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Chapter 7 2世紀もズレていた王国成立

 そもそもパタニー王国とは何なのか? 実在したのか? いつからか? 何が起きていたのか? これに答えられるタイ人は少ない。タイ領土の端も端、猫の額ほどの土地がどういう歴史を歩んできたかなんて興味ないし、知らなくても困らないのだ。それは日本人も同じだろう。琉球王国、その先住民、その言葉について、まともに答えられる沖縄県外の人間がどれだけいるか。そういう自分もしかり、沖縄どころか出身地である静岡にどれだけの歴史的遺跡が残っているのかなんて知る由もない。パタニー王国について調べる気になっても、静岡について調べる気は今後も起きそうにない。 


 ムスリム人口の調べも完璧でなく、パタニー王国についての調べも途中だ。歴史について諸説がある。諸説というか、夢のような伝え話が多い。時間軸もズレまくっている。それでもだいたいの流れは分かってきた。


(1) 現在の(クランタン州やトレンガヌ州などの)マレーシア北部からタイ南部国境県にかけての地域には、6~7世紀に最も栄えたといわれるヒンズー教の「ランカスカ王国」があった。この王国が13世紀中期にイスラムに改宗、同末期に現在のパッターニー県が広がる地に遷都して「パタニー王国」が誕生した。
(2) ランカスカ王国がパタニー王国となったのはもっと後のことであり、13世紀後期はマラッカ海峡を中心にスマトラ島とマレー半島を支配した仏教国「シュリヴィジャヤ王国」の属国だった。シュリヴィジャヤ王国は15世紀ごろまで続いたが、13世紀後記にはすでに衰退、現在のタイ北部に興ったスコータイ王朝(1238~1438年)の影響を受けていた。
(3) 東南アジアにイスラムが伝わったのは早くても14世紀以降。パタニーはランカスカ王国の一部地域であって、イスラム化したのは周辺諸国より遅い16世紀初頭、王国としての成立もその頃。

パッターニー市外に残るクルセ・モスク

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