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今まで楽しめていたものが楽しめなくなったとき、それはステージが上がったサインだ。

生きていると何度か「あ、人生のステージが上がったんだな」と感じる瞬間が訪れる。



わたしが今年の1月から3ヶ月間オーストラリアの語学学校に通っていたときのこと。英語を勉強できることと同時に、「学生に戻れる」ことに少しわくわくしていた。


大学時代は楽しかった。まさに「今を楽しむ」という感じで、将来の心配をせず、やりたいことをやりたいようにやっていた。

学校、校舎、友達。

たくさん飲んで遊んでバカみたいに騒いで。

試験やばいと焦って、みんなと一緒に勉強して、卒論に四苦八苦して…。

そんな大学時代の思い出が蘇って、もう一度あんな風に楽しい学生生活を3ヶ月間送れるかなとちょっぴり期待していた。




けれど実際は真逆だった。

まさに学生ノリがそこにはあった。けれどこれっぽっちも楽しめない自分がいた。


ろくに授業に出ず、宿題も復習もやらず、学校が終わったらバーに直行。遊びに夢中な人たちを見て「なんでこの人たちはここに来ているんだろう」と疑問しか感じなかった。



もうわたしは、大学のノリじゃ楽しめなくなっていた。

生徒の大半は20歳を過ぎている。少なくとも語学学習に入ることを自分で選択し、準備をし、海を超えてやって来ている。

けれど、自ら選択し、そして与えられたものを「めんどくさいからやらない」と言い、授業でも完全に受け身で自分から楽しもうとしない。「この人たちとは仲良くなりたくない」と心底思ってしまった。



彼らの気持ちはすごくわかる。宿題はめんどくさいし試験だってやりたくないしまして人前でスピーチなんてまじでしたくない。

飲んで騒いで楽しいことに浸っていたいのもわかる。


けれどもう、わたしはそこに楽しさを見出せなかった。とりあえず飲んで騒ぐよりも、学びの機会を楽しむ方がよっぽど夢中になれた。できないことができるようになっていく過程を楽しむ方がよっぽどわくわくした。

将来の夢を持って、そのために英語を真剣に学んでいる子たちと話すのがすごく楽しかった。そんな子達と、金土に羽目を外してクラブで踊りまくるのが楽しくて仕方なかった。



もう、学生時代の「今がよければそれでいい」わたしはそこにはいなかった。少しさみしかったけれど、仕方ないんだと思う。そういう風に自分は変わってしまったんだから。


これが「人生のステージが変わった」ということなんだと思う。楽しみを感じることが変わり、付き合う人たちも変わる。

ステージが上がったのか下がったのか、もしくは平行移動しただけなのかはわからないけれど、楽しみを感じる質は上がったように思うし、たくさんの素敵な人たちに囲まれるようになったので、「ステージが上がった」ということにしておきたい。



今まで楽しめていたものが楽しめなくなったとき、今までしっくりきていたことに違和感を感じたとき。それはステージが上がったサインだ。

今までのようには楽しめないけれど、もっと違うやりかたで、今まで以上に楽しむことができるようになる。


そうやって人生のステージは何度か変わっていき、より深く、心ふるえるよろこびを味わえるシーンが増えていくのだと思う。

人生って素敵だ。

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