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三倍の家を作っても三倍の収入にはならない時代[36歳からの大工さん見習い日記7週目]

36歳からの大工さん転職日記シリーズ。
かれこれ一ヶ月半が経つ。
まだまだいろんなものがまっすぐにならない。
「大工は下地だぞ。下地が綺麗に作れてりゃ、あとはその通り仕事していけば綺麗に完成する」
70を過ぎたおじいさんに教えられる。
見えなくなる部分が大事なのだ。

今回は道具が良くなって仕事は三倍の速さになったのに、三倍のお金はもらえないということについて考えてみる。

あんまり大工見習い日記らしからぬ内容ではあるけど。

昔と比べると家を作る大工さんの仕事は物凄く時間が短くなったそうな。

大工さんの仕事は、コンクリートの基礎だけあるところから、家の骨組みを立ち上げて、壁や天井なんかを作ったり、窓をつけたり、ドアの枠を付けたり随分といろいろある。
とにかく木を切って、組み立てるというのはほとんどが大工さんの仕事だ。

この木を切るというのも、大昔はノコギリとノミとカンナでギコギコやっていた。それが電動の丸ノコやらなんやらが出てきて、最近は専門の工場でプレカットと言って加工された状態でやってくる。
だから、昔は上棟、家の骨組みを立ち上げるまでに、自宅の横に工場があって、そこで三ヶ月くらい骨組みの木を正しい長さにカットしたり、木を継ぎ合わせホゾなんかを掘ったりしていたわけだが、それもなくなっている。
だから、カンナなんかはほとんど出番が無い。

クギを打つにしても、昔みたいに玄能(金槌)で叩くことは少なくて、今はエアーのガンで引き金を引けば釘が打てる。ただ、コイツは結構危ない。エアーの衝撃ではねたり、ズレて指を打ったりする事故がある。50mmの釘なら良いけれど3寸、90mmなんかでやらかすと大変らしい。
それでも、危ないとは言っても、玄能で一本釘を打つ時間で5本くらい打ててしまう。特に斜めに釘を打つところなんかはガンで打つと一瞬だが、玄能で打つのは難しい。玄能の出番はどうしてもガンが使いにくいところなんかや、ガンで打った後の修正、木を叩きこんだりするといった具合になる。とはいえ、やはり今も玄能は必須だけど。

ーーー

そうやって考えると昔よりも三倍かそれ以上の速さで仕事は出来るようになっている。
つまり三倍以上仕事できるようになっているわけだ。

じゃあ、昔よりも三倍儲かるようになったかと言うとそうでもないらしい。

むしろ、昔より大工さんの収入は落ちているそうな。

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恐らくだが、ガンや丸ノコが現れた最初の頃は、三倍の速さで仕事すれば三倍の収入だったのだろう。

でも、そういった新しい道具をみんなが使って、その速度での仕事が当たり前になると、
「何ヶ月で仕事終わるんでしょ? じゃあ、その分の金額で」
となっていったんだろう。

むしろ、そういう道具が当たり前になると、昔ながらの熟練の技術がなくても、仕事が出来てしまう人も増えて行く。
それこそ、工場プレカットになって、釘のガンとインパクトドライバーで垂木を止められるようになると、必要な技術は少なくなってしまう。

そうなると熟練の技術に対しての価値が下がって、むしろ、金額は落ちてしまったのかもしれない。

ーーー

これは大工さんの仕事に限らないだろう。

僕は前職が住宅営業だったのだが、YouTubeを使いまくって、売りに売った。

でも、冷静に考えれば、動画で全世界に向けて、住宅のCMを流しているわけで。
一昔前だったら、テレビに流すのに何百万円、映像を作るのにも何十万円とかかったわけだ。
それが、iPhone一つで一時間もあれば出来てしまう。

ちょうど僕が売りまくった時は、コロナの時代の頭で、YouTubeが爆発的に伸びて市民権を得た時期だった上に、僕の働いていたのは地方の会社だったので、そのエリアでは他の人は全然やっていない時だったから、その地域では独占状態で家が売れたと言っても良いだろう。
コロナで他のところが全く売れない中、YouTubeとzoomで独占状態をやっていた。
会社の他の人も出来なかった。
他の業種から移って、何の固定観念もないまま、こうしたらお客さんに分かりやすいんじゃないかってことを出来たのが良かった。

ーーー

でも、そんなYouTube営業も、今はまだまだ売れるだろうけど、もう十年も経てば当たり前になるんだろう。

何せそんなに難しいことじゃない。
お客さんが知りたいことを百個くらいリストアップして、iPhoneで自撮りして、字幕つけて簡単に編集してアップするだけだ。
あとはホームページと問い合わせフォームが作れて、LINEやメルマガを作るだけだ。
そんなに難しいことではない。
でも、今のところ、それが出来る人は少ないらしい。

ーーー

でも、根本的には丸ノコとエアーの釘打ち機と同じなのだ。
今では当たり前で使わないなんてありえないけど、出た当時は扱いづらいし、買うにもお金がかかる上に、壊れたらお金もかかる、手を出しにくいことだったのかもしれない。

マーケティング理論でアーリーアダプターとかあるけど、それと同じで、どんなに便利なものでも、新しいものが出て普及するには時間差がある。その時間差の中で改良もされる。

そして、改良されて、みんなが使い始めた時にはメリットはあるけど、しばらくすると、それが当たり前になってメリットじゃなくなって当たり前になる。

ーーー

でも、それって少しへんてこな話のような気はする。

だって、家は必要だ。
家を買わないといけない。
あるいは借りないといけない。一軒家じゃなくてアパートにせよ、すまいにはそれなりのお金を払わないといけない。

でも、作る人は三倍の量を作っているのに、収入は変わらない。
だけど、払う人は昔と大きくは変わらない金額、あるいは時代とともに経済が成長することで昔より金額は高くなる方が多いだろう。

じゃあ、そこのお金はどこに消えているのか?

住宅会社が持っていくのか?
そんなわけでもない。
確かに、住宅業界の構造として少しいびつなのが営業が多くを取るということがある。僕も頂いていた側なので分かるが、これだけの仕事量でこんなにもらって良いのかという感はある。代わりにストレスは積もるから、まあ、正当な収入とも思うし、しばらくはやるつもりはないけれど。

何にせよ三倍の速さで仕事が出来て、職人のお金は変わらないのに、買う側はむしろ高くなる。
どこにお金は消えていくのか。

ーーー

この問題、よくサラリーマンでは取り上げられる。
要は仕事を効率化してもインセンティブがなかったら、社員は効率化するメリットがないというものだ。
これは効率化されて収益が上がっても、サラリーマンにはあまり返らなくて、経営者や役員、株主が取るからだ。

ただ、大工さんの場合は、自営業なので少し違う。本来は道具に投資して、仕事が効率化されたら、そのまま儲かる、インセンティブになるはずなのだ。

でも、実のところはそうならない。
短期的には、効率化すれば収入は上がるにせよ、マクロな視点で見ると、結局、人間の仕事の単価は、その職種の平均的な仕事を基準に決めてしまうので、みんなが効率化してしまって、みんなが出来るようになると、10年前の三倍仕事をしたとしても、収入は変わらない。

やっぱりこれは変だ。

ーーー

この問題は実のところ、資本主義の問題のようにも見えるし、人類が大昔から抱えている問題でもある。

資本主義の問題として見ると、結局のところお金のやり取りというのは、お金のやり取りであって、根本的な資源なんかは増えることはない。その辺りは養老さんのバカの壁なんかに分かりやすく書いている。
ベースとしてお金というものが、交換の価値基準のシンボルとして働いているので、みんなお金持ちになると、お金の価値が下がる。大量生産、大量消費すると、たくさん作ってもお金の価値自体はうまく行かない。うん、うまく説明しようと思うと難しいね。
でも、簡単な言い方をするとみんな金持ちになると、みんな金持ちじゃなくなってしまうって考えると分かりやすい。
お金というものは、案外、危うい。
お米はたくさん増えても、価値は減らない。お腹いっぱいになるから。
お金は増えると価値が落ちる。
これは資本主義的な問題の側面だろう。

人類が大昔から抱えている問題という面で言うと。
狩猟採集の放浪の時代から、定住農耕の時代になって日々農業を頑張っても、蒸気機関ができたり産業革命が起きて簡単にたくさんのものを作れるようになっても、意外なまでに人間の暮らしは楽にはならなかったってこと。
定住農耕することで、食料のは備蓄を備えられるようになったり、集団の人数を多くすることが出来たり、良い面が多いように見えるけど。実のところ、定住して農耕するのはとても大変な作業だし、多くの人口を支えようと思うと天候なんかの関係で不作の年が来ると壊滅的なダメージを負うことになる。
ものすごく効率的で生産性の高い素晴らしい物が手に入ったように見えても、人間の収入は実は不思議なまでに変わらない。

ーーー

収入が変わらないだけなら良いんだけど、技術が失われていく。
昔ながらの日本の数奇屋造りの家を建てられるような大工さんはもう少ない。
確かに昔よりも日本の家は頑丈で地震でも倒れにくくなったけど。
今の家にはたくさんの金属部品が入っていて、木と木を接合している。

たくさん速く作れるようになったけど、当然、必要な家の数は変わらないから、大工さんも減っていく。

大工に限らず、服だって、昔ながらの製法で縫う人はいなくて、ほとんどが工場で大量生産されていて、昔よりも服を作る人は減っているのかもしれない。

ーーー

最終的にはすべてロボットと言わずとも、そもそも働く人はずっと少なくなって、ほんの一握りの人だけが働く世界が来るかもしれない。

そうなると仕事っていうのは、むしろ働く喜び、楽しさみたいな立ち位置になってきて、働いてもお金がもらえないって世界が来るかもしれない。
趣味として働く。
別に働かなくてもお金はもらえる。ベーシックインカム。

ここで問題がある。
お金がもらえなくても働きたいと思う人はいるのだろうか。
完全にロボットが全て働いてくれたらこの問題は起きないけど、やはり少数の人は働かないとロボットを指示したり出来ないとしたら、どうしても誰か働かないといけない。
大工にしても、便利なロボットが出来ても、使いこなしたり、チェックしたり、直したりするのに、建築や大工の知識が必要な場面は残るだろう。
どうしても、技能のある人間が働かないといけない面は出てくる。

そうなると、やっぱり仕事とお金は切っても切れない。
お金じゃないインセンティブでも良いだろう。

ーーー

何だか話がドンドンへんてこな方に向かっている。
別にそんな資本主義どうこうの話がしたいわけでもない。

ただ、いろんなことが効率化されて、自動化されて。

仕事の面白みというのか、プロの技巧というか、そういうのが失われていくのはどうも寂しい気がする。

とはいえ、そんな便利な道具がたくさんある今の時代でも僕はまだまだ何も出来ないのだが。

それでも、今の時代、早ければ三年で独立する人もいるという。
五年もすれば僕も大工として独り立ちしているのだろうか。
まだまだ見習いで日々筋肉痛の現状ではさっぱり想像もできない。

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