ただいてくれることのありがたみ

「大草原の小さな家」のチャールズのような父が欲しかった。

男前で、タフで勇敢で、ユーモアがあり、時に熱い涙を流し、自分自身の「言葉」を持っているような自慢の父さん。

少年時代、NHKで再放送が繰り返されていたこのドラマの中の理想的なアメリカンファミリーとその父親像に、僕はすっかり毒されていたように思う。

僕の目の前の父はというと、理系の化学博士で、不器用、空気読むの苦手、時にちゃぶ台返しするほど意味不明にキレる、にぎりっぺをしてくる、話題も自分の考えというより他人の考えを持ち出して語る、僕が10才の時の宿題で「大人の条件は?」と聞いたところの答えは「家族を養える経済力」。母親のガミガミに耐えに耐え、堪忍袋の緒が切れると大爆発するといった、当時の僕にとっては誇れるどころか恥ずかしいと思う父だった。

あれから30年。

僕も三児の父になった。三人目の娘はダウン症で生まれてきて心臓の障害もあったので、生まれてすぐ手術があった。そして一年後にも手術。我が子の入院や手術って自分たちではどうしてやることもできない緊張や不安、人間関係で結構疲れる。

そんなとき、真っ先に見舞いにくるのはいつも父だった。

年金暮らしだし暇ってのもあるかもしれないけど、「来なくても大丈夫だよ。」と伝えてもやってくる。ちょっとした差し入れを持ってやってきてしばらくそばにいるだけ。正直、お見舞いの時の励ましのことばって余計疲れることもあるけれど、一切そんなことを言わない父の存在は今までに無く頼もしかった。

子供をダウン症の専門医に診せるために遠出する当日、風邪でダウンした妻の代わりに急遽一緒にきてくれたこともあった。

車で向かう道中、父が話すことと言えば相変わらず特にためにもならないニュースの話題や雑誌の話。

僕はハンドルを握りながらいつものように「ふーん。」とか「そーなんだー。」ってそっけない相づちをうっていたけど―――。

心の中はといえば、父なりの愛のかたちに今更ながらに気がついたこと、父がただそばにいてくれることへのありがたみでいっぱいで、泣いてしまいそうだった。



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