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撤退ムードもつかの間 ゴリ押しのデモ行進で決まった赤シャツの運命

 件の赤シャツ幹部は、憲法改正派にタクシン支持派が合流したのが「赤シャツ」と説明していたが、その憲法改正派も突き詰めればタクシン派なのだ。何千人、何万人もの国民を動員するデモは、莫大な資金を要する。そこまでして憲法を変えたい人間など、タクシンぐらいしかいない。タクシンにいろいろ吹き込まれ、それぞれの思惑で動く者たちの寄せ集めだから、最初からバラバラ。リーダーたちでさえ意見が一致しない。「一枚岩ではない」という表現でさえおこがましいのだ。

 赤シャツリーダーはそんな態勢のまま2010年3月末、政府への直接交渉に打って出た。何とか実現させたものの、当然のごとく物別れ。赤シャツはまたもやバラバラな言動を世間にさらずことになる。

 政府はこのとき、年末の下院解散を提案。それを「良し」として撤退の意志を見せたのがウィーラだった。ウィーラのプロフィールは同マガジンのノート、「今度は赤シャツ、黄色を真似て反政府デモ」に記載している。

この日のデモ行進で、ラーチャプラソン交差点一帯が封鎖された

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