で開かれたコンサート。

演奏されるのは、かつて大学で音楽を学び、戦争で命を落とした学生たちの作品です

戦後72年経って初めて演奏されたピアノソナタがあります。

作曲したのは、草川宏さん。

父親は童謡「夕焼小焼」などで知られる作曲家の草川信さんです。

今回、残された楽譜が発見され、時を超えてよみがえりました。作品に向き合うのは、藝大卒業生のピアニスト・秋場敬浩さんです。

父親譲りのメロディーの才能。戦争がなければ、宏さんも一流の作曲家になっていた可能性があるといいます。

●ピアニスト・秋場敬浩さん
「日本の音楽界を支えていく作曲家になられたかと思うととても残念。この曲は割と痛ましさというよりは希望に溢れた面が多いだけに、聞くものにとっては痛ましいと思うんですけど」

宏さんの人生は父親の存在が大きく関わっていました。

●弟の誠さん
「親父が早くから僕の才能は全然だめだと思ったらしくて、あんまり面倒見てくれなかったですけど、兄貴にはすごく熱中していました」

宏さんは父親と同じ東京音楽学校(現・藝大)に入学。大学院に進学したのちの1944年、軍に召集されました。当時の日記にはこう記されています。

●1944年6月1日の日記
「本日、晴れて『臨時召集』の令状を頂く。これで僕もようやく世界に冠たる皇軍の一員としてご奉公出来るわけである」

父親は戦場に行くことの少ない軍楽隊を勧めますが、宏さんは前線の兵士になると断ったといいます。

●弟の誠さん
「兄貴に断られてがっくりして家へ帰ってきた。本当に親父があんなにがっくりきている顔を見たことがなかった」

『軍隊生活』と書かれたはがきよりも小さな楽譜。

通信の自由が許されない中、知人を介し父親に託されたものです。ピアニストの秋場さんにみてもらうと・・・

●ピアニスト・秋場敬浩さん
「走り書き的というか丁寧には書かれていないんで、非常に厳格な軍隊生活の本当にわずかな休み時間をぬって、急いで書きとめたという感じではないか。つらい軍隊生活のなかでやはり心の慰めというか、せめてもの慰めというのは音楽というのは分かっていらした」

45年6月、宏さんはフィリピンでマラリアに罹り、ゲリラ化した地元民との交戦で亡くなったといいます。23歳でした。

●弟の誠さん
「僕はこの体じゃ、とてもだめだから突っ込みますよと。あんなに勇ましく出かけた男が、どんな気持ちで最後命をかけて飛び込んでいったか」

遺骨は誠さんが取りに行きました。

●弟の誠さん
「遺骨だと思っていったわけです。それがただの木の位牌だったのでなんともいえない感情に駆られまして、『馬鹿野郎』って大きなこえで。戦争への憎しみですね」 

息子の音楽の才能に誰よりも期待していた父。宏さんの戦死は病床にあった父には伏せたままでした。

宏さんが残したピアノソナタ。今回のコンサートの演奏は音源化され、楽譜などとともに大学でアーカイブ化される予定です。

●東京芸術大学 演奏芸術センター 大石泰さん
「戦後72年もたつと、記録もなければ記憶からも忘れ去られてしまう。大学としてそういう人たちを戦地に送ったという責任からですね、それをそのまま放置しといていいという事はないんじゃないかと」

若き作曲家を一人の兵士に変えたあの戦争から72年。止まっていたメロディーが再び流れ出しました。

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●担当 大野ディレクター
「戦没学生の絵画については収集や展示が進められてきましたが、音楽はほとんど手つかずでした。音楽は楽譜だけでなく、演奏されて初めて伝わるもの。大学はアーカイブとしてできるだけ多くの方に触れて貰いたいとしています。」