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他人との間に「壁」をつくらないニューヨーカー。

ニューヨークに来る少し前のこと。

あるテレビ番組の企画で、出川哲朗さんがサンフランシスコで「はじめてのおつかい」をする映像を見た。

彼は与えられたミッションを、英語が話せないながら魂で想いを道行く人に伝え、たくさんの人に助けられ、見事にミッションをクリアしていた。


出川さんに同行する、英語が話せる女性タレントが話しかけても道行く人は一向に立ち止まらない。にもかかわらず、英語が話せない出川さんの話はみんな立ち止まってちゃんと聞く。一生懸命聞いてくれる。

「できるできない」なんて関係ない。「伝えようとする気持ち」なのだと彼の姿を見て確信した。


出川さんには「迷い」がなかった。

「話しかけたら迷惑かな」

「断られたらどうしよう」

「下手な英語で笑われたら恥ずかしい」

「変な奴と思われないかな」

そういう「迷い」が一切ない。


「なぜそんなにためらいなく話しかけられるのか?」と聞かれ、彼は「わからない。同じ人間だからとしか言いようがない」と答えていた。きっと彼の中には他人に対する「壁」がないのだ。



ニューヨーカーも、みな他人に対する「壁」がない。


メトロの乗り換え方法、駅の場所、デパートへの行き方など、わからないことがあると、みなすぐさま誰かに聞く。そこに躊躇もなく、「聞いてもいいですか?」と断りを入れることもない。


とあるクラブへ遊びに行ったときには、バスルームで全身をチェックしていた女の子に、いきなり「どう?わたしの格好変じゃない?大丈夫?」と話しかけられた。

ビックリしたものの、「大丈夫、キレイだよ!」と答えると、満面の笑みで「ありがと!お互い楽しみましょ!」と言って彼女はバスルームを去って行った。


彼らは、他人との間に壁をつくらない。彼らは、周りに人々が自分と同じ”人間である”と思っている。

自分と同じ”人間”なのだから、「話しかけて迷惑じゃないか」とか、「話しかけるのが恥ずかしい」なんていう考えは一切ない。



わたしたちは、誰かに道を聞かれたら丁寧に教えようとするのに、困っている人に頼りにされたら助けたくなるのに、なぜ誰かを頼ろうとするとき、急に「迷惑じゃないかな」と考えてしまうんだろう。

なぜ見知らぬ人に話しかけようとするとき、「恥ずかしいな」と思ってしまうんだろう。

同じ人間なのに。



わたしたちは、同じ人間なのだ。他人とわたしたちの間に、壁などないのだ。あるとすれば、自分でつくっているだけなのだ。


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