目標は持たなくていい。ただおもしろそうなこと、今やりたいこと、楽しいことしよう。

最近ふと「わたしはなんで英語を学んでいるんだっけ」と思うことがある。その問いに、最終的に「暇つぶしのためだな」という結論にたどり着く。


本腰を入れて英語を学び始めた当初は、もっとそれらしい目標があった。「世界中を旅しながら、様々な国の人々と話して価値観を広げたい」みたいな、かっこよさげな目標があった。

けれど今は「そんなことどうだっていいのかもしれない」と思ったりする。もちろんそうなれたらいいなあと思うのだけど、まあ、そうなれなかったとしてもいいかなと思うようになってきた。


目標を見失った、といえばそれはそうなのだけど、それで途方にくれた感は不思議とない。もしも身につけた英語が将来なんの役にも立たなかったとしても、まあそれはそれでいいや。暇つぶしだと思って勉強しよう、くらいに思っている。


最近になって、わたしは暇つぶしのために英語を勉強しているんだなあと気づいた。語学学習は、適度に難しく、楽しく、成長を感じられるとっておきの暇つぶしなのだ。

もはや「英語ができるようになったすごい自分」よりも、英語を学んでいく日々の過程が楽しい。だから目標がぼやけても、日々英語を学ぶことをやめようと思わないのかもしれない。

ただ、英語が話せるようにるってどういう感じなのか知りたい。話せるようになる過程がおもしろい。それだけなのだ。




こんな目標を持たない語学学習があっていいのか、と思うときもあるけれど、いまわたしの中には、「英語を話せるようになってこれがしたい」という目標よりも「英語が話せるようになってみたい」という好奇心の方が強い。

だから、目標を持たない語学学習だってあっていいんだと思う。




思い返すと、明確な目標があった頃の方がつらかった。目標に近づけていない自分を責めたり嘆いたりしてなんだか忙しかったように思う。それはそれで楽しかったけれど、しんどかったなという思い出の方が強い。


世間では、「目標を持つことはいいこと」「目標を持て」と言われているけれど、別になくてもいいと思う。そんなこと考えずに、ただ「やってみたい」「楽しそう」という気持ちだけで、物事をやるにはじゅうぶんだ。




目標を持たないメリットは、本当にやりたいと思えることしかやらないことだ。

目標を持つと、目標を意識するあまり「やりたい」から「やらなければならない」にいつのまにかシフトチェンンジしてしまうことがよくある。それで苦しくなってしまう。

けれど目標を持たないでいると、人と比べたり、やった方がいい(だけど本当はしたくない)ことに手を出したり、ノルマを課したり、無理にがんばったりすることがない。あくまで自分の楽しみや暇つぶしのためにやっているのだから、「がんばる」とは無縁なのだ。

楽しいことをやっているときのわたしたちは、無理な頑張りや、自己否定とは正反対の場所にいる。



何かに取り組んでいるとき、苦しんだり、辛くなったりするくらいなら、目標なんて捨ててしまっていい。そういう選択肢を持っておくことも、悪くないと思う。

目標も将来の見通しも未来地図もなんにもなく、ただ今やりたいこと、おもしろそうなことをやる。それでいいじゃないか。


人生はひまつぶしだ。そう思って、楽しいことしよう。



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