個別対応国家からの脱皮

休むことを目的とした夏休みで、学生は塾に通い勉強をしている。本末転倒とはまさにこのことである。なぜこのようなことが全国的に行われているのか。親と学生が学校の勉強だけでは不十分であり、他の学生も塾に通うから自分も通いたいと思っているからである。なぜ学校の勉強が不十分ということに対して、サービス受益者である学生とその親は勉強の質向上を要求しないのか。それは多少なりとも教師を敬っているからであり、いつか期待に答えてくれるだろうと期待しているからである。

しかし子供を塾に通わせることは、その無言の信頼とは真逆の行為であり、「私はあなた達の教育を信用していません。または多少信用してますが、不十分だと思っています」という無言の意図を伝えている。しかし教師はそのことを一顧だにせず、学生が塾に通うのは社会常識だとしか捉えていない。

しかしそれ以上に問題なのは、学校教育の質が低いという問題に対して、親である自分は関与しないと無言の宣言をしていることである。家庭教育の放棄のみならず、学校教育に対する放棄が全国的に展開されており、格差社会を強めているという自覚を持っていない親が大半である。「他の学生がどうなろうとも知ったこっちゃない。しかし自分の子供だけは高学歴高収入を実現させたい」と思っている親が大半である。受験という競争において多少の自己中や個別対応は当然だが、それらが全国に蔓延しているのは問題である。

極端な個別対応を減らすためには、どうすべきか。答えは簡単である。子供を塾に通わせる家庭への税制上の教育費に関する優遇を全て打ち切るだけである。まぁ、簡単!

個人の極端な個別対応をひとつづつ止めることができれば、自分から遠い出来事に対して自分との関わりを感じる能力が高まり、積極的な働きかけ、改善要求を出す人が増えるだろう。

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