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「核の傘」の下で…被爆国ニッポンの実像 被爆を経験したサーロー節子さんにききました

「13,865」
これは世界にある核兵器の数です。
冷戦期に比べれば大幅に減っているとはいえ、
アメリカもロシアも「6,000」以上です。
核廃絶への道は遅々として進んでいません。
日本についてはアメリカに「核の傘」を
差し掛けてもらっているだけ、
そんな風に思っている方も
いらっしゃるかもしれません。
でも、この「傘」を日本も一緒に
支えているとしたらどうでしょうか
“唯一の被爆国”、その本当の姿に迫ります。
(2019年8月9日 放送)

カナダ最大の都市、トロント

今月8日私たちが訪れたのは、
被爆者、サーロー節子さんの自宅。

東京の小川彩佳キャスターとテレビ電話をつなぎました。

●小川キャスター
「こんにちは、おひさしぶりです」

●サーロー節子さん
「お久ぶりでございまーす!」

カナダを拠点に核廃絶を訴え続け、
おととしノーベル平和賞の受賞演説も行った
サーローさん。

広島の中心部で生まれ、
13歳で被爆しました。
4歳の甥、英治さんの最期が
脳裏に焼き付いています。

●サーロー節子さん
「本当に人間の姿ではないんですよ。本当に焼けこがれた、もう、一切れの肉っていうのか。小さな体がね。焼けこがれて」
「地獄ってものが本当にあれば、あれが地獄だったと思いますね。」

ノーベル平和賞の授賞式。
サーローさんは考え抜いた末、
ある辛辣な言葉を使いました。

●サーローさん演説
「核武装した国々の当局者と、いわゆる核の傘の下にいる共犯者たちに言います。」
「私たちの証言を聞きなさい。そして私たちの警告を心に刻みなさい」


●サーロー節子さん
「例えばあなたの国の日本を考えてごらんなさい」
「アメリカだけがそういうことを準備しているんじゃない。それについて周囲から掛け声かけてやれもっとやれって、そういうことをやっている国々がある。日本の国なんてその第一番じゃないかしら」

日本こそが、一番の共犯者…。
そんな指摘を裏付けるかのような
エピソードがあります。

●米オバマ大統領
「はっきり信念を持って約束する。アメリカは核兵器なき世界の平和を追及する」

2009年、核なき世界の理想を掲げる
オバマ政権が発足して間もないころのことです。

核戦略を議論していた
アメリカ議会の諮問委員会に、
現在、外務省の事務次官を務める
秋葉剛男氏らが出席。
密室のなかで、
核をめぐる日米のやりとりがありました。

その内容を、
証言するという人物が見つかりました。
委員会の座長だったペリー元国防長官です。

ペリー氏が驚いたのは、
日本側が
ある核兵器に強いこだわりを見せたからです。

核弾頭を搭載した巡航ミサイル、トマホーク
冷戦時代、
アメリカの艦船に搭載されていた核兵器です。
当時、アメリカは廃棄を検討していましたが…。

●ペリー元国防長官
「日本政府はこの兵器の廃棄により、核の傘の力が弱まると感じていました。私たちに廃棄しないよう促してきました」

浮き彫りになるのは、
アメリカの核の傘に依存する日本政府の姿。

会合では、中国の軍備拡大などへの
懸念
も示していました。

ただ、外務省は…。

さらに、会合では非核三原則のひとつ
「核を持ち込ませず」に関わるやりとり
あったことも、分かってきました。

●ペリー元国防長官
「委員会では沖縄に核兵器を置く案を検討していましたが、それは非核三原則に反します。そこで、アメリカ側の委員が、核兵器が無理なら核の貯蔵庫を沖縄に設置できるだろうかと尋ねました」

この席でアメリカ側は、核の貯蔵庫を
沖縄の米軍基地に設けられないかと
持ち掛けたというのです。

いざというとき
核兵器を持ち込めるようにするためでした。

ペリー氏の記憶では、
日本側は「良い案ではない」と
この提案を退けた
といいます。

しかし、別の見方を示す人がいます。
アメリカの研究者、グレゴリー・カラキ氏です。

会合の出席者が
その場で記したというメモを入手し、
公表しました。

●グレゴリー・カラキ氏
「アメリカ側の委員が『沖縄に兵器なしの貯蔵庫は?』と聞き、秋葉氏は『説得力があるように思う』と答えています」

秋葉氏は「説得力があるように思う」と、
肯定的ともとれる答え
を返したというのです。

一方、外務省は私たちの取材に…。

●外務省
「非核三原則に反する発言や、沖縄に核貯蔵庫を建設する案を是認する発言は行っていません。委員会の委員やスタッフに確認し、非核三原則に背馳(はいち)する発言はされなかったとの回答が得られています」

メモの内容に、
間違いがあるということなのでしょうか。
今回、私たちは、メモをとった本人から
話を聞くことができました。

●メモ執筆者
「10年前のことで記憶がなく、メモが絶対に間違っていないとは言えない。ただ自分の能力には自信がある。メモにはそう書いてあると言うほかない」

おととし、国連で採択された核兵器禁止条約。
しかし、
日本はその議論にさえ加わりませんでした。

●サーロー節子さん
「私たちが目撃した体験したことは、町中に住む何十万の人たちが一瞬にして焼き殺され、皮膚も肉も焼けて「どろどろになる。腫れ上がる、もう黒焦げになる、もう蒸発して骨も何も残っていない。そういう言葉だけでは説明できないことを私たちの目で見てきてるんですよ。それを私たちは今まで皆さんに話し続けてきてるんですよ。もう私たちの命もあまり長くない・・・」
「私たちのしていることを日本の政府が支持していないって言うことは、裏切られているという気持ちが強くします」

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小川)
サーローさんにはこれまで何度も
取材させていただいているんですけども
ご自宅の書斎は原爆に関する本で
埋め尽くされていて
ノーベル賞授賞式の取材の際に
「何か持って行くものはありますか?」と
尋ねたところ、
「核に関する新しい本をあるだけ持ってきて」と
おっしゃった。
本当に熱心に勉強しながら
訴えている方なんですね。
だからこそ、「今すぐには核廃絶に至らないということを
重々承知している」と。
ただ「日本政府は核廃絶というゴールに
向かおうとするどころか、
ゴールの方向を
向いてすらいないように見える」と、
憤りとやるせなさをこれまで以上に
今年は募らせていらっしゃる。

星)
当面はアメリカの傘の下に居ざるを得ないという
状況は仕方がないということなのですが、
その中でどうするのかということです。
政府や外務省の立場は、基本的には
アメリカの方針に従うというのが
「核の傘」の下に居る
日本の立場だろうという意見。

一方その「核の傘」の下にいても
日本独自の発信をしても良いんじゃないかという
意見もありまして、
そのせめぎ合いが続いてきている。

小川)
そこに「核兵器禁止条約」が動き出して
様相が変わってきましたね。

星)2年前の採択で、環境が変わりましたね。
日本としてはその「核の傘」の下にいても
被爆国としていろいろな発信が
できるのではないかと
核廃絶に向けて、独自の主張が
できるのではないかと。

今回も広島・長崎では式典の中で
地元の市長が「核兵器禁止条約」に
加わるべきだと
声を大にして訴えていた。

その全体のフェーズが変わったわけですから
日本側としてももう一回考え直して
「核兵器禁止条約」に加わって
日本の主張を世界に訴えていくということの
可能性を探るという必要があると思います。

小川)
「核兵器禁止条約」は
被爆者の方の思いの結晶ですからね。