完全に終わっているリサとガスパール

リサとガスパールはとってもなかよし!今日も二人でおでかけをしています。

デパート、レストラン、大きな書店と行き、喫茶店前の信号を過ぎたあたりでリサがガスパールに話しかけました。ねえガスパール、昨日の夜からわたし、文学ってくだらないなって思い始めたの。ガスパールは驚きました。どうしてだいリサ、こないだまでは沢山小説を買って読んでたじゃないか。リサは答えます。だってわたし馬鹿馬鹿しくなっちゃったのよ、みんなして文学性があるみたいな顔して、小説は特にそうだけど、完全に嘘の話を書いてるじゃない。あなたは本当にそう思ってこの文章を書いたの?っていちいち考えるようになっちゃったのよね。当人の内面性を如実に反映する文章こそが、本当に文学と呼ぶにふさわしいと思うの。ガスパールは本当に驚いてしまいました。君ってやつはまったく、いつから事実主義になっちまったんだ?ガスパールは一旦そっぽを向いて、それからまた向き直り、うーん、それじゃ、と訊きました。君がもし文学を書いて、と頼まれたなら、君は君自身の表現で、君の内面性を表現することに努めるってことかい?リサは即答しました。ええ、わたしは既存の表現なんかに頼らないわ。

そんなわけない、そんなわけはないのだ!ガスパールはいきなりまくし立てました。別に何かを代表して語りたいわけでも何でもないし意識の低い話だからあんまり真面目に捉えてほしくないんだけども、えっと、文学が内面性ありきのものだとしたら、いや、内面性なんていう高尚な言葉すら使いたくないんだけどそんなことはどうでもよくて!現存し文学と呼ばれている全ての文章は先人らが開発してきた演出の歴史と継ぎ接ぎの塊でしかなくて、だって、そういう話はよく聞くでしょう?誰々に憧れて文筆家になった、とかそういう人はまず表現の真似から入るだろうし、ということはつまり、本当の文学は文学を書こうとしていない人間の備忘録とか雑記の中の薄すぎる文章の奥底にあるということになる!ガスパールはここで一呼吸置き、少し考えてからもう一度喋り始めました。例えば、例えばですよ、現代で言うなら、ツイッターで例えましょうか、ええ、例えば、プロフィールに「ただの日記なので見なくていいです。」とだけ書かれた2011年6月登録でフォロワー14人、プロフィール画像とヘッダー画像がどちらも恐らく本人が大した知識も無いまま撮った下手くそな写真に設定された、いつ更新が停止するかわからないような、そして停止しても誰も悔やまないような、完全に取るに足らない、と少なくとも僕はそう思う、そういうアカウント、そこから数ヶ月ぶりに発信された、「誕生日だからケーキを買いました」から始まるケーキの感想を綴る味気ない文章、もしくは誕生日がそのケーキを食べたこと以外は全部日常だったという旨の多少の補足、これがまさに文学そのものということになる!君が書くと宣言したのがこれだ、君は本当にこんなものを文学と思えるのかい?いいや、思えないだろう。君は絶対に、どこかで、表現において、気取る。気取るし、媚びだって売る。ガスパールは左手首にかけた金の時計を見やり、さらに話を続けます。もっと言及するなら、えーと、それじゃ小説家とかはどうだ?そういう人たちが本当に、内面的にというか想像的にだけども、本当にそう思って物語やら何やらを書いているならお笑いだ!北欧神話を書いた人、誰だか知らないけども、そいつがもしニーズヘッグって変な名前の蛇か竜かわからないようなキモい生き物が毒を撒き散らしながら聖樹ユッグドラシルの根本を齧って生活していると本当に信じているのだとしたら?馬鹿げてる!いや北欧神話に関しては本当にそう思っている頭のおかしい人がそのとおり書いて広めた可能性が捨てきれないから例としては不適切かもしれないがとにかく!誰かが本当に思っていることを書いたのが文学なら、内面性を反映するのが文学だとのたまうなら、文学というのはそれそのものを楽しむ目的じゃなく、本当にこんなことを思っている人がいるんだよといういわば狂人の図鑑として楽しむものになってしまわないか?もしかして僕が知らないだけで文学ってそういうコンテンツなのかしら?もしそういうことなら申し訳ない、僕が間違ってるのでもう聞かなくてもいいですが…ここでガスパールはリサのほうを見ましたが、リサは(続けて)みたいな顔をしていたので遠慮なく続けました。つまり、というかこんな長い前置きも不要だとは思うんだけども、文学というものがこれまでちゃんとした文化として発展してきた以上、文学は、その、えーと、いかに自分の中にある世界を、上手い表現方法で言語化するかの競技みたいなものとして捉えつつ、でもそこには目をつむって、暗黙の了解というやつだね、それで楽しむのが適切なんじゃないだろうか?どうだい?ガスパールはもう一度リサを見ました。

リサはガスパールの半ば説教のような演説を一言も反論せずに聞いていましたが、ガスパールの話が終わった途端、表情を全く崩さずにこう言いました。それじゃ、言い方を変えるわ。そうやって競うみたいなのも、本当にくだらないわ。

ガスパールは叫びました。ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!お前にはわからないんだ!文学を書くことの面白さも、表現を学ぶことの素晴らしさも、お前には一生わかりっこないんだ!ペトリコールという言葉にありえない重量の詩的なエッセンスが含まれてることだって、サイネージという言葉に日常と非日常とが最高のバランスで同居してることだって、お前には知りようがないんだ!それからガスパールは、ここが道の真ん中だということに気づいて少々赤面しましたが、そのやや熱血的すぎる主張はやめませんでした。お前は最悪なんだよ!メタ視点より最悪なことをやってるんだ、その自覚が無いならいい加減に、うん、いやとにかく僕は…えっと、うん、いやごめん、君がそう思うんなら、もうそれで構わない。構わないと言うよりしかたない。とにかく君には文学がわからないし、文学だって君のことを理解してくれはしないだろう。ただ、ひとつだけ言いたいのは、君の文章をもう誰も読んでくれはしないということだ。文学性を捨て、自分の内面性だけにこじれた奴の文章なんて誰も読まないだろうさ。これだけは確実だ。

リサはしかし、それでも言い返しました。それでいいわ。わたしだけがわたしの文学を読んで、認めてやればいい。それこそが本当の文学だわ。文学をわかっていないのはあなたよ。

その瞬間、側面にnonsenseと大きく殴り書きされた巨大なトラックが前方からやってきて、二人を容赦なく轢き殺して走り去って行きました。二人の死体は片付けられ、二人がいなくなった後も全く問題なく街は機能しました。

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