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正解を求める日本人。自由を楽しむアメリカ人。

アメリカのドラマや少し古い映画で観るようなダンスの、レッスン兼パーティにニューヨーカーと一緒に参加した。

ステージからインストラクターが動きを教え、それに合わせてわたしたちがステップを踏む。すべて覚えたら、曲に合わせて踊るという流れだった。


わたしはレッスンの間ずっとインストラクターを見つづけ、彼らと同じように踊ろうとしていた。ステップがわからなくなるとストップしてしまい、どこから始めていいかわけがわからなくなる。そんな有様だった。


そんなわたしに、一緒に踊るニューヨーカーが、「インストラクターと全く同じようになる必要なんてないんだ。僕たちのペースで踊ればいい。わからなくなったら、感覚で踊るんだよ!」と言った。


周りを見てみると、インストラクターを参考にしてはいるものの、みな思い思いに踊っている。笑顔でとても楽しそうだ。

けれどわたしは「正しく踊らなきゃ」と思うあまり、いつのまにか難しい顔をしながら踊っていた。

インストラクターも、自由に踊るニューヨーカーたちに「Excellent!」と言い、うれしそうに手を叩いていた。




マンハッタンのクラブに行ったときもそうだった。

その日はハウスミュージックのイベントだったのだけど、型にはまらずみんなかなり自由に踊り狂っていた。

わたしはハウスのことをよく知らないのだけど、ダンサーの友人いわく、日本のハウスのイベントはもっとみな型にはまって踊るのだそう。

「音楽のジャンルにとらわれず、好きなように踊っていいんだなと感じた」とその友人は言っていた。




わたしたちはどうしても、「正解」を探しがちだ。その正解を求めて、楽しむことを忘れてしまうことも少なくない。

本当は「こうしたい」「こういう風に踊りたい」が大事なのに、「こうすべき」「こう踊らなきゃ」と思ってしまう。そうやって、自分を縛って難しい顔をしてなかなか楽しめない。

それはダンスだけでなく、仕事、毎日の生活、人との関わり…生きる上でのあらゆることに言える。


正しさよりも楽しさ。

「〜すべき」よりも「〜したい」。


自分の気持ちに正直に生きている彼らを見ると、正解なんて求める必要なんてない。ただ楽しめばいい。一番大事で、けれどついつい見落としがちなことに気づくことができる。

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