現代に必要な「創造的移行」

 「歴史の循環」は、話す時期によって受け取り方が変わる。例えば江戸時代末に頼山陽の「日本外史」が著されると、志士たちは「徳川の世が永遠絶対ではない。幕府とて終わりがあり得る」と奮起した。自民党の宮沢内閣の時代に「鳩山一郎から数えて15代目だから将軍と同様この代で終わる」と話した時、多くの人はそんな訳がない、ジャパン・アズ・ナンバーワンだと否定したが、事実終わった。

 ではバブル崩壊から「失われた10年」を経て「失われた20年」が囁かれている現代、「歴史の循環」はどんな意味を持つのか。それは「新たな時代の幕開け」という位置付けになる。

 激動期の4段階説は、いま最も有用で注目するべきテーマなのである。この4段階説は過去の激動期には当てはまったけれども、現代にも本当に当てはまるのか。小沢や小泉の名前が出てきたがどうもしっくり来ない。確かにそう思う人が多いだろう。しかし、それは激動期の3段階目を理解できないからである。

 3段階目「移行期」の特徴として、身分の低い誰かによる創造的活動の面を挙げた。それに該当する人がなぜ過去には現れて現代に現れないのか。今回はその点について述べたい。

 まず、過去の日本は、極東の島国として、古代には朝鮮や中国の文化が流入した。この海外文化や制度(律令など)の輸入こそが「移行期」に当たり、高向玄麿がそこに該当する。創造的移行を踏まえて、さらに補佐型に支えられて、統合型のカリスマが激動期を終焉させ、新しい長期時代を開始させる。

 戦国時代には南蛮文化(ポルトガルやスペイン)、幕末にはイギリスやフランス、吉田茂はアメリカ文化を輸入した。

 では現代には学ぶべき外国はあるのか。ここで答えが詰まる。実は無いのである。部分的にはあるかもしれないが、全面的に文化や制度を輸入して、疲弊した旧体制を破壊して新体制を樹立することなど、このままでは不可能なのである。ではどうすればよいのか?


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