見出し画像

綾瀬はるか 戦争を聞く「原爆で消えた街」

毎年お伝えしている
女優・綾瀬はるかさんの「戦争」を聞く。
今年は2回にわたってお送りします。
10年以上にわたり
戦争体験者の方のお話を聞き続けてきた
綾瀬はるかさん。
今回は、広島の平和記念公園にまつわる話です。

広島の原爆被害を今に伝える資料館が、
今年リニューアルされました。


パノラマ写真に囲まれた
広いスペースの真ん中に、
大きなCG画像が展示されています。
ひとつの原子爆弾で、
町が消滅していく様を描いたものでした。

1945年の8月6日に、
広島の子どもたちが着ていた服です。

今回のリニューアルで、
新たに展示された「手記」があります。
爆心地近くの学校で被爆した18歳の男性が
記したものでした。

「9月1日。俺は絶対に死なない」

被爆の翌月から3年後に亡くなるまで、
思いの丈を書き続けました。

「教授になりたい。
 うんと勉強して、留学して・・・。」

でも、原爆が、夢も、命も、奪い去りました。


リニューアルに伴う工事で、
あるものが姿を現しました。

次々と掘り出される、人が生きた証。
74年前、ここは、街だったのです。


「こんにちは。
 はじめまして、綾瀬はるかと申します」



おびただしい数のケース、
そのひとつひとつから、
人の営みが伝わってきました。

広島市文化財団・田村さん)
「こちらにビール瓶がたくさんあるんですけど、中にはビールが残っているものもあるんですね。」


「中身が入っているのがすごいですね。
 70年前の液体ってことですよね。」

「今は平和公園になっているから
そこにこんなにたくさんのものがあるなんて
想像もつかないですね。」

広島市文化財団・田村さん)
「それは歯ブラシですね」

柄だけになった、おそろいの歯ブラシ。
ご夫婦の物でしょうか。

広島市文化財団・田村さん)
「これはグリコのおまけで」


綾瀬)
「本当にお皿も
 ちゃんとした美しいものばかりで。」

広島市文化財団・田村さん)
「ここに町があったんですかって、観光客の方とか、広島の方でもご存知ない人もいらっしゃると思うんですけど」

綾瀬)
「すごいきれいな街だったんでしょうね。」



鉄村京子さん。89歳です。

鉄村さん)
「学生が多い。子供がたくさん来とって」
綾瀬)
「ねえ、小学生ですね」

今、平和公園がある辺りには、
4400人を超える人が暮らしていました。

鉄村さんが住んだのは、天神町。
もう地名も残っていませんが、この辺りです。

鉄村さん)
「ここです。母つねこと、滋と勝です」。

まさにこの場所で、
母と弟2人、家族全員を失いました。


ここはどんな街だったのでしょうか。



原爆ドームは、
昔からこの辺りのシンボルでした。


もちろん名前は違います。
産業奨励館といいました。

80年ほど前のフィルムに、
当時の活気が記録されています。


広島の中で、最もにぎやかな町でした。
川沿いには立派な旅館が立ち並び、
子どもの遊ぶ声が響き渡っていたそうです。

綾瀬)
「川で遊ばれてたんですか?」

鉄村さん)
「子供のころじゃからね。お昼ご飯食べてちょっとしたらもう家で水着に着替えてそのまま川へ飛んでいくんですよ、近いんですよ、川まで」

綾瀬)
「いいですね」

鉄村さん)
「大きな旅館がありましたよ。
 横綱の双葉山とかが泊まる旅館で。」

鉄村さん)
「相撲取りが草履を脱いで部屋に入ると、こうやって草履の大きさ見るんですよ、『大きいね』言うたりして」

それが、1945年8月6日の朝までの
天神町でした。

鉄村さんはその朝、
4キロ離れた工場に向かいました。

「その時は普通に『いってまいります』というて家を出かけたらね、弟が『僕もいく』って言うて大きな大人の下駄をひっかけてね、追いかけてきたんですよ。『勝ちゃんきたらだめよー、今からお仕事行くんじゃから』と言って、弟を追い返して別れたんですがね。その弟がずっと追いかけてきたのにはいまだに・・・」


それが、家族との最後でした。

天神町は原爆が炸裂した場所、
爆心から500メートルの距離でした。

鉄村さんは、自宅のあった場所に急ぎました。

「帰ったら全部焼け野原だったんだけど。お母さんのね、お母さん眼鏡かけとったんですけどね。その眼鏡の枠だけが道路にパタッと落ちとったんです。ああ、お母さんここで倒れて亡くなったんかな思ってね」

思い出と悲しみを残し、街は消えました。

今、公園になっていることを、
どう思うのでしょうか。

鉄村さん)
「ここがもっと家がたくさん建ってあったいうのは、みんな知ってない人が多いからね。だからここが焼け野原になってその跡地じゃいうのはわからん人が多いんじゃないかしら。」

綾瀬)
「やっぱりちょっとこの場所は特別な」

鉄村さん)
「特別な場所じゃ思いますよ。
 みんなそれぞれに思い出があってね」


原爆が奪った『街』と『暮らし』。
私は、かつてあった賑わいを想像し、
失われたものの大きさを感じました。