激動期の新芽とは?

 高校3年の冬、プラトンや頼山陽のように「歴史の循環」に気付いた私は、何人かに話したものの、当時のバブル期がずっと続くと思っている人が多く受け入れられなかった。大学の時は「15代の法則」を用い自民党は宮沢政権で終わりと言ったが、それでも誰も信じず、実際に政権交代が起きた後で感心された。

 やがてバブルがはじけ、長い「閉塞」「失われた○○年」に入った。すると今度は、同じく「歴史の循環」からいずれ良くなるとの話をするのだが、これもまた不景気の中にある人たちは誰も受け入れられなかった。

 考えるに「歴史が循環する」こと自体、わからない人が多いようである。ニーチェの「永劫回帰」とそんなに違わないのだが、「超人」の方がウケている。

 さて、今回は「激動期の対立→逆転→移行→統合」の中の第3段階、「移行」について現代にそれがあるのか考えてみたい。なければ歴史はずっと変わらない。対立と破壊を繰り返すだけだ。小沢一郎や小泉純一郎だけではそうなるのだ。

 何か新しい、次の統合を準備する移行のタネ、それは何か。例えば戦国時代は鉄砲や南蛮文化だったし、幕末も英仏の文化や制度、戦後も米国の文化や制度だった。今回は何かあるのか。

 戦後の文化や制度が疲弊してきたことは確かだ。そこで小沢一郎や小泉純一郎は対立や破壊を行った。しかし移行期のタネがなかった。そのタネとは何か。幾つか挙げるには挙げられる。ただどれも違う。

 ・橋下徹の「大阪都」

 ・竹中平蔵の「IT」

 ・オバマの「TPP」

 ・プーチン

 ・橋本龍太郎の「省庁再編」

 まず1つ目の大阪都構想だが、確かにタネたり得るアイデアだが、現実を見ての通り次代を支えるだけの力はまったくない。

 2つ目の「IT」は、確かに1995年のウィンドウズ95以来、文化全般に影響を与えたが、その環境が国家の枠組みまでも変えるに至る思想的深みはまったくない。

 3つ目は広域に枠組みを変える力はあるが、これも思想的深みはなく、歴史上時々見られる融合策の1つに過ぎない。

 4つ目については、「対立(独立)」をゴルバチョフ書記長のグラスノスチ、「逆転(破壊)」をエリツィンと置けば、プーチンが3段階目となる。ただし、それだけのことに過ぎず、新しいものは目立ってない。

 5つ目は、西暦2000年1月6日に行われた省庁再編で、タネたり得るようにその時は見えたが、省庁の看板を変えたに過ぎなかった。



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kibino

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