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この時代だから伝えたい――文藝春秋に聞く「今、ノンフィクション作品を出版する意義」とは?

世の中の真実を知る術の1つとして、ノンフィクションは読者の視野を広げる有意義な存在。そこで、優れたノンフィクション作品にスポットを当てようと、Yahoo!ニュースと本屋大賞の共催でスタートしたのが「ノンフィクション本大賞」です。記念すべき第1回の受賞作品は、4カ月に及ぶ暗闇の旅を描いた探検家・角幡唯介さんの「極夜行」(文藝春秋)が選ばれました。

しかし、ノンフィクションを取り巻く事情は、決して明るいだけではありません。それでも出版社がノンフィクションをつくり続ける理由とは何か? 発行元の文藝春秋を訪ね、ノンフィクション編集局の飯窪成幸・常務取締役に話を聞きました。

取材・文/友清 哲
編集/ノオト

「ノンフィクション冬の時代」の実情

飯窪成幸さん 株式会社文藝春秋常務取締役。週刊文春編集局、ノンフィクション編集局担当。文春文庫局、文藝出版局統括を担当

――まずは率直に、ノンフィクションを取り巻く現在の状況について教えてください。

正直なところ、「厳しい」の一言に尽きます。ノンフィクションはフィクション以外のすべてのジャンルをあらわす言葉でもあるので、具体的な数字を出すのは難しいですが、「ノンフィクション冬の時代」であることは、実感としても間違いないと思います。

要因の1つとして、ノンフィクション作品を掲載する雑誌媒体が減っていることは大きいでしょう。ノンフィクションは、少なからず取材費がかかります。そのため書き手にとって、書き下ろしで出版するのはコストパフォーマンス面でつらい。まずは雑誌に連載して取材費や原稿料を確保し、その上で書籍化するのが理想的な形です。実際、ある時期まではそれでやっていた。

ところが、出版不況のなかでノンフィクションを掲載する雑誌が休刊などに追い込まれ、生き残った雑誌も取材の予算を削り出すという負のスパイラルに陥っています。発表媒体が少なくなりヒット作も生まれにくくなっています。

――では、ノンフィクションが活況を呈していた時代となると、どこまでさかのぼらなければならないでしょうか。

1960年代の後半、アメリカでトム・ウルフ、ゲイ・タリーズ、デイヴィッド・ハルバースタムといったスター・ノンフィクション作家があらわれ「ニュージャナリズム」といわれました。日本でもそれを受ける形で1970年代になると柳田邦男さんや立花隆さん、本田靖春さん、沢木耕太郎さんといった優れた書き手が、ノンフィクションの作品を次々と発表していった。さらに1980年代には猪瀬直樹さん、佐野眞一さん、吉岡忍さんらを主として団塊の世代のノンフィクション作家たちが台頭し、一時は「ノンフィクションの時代」といわれました。

1980年前後に大学生だったわれわれの世代には沢木さんの存在は大きかった。「深夜特急」(新潮社)は大きなブームを呼び、いまでも若い世代に読みつがれています。今回、「ノンフィクション本大賞」を受賞された角幡さんも、おそらく沢木さんの影響を受けていると思います。入社試験のとき「深夜特急」を読んで、ああいう本を作りたいと思い編集者を志したという学生が必ず何人かいます。

――現在、具体的な発行部数で見た場合、出版社としてはどのくらい売れればヒット作と言えるのでしょうか。

初版1万部刷れればいいですが、5000部、6000部からスタートする作品も少なくありません。これは文芸書も同じです。東野圭吾さんや宮部みゆきさんのようなベストセラー作家は別ですが、文藝の場合は新人だと4000~5000部からスタートも珍しくありません。

一度でも重版がかかればまずは合格です。増刷を重ね、トータルで3万部いけばノンフィクションでは立派なベストセラーだと思います。10万部、20万部と売れるノンフィクション作品を夢見ますが、現状のハードルは非常に高いですね。

「ノンフィクション」という言葉はもう時代にそぐわない?

――そうした冬の時代において、Yahoo!ニュースが新たに「ノンフィクション本大賞」を開設したことを、どのように捉えていらっしゃいますか。

うれしい取り組みだと思います。ネットニュースサービスが主催し、本屋大賞に携わる書店員の方が作品を選ぶ。普段はあまりノンフィクション作品を読まない若い層に、その面白さが伝わるきっかけになれば、これほど素晴らしいことはありません。

――その第1回の受賞作は、さきほどでた角幡唯介さんの「極夜行」。探検家である著者が、数カ月に渡って太陽が昇らない北極圏を旅し、真の闇を体験することで本物の太陽を見ようと試みる、壮大かつ骨太な作品でした。

この作品は2018年2月に発売されて以来、地道に増刷を重ねていましたが、今回の受賞でさらに大きく部数を伸ばしています(※2018年12月の時点で6刷、4万6000部)。こうした本格的ノンフィクション作品が受賞し、それがきっかけでさらに多くの読者に読まれているのはうれしいことです。

――長くこの業界に携わってこられた飯窪さんから見て、角幡さんはどのような書き手ですか。

優れた冒険家であり、かつ書き手としても傑出している、ノンフィクションの分野における期待のホープでしょう。独自の着想から「21世紀の新しい冒険記」を生み出し続けている稀有な作家です。文章も素晴しい。それに加えて、イケメンなのがいいですよ(笑)。冒険記のあいまにプライベートなエピソードが入るのが、新鮮です。

――やはり情報の接点がインターネットだけに偏りがちな若い世代をいかに取り込むかが、ノンフィクションの最大の課題ですね。

そうですね。だからこそ、ネットニュースサービスがノンフィクションを対象としたコンペティションを主催する意義は大きいと感じます。今回の「極夜行」は、「文春オンライン」で連載されたものでした。ノンフィクションの書き手がウェブメディアに作品を提供し、編集者も一緒になって今までと違った読者層に訴えかける努力は必要なことです。
文春オンラインの連載時には、写真を大きく掲載するなどの工夫も

実は個人的には、「ノンフィクション」という言葉が時代にそぐわなくなってきているように思っています。このジャンルの面白さを伝えるもっと適切なネーミングはないのでしょうか。ノンフィクションとは「フィクションではないもの」ということでしかない。ルポルタージュもドキュメンタリーも、実用書も自己啓発本も、小説以外のすべてがノンフィクションのジャンルに含まれる。とくに読書慣れしていない若い層にはわかりにくいネーミングになっているのではないでしょうか。

角幡さんの「極夜行」は、ノンフィクションの中でも冒険記です。若い層にアピールできるネーミング、キャッチを考えてほしい。これは編集者の仕事です。手にとって読んでもらえさえすれば、面白いノンフィクション作品は数多くあるのですから。

――ノンフィクションが冬の時代を脱するためには、そうした課題のあぶり出しと解決が急務である、と。

1つの好例が、昨年、盛岡のさわや書店さんが仕掛けた「文庫X」です。新潮文庫のあるノンフィクション作品を独自のカバーで覆い、読者にはタイトルがわからない、ただし面白さはカリスマ書店員が保証する「文庫X」として店頭でアピールした。そのミステリアスな仕掛けが話題を集め、瞬く間に全国650店以上の書店に広がりました。

読者に明かされたのは価格とページ数、そしてこれがノンフィクション作品であることのみでしたが、結果的に数十万部の大ヒットを記録しています。この手法には賛否あったものの、やり方次第でノンフィクションはまだまだ売れることを示したと言えるでしょう。作品が素晴らしいのは言うまでもありませんが。

ノンフィクションの題材が尽きることはない

――ところで、このような厳しい状況でありながらも、出版社がノンフィクション作品の刊行を続けている理由は何でしょうか。

出版社である以上は当然、商業的な勝算を見込んでのことです。特に弊社はもともと雑誌社です。現在も月刊の「文藝春秋」や「週刊文春」を発行しています。ノンフィクションは雑誌媒体で行ってきたジャーナリズムと親和性の高い分野で、冬の時代であっても会社の大きな柱であることに変わりはありません。

――「極夜行」に続くヒットを生み出すために、何か秘策はありますか。

20年前であれば、作った本を書店に送り出せば、それなりに売れてくれました。しかし、今はちがう。本を作るまでが第一の勝負、作ったあとどうやってプロモーションするかが第二の勝負です。第一の勝負は編集の仕事です。しかし第二の勝負は編集だけでなく、営業、宣伝、プロモーションの各部が一丸とならないとヒット作は生まれません。

一例をあげます。昨年末に、「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」という映画が松竹さんの正月映画として全国330館の映画館で公開されました。原作は、2004年に第35回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した渡辺一史さんの「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫)です。

映画化に際して、映画版のノベライズ「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」(文春文庫)も2018年12月4日に発売。このような展開は同社でも珍しいそう


この作品は障害者介護を題材とした本格ノンフィクションですが、ともすれば重苦しくなりがちなテーマに、驚くべき取材力と斬新な視点で挑んだ作品です。14年前の作品ですがまったく古びていない。むしろ介護やボランティアに関心のある今の若者のほうが切実に作品とむきあえるかもしれません。

映画では大泉洋さんや高畑充希さんといった人気俳優のキャスティングにより、コミカルな要素を含んだ見事なエンタテインメント作品に仕上げられています。映画をご覧になった人たちが、原作に興味を持ち、さらにノンフィクションの面白さに気づくきっかけとなればと願っていましたが、映画公開前から書店では話題になり売れています。

――最後に、これから数年後のノンフィクション市場を、どう予想されますか。展望をお聞かせください。

冒頭で厳しいと申し上げましたが、実はアメリカをはじめとする英語圏ではそんなことはありません。ノンフィクション作品は活況を呈しています。政治、経済、科学、スポーツ、芸能などあらゆる分野を題材としたベストセラーが生まれています。

世界的ベストセラーになったウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」(講談社)、これもノンフィクションです。つい最近日本でも翻訳がでたボブ・ウッドワード「FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実」(日本経済新聞出版社)もそうですね。ノンフィクションはホットなジャンルなのです。
日本の読者はノンフィクションに対して、いつのまにか食わず嫌いになってしまった。特に若い読者はノンフィクション=難しい、とっつきにくい、と思っている。その点はわれわれノンフィクション出版に携わるものの責任も大きい。

しかし、ノンフィクションが事実にひも付いた分野である以上、人間社会が続くかぎり題材が尽きることはありません。面白い作品を作り出し、それをきちんと読者に届くようにすること。そうすれば本当の「ノンフィクションの時代」がやってくると思います。

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