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タイ南部国境県テロ取材「今日も現場にいます」

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世界有数の観光立国、微笑みの国のタイの最南端は、長い間テロが続くムスリムたちの土地。バンコクからマレーシア国境まで1,300キロ超、いつ終わるとも知れない当地テロを2004年から… もっと読む
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仏教国タイなのにイスラムの地 Chapter 1 「3等列車で戒厳令下の町へ」

仏教国タイなのにイスラムの地 Chapter 1 「3等列車で戒厳令下の町へ」

 取材という気合いはなかった。実のところ物見遊山。2004年3月26日、タイ国鉄のバンコク中央駅(フアラムポーン駅)から軽い気持ちで夜行列車に乗り込んだ。その年の1月5日、突然のテロ再発を理由にパッターニー、ヤラー、ナラーティワートのタイ南部国境3県20郡に戒厳令が敷かれ、本業である日本語情報紙の仕事で爆破だ銃撃だというテロニュースを扱いながら、「そろそろ行ってみようかな」と思い立ったからだ。予約

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Chapter 2 本当にテロ、結局は取材

Chapter 2 本当にテロ、結局は取材

 「どうしてこんな危ないときに来るのよ」。
旦那の店に行くと、当時はまだ旦那と共に店を切り盛りしていた奥方が呆れながら出迎えてくれた。
「何しに来たの? 取材なの? 遊びなの?」
そもそも外国人にとって、スンガイコーロックは女遊び以外にたいした用はない。もとより取材という気分ではない、ただの物見遊山だ。これから夜にかけての魂胆など、奥方にはバレている。「取材です」と格好つけてみようか、「遊びです」

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Chapter 3 タイのムスリム人口が分からない

Chapter 3 タイのムスリム人口が分からない

 スンガイコーロックは20年以上も前から縁があった。90年代、バンコクから夜行列車に乗ってスンガイコーロックへ、さらに徒歩でマレーシアに越境するという旅行を、3カ月おきに続けていた。町と同じ名前のスンガイコーロック川が国境を成し、タイ側の川辺にはスラムのような古びたムスリム集落が広がっていた。ちなみにスンガイは「運河」を意味する。

 ある日、その集落に入り込んで住民にカメラを向けていたら、バイク

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Chapter 4 地元ムスリムを巻き込んで身柄拘束

Chapter 4 地元ムスリムを巻き込んで身柄拘束

 「南部国境県のテロを追ってみよう」。スンガイコーロックでの事件の3カ月後、気合いを入れて列車で再びやってきた。今度はエアコン2等座席だったが、帰りは席が取れずにまたもや苦痛のエアコンなし3等座席に。

 スンガイコーロックの隣にスンガイパーディーという町がある。このころ、マレー系分離独立派組織はイラクのイスラム過激派の影響を受けてか、仏教徒住民を殺害・斬首するといった凶悪テロに走っていた。特にス

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Chapter 5 独立も当然? 人口の過半数はマレー系

Chapter 5 独立も当然? 人口の過半数はマレー系

 南部国境県の現地での取材は年に3~4回。鉄道を止めてバンコクから車で取材に出掛けていた頃もあったが、食事とトイレ以外休みなしでひたすら走っても15時間、休憩を取って余裕なんてかましていると20時間もかかるので、そうそう行っていられない。この数年はタイ南部最大の商業都市であるソンクラー県ハジャイまで空路、そこでレンタカーを借りて南部国境県へ、という楽な移動に慣れてしまっている。飛行時間は1時間半、

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Chapter 6 取材最終日にようやく事件

Chapter 6 取材最終日にようやく事件

 スンガイコーロックのオープンバーの爆破事件からちょうど1年、日付も同じ3月27日、やはりスンガイコーロックにいた。3日前の夜に南部国境県に下ってきて、今日はバンコクに戻る日。前夜まで取材になるような事件はなく、ずっとブラブラ。結構、焦っている。スンガイコーロックは2004年からの数年間、年に1~2回の割合でオープンバーやホテルなど不特定多数の被害者を出すテロが起きていたが、それ以降は2~3年に一

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Chapter 7 2世紀もズレていた王国成立

Chapter 7 2世紀もズレていた王国成立

 そもそもパタニー王国とは何なのか? 実在したのか? いつからか? 何が起きていたのか? これに答えられるタイ人は少ない。タイ領土の端も端、猫の額ほどの土地がどういう歴史を歩んできたかなんて興味ないし、知らなくても困らないのだ。それは日本人も同じだろう。琉球王国、その先住民、その言葉について、まともに答えられる沖縄県外の人間がどれだけいるか。そういう自分もしかり、沖縄どころか出身地である静岡にどれ

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Chapter 9 こだわりの地名由来

Chapter 9 こだわりの地名由来

 パタニーのことをいろいろ調べていく中でもう一つ、入り乱れた諸説を追っていった挙句に訳が分からなくなってしまったのが、「パタニー」という地名の由来だ。日本でも県や市を紹介するとき、地名の由来から始まることが多い。それはタイでも変わりない。特にパタニーを紹介する書物になると、歴史より地名の方が重要視されているのではないかと思うほど、必ず由来の詳細が書かれる。

 日本語版ウィキペディアでさえ、他言語

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Chapter 10 日本より身近な役人② その日に会ってその日に取材

Chapter 10 日本より身近な役人② その日に会ってその日に取材

 最初に会ったときにはパッターニー県知事、その次に会ったときには南部国境県5県を管轄する「南部国境県管轄センター」長官に昇進していたパーヌ・ウタイラット氏。南部国境県についていろいろ取材しているとはいえ、こちらは一介の記者に過ぎない。県のトップである県知事などにインタビューを申し込むほど、身の程知らずではない。ないのだが、タイでは往々にして企業でも役所でも政府でも、知らないうちにトップに行き着いて

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Chapter 11 古より日本が登場するパタニー史

Chapter 11 古より日本が登場するパタニー史

 パタニーの史書には数回、日本との関わりを示す記述が登場する。日本人が想像する以上に、パタニーと日本は古よりとつながっていたらしい。パタニー王国は海上貿易の主要港として栄え、ヨーロッパ、中東、インド、中国、そして日本などと交易があった。1511年にマラッカが陥落した後は、東海岸で多大な力を持つ有数の貿易港に発展した。現地で話を聞く限り、パタニーの町には多くのポルトガル人や日本人の姿があったという。

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Chapter 12 日本が引き変えたタイとマレーシアの国境

Chapter 12 日本が引き変えたタイとマレーシアの国境

 日本人が南部国境県をフラフラしていると、「日本人がこんなところで何をしている」と心配されるが、長い目で見れば我々の存在は決して特別ではない。この辺りにはちょっとした言い伝えが残っている。

「第2次世界大戦(太平洋戦争)が始まる数年前、1人の日本人が突然、パタニーの地にやってきた。地元の娘と結婚、海辺の家に住み、毎日朝になると沖に出て、夕方になると戻ってくるという生活を続けていた。1年ほど経った

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そこにいればいつでも出会えるテロ Chapter 1 陸軍分隊を従軍取材① 陸軍広報幹部との腕時計交換

そこにいればいつでも出会えるテロ Chapter 1 陸軍分隊を従軍取材① 陸軍広報幹部との腕時計交換

 1千キロも離れたバンコクから数カ月起きに訪れるだけでは、南部国境県を効率的に取材できるわけはない。テロにはある程度の波があって、各種報道を逐一追っていけば「次の山は来週だ」などと読めるようになってくる。

 ただそれだと、競輪や競馬の目を予想しているというか、(テロに巻き込まれる)人の不幸を期待しているというか、何となく後ろめたい。そんな自分の読みを頼って取材を決めても、現地で何も起きなければ「

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Chapter 2 陸軍分隊を従軍取材② 真の任務はテロが起きない環境作り

Chapter 2 陸軍分隊を従軍取材② 真の任務はテロが起きない環境作り

 第4軍管区の広報担当幹部の陸軍大佐が帰っていき、しばらくして従軍させてもらう部隊の兵士数人がバンで迎えに来た。M16A1小銃を手にした兵士に促されてバンに乗り込むと、その兵士はドアの前で小銃を左右に構えて警戒し、後ずさりしながら滑るように入ってきた。自分のようなしがない記者のためにそこまでしてもらわなくても、と申し訳ない気持ちになった。

 その部隊は、南部からだとバンコクよりも遠い東北部ブリー

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Chapter 3 美人軍医に歯の治療をお願い

Chapter 3 美人軍医に歯の治療をお願い

 2007年6月11日朝。従軍取材を終えてホテルに戻る準備をしていたら部隊長がやってきて、「近くの村に医療支援に行くがついてくるか?」と聞いてきた。過去24時間歩き続けて仮眠は2~3時間。眠くはない。でも疲れていない、というとウソになり、ホテルに戻ってさっさと寝たい。しかし物事は何でも見ておくべきだし、こういう仕事は現場ありきだし、何よりせっかくの誘いを断りにくい。元気に「行きます!」と答える。

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