OTG#02_20190327

大塚ギチへのインタビューは2019年の3月27日、4月4日、4月12日の3回に分けて、西新宿の大塚の自宅で行われた。録音時間は計8時間に渡り、ここでは約1時間分ずつテキスト起こしという形で紹介していく。

生前の大塚の言葉をなるべくそのまま残したいという目的から、カットや修正は最小限にとどめ、ほぼノーカットでお届けする。そのぶん話題の繰り返しなど、冗長な部分も残っているが、療養中の大塚の話にゆっくり付き合う雰囲気を感じていただけたらと思う。

なお、生前の大塚は転倒事故とそれによるクモ膜下出血の後遺症で、記憶に障害を負っており、転倒前後からの記憶には喪失部分や誤認、思い込みなども多く混じっている。そのため本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みいただきたい。

聞き手・構成・写真 野口智弘(※写真は往時のアンダーセルの応接間で、収録が行われた大塚宅とは異なります)
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【#01】 【#02】 【#03】 【#04】 【#05】 【#06】 【#07】 【#08】

(※5月8日17時に『ファイブスター物語』に関する訂正情報を追記しました。詳しくは記事中の該当部分をご確認ください)

(#01から)

紙の時代、ネットの時代

――ちょうどたまたま調べてて目に入った数字なんですけど、PS4でソニーが相当な力を入れて出した『Marvel's Spider-Man』というゲームがあって。

大塚 ああ、はいはい。

――世界的には3日で300万本以上とか売れてるんですけど、日本の初週の本数が12万本とかなんです。90年代の当時だったら国内で50万本や100万本は全然売れるような――まあ、世界的には売れてますけど――いまPS4で『Spider-Man』、あれだけ出来もいいのに日本ではそんなもんかあ……みたいな。

大塚 だって俺の後輩の海猫沢めろん(小説家/大塚の義援金管理人のひとり)って作家がいるけどさ、あいつがこの間出した『キッズファイヤー・ドットコム』って評価も高いし、マンガ化もいまされてるし、好評なんだけど、初回の冊数とか聞くとさ、やっぱりたまげるよね。初版**部だよ? まあ、「重版かかりました」と喜んでたけど「重版で何部かかったの?」と聞いたら「**部です」って、足しても**超えてないんだよ。

――うーん。ゲーム攻略本のすごい売れてた時代があるわけじゃないですか。

大塚 むちゃくちゃ売れてたよ。

――じゃあいまどうしてるかと言えば、みんな攻略Wikiは見てるわけで、みんな貧乏になってるけど便利にもなってるというよくわかんない状態に。でもデジタルってそういうことかと思いながら、90年代はまだお金あったんだなあというのが逆説的にわかるというか。

大塚 うーん、だから紙は本当に厳しいね。で、KADOKAWAもそうだけど。KADOKAWAは俺がフリーの頃からずっと長い付き合いだからよくわかるんだけど、ドワンゴが大赤字になってるわけじゃん。要はデジタルで失敗しちゃってるわけだよね。だから昔持ってた本の作り方というもの自体が事実上崩壊しているわけで、それをドワンゴと一緒に何かコントロールしようと思っても、ドワンゴにその知識はないわけでさ、うまくいかないんだよね。まあ、出版業界の片隅でいちおう生きている人間としては、どこの出版社も相当厳しいというか、厳しいどころじゃないよね。ビジネスモデルを変えていかないとどうにもならない。

――うーん。で、ドワンゴは学園祭の場所は貸してたけれども、そこで音楽だったりいろんなコンテンツを作る力を持った人たちが、卒業してからニコニコに戻ってくるかと言うとべつにそういうことではないわけで。

大塚 これに関してはストレートに言えるけど、ドワンゴさんとお付き合いをさせていただいた身として実感したものは、本当に場の提供しかないのよ。コンテンツを作ること自体に彼らは何も労力は割かない。コンテンツを作るのは発信する側であって「場所は貸しますけども」ということなんだよね。しかもバンッバン担当が変わってくる。辞めてくから。

――わりとデジタル全体が担当の人が替わるのが早い感じは、僕もネットメディアで仕事してると思いますけどね。

大塚 本当にネットメディアに関してはそうだね。で、辞めたという報告もなかったりとかするから、担当不在でやらなきゃいけなかったりすることも多かったしね。それが「ああ、この人たちの考え方はそうなんだな」とは思ったけどね。で、それがいまも露呈はしてるしね。だから何だろう、「場所さえあれば」というのはわかるけれども、場を提供してくれるのはわかるけれども、全責任こっちに負わされる状況だからね。ドワンゴが大幅に赤字になるのはわかるよね。ニコニコよりもYouTubeのほうがやっぱりパワーがあるしね。

――超会議の場は盛り上がってるんでしょうけど「じゃあイベントに力入れて行けばいいのかな?」みたいな方向性には異論もありますよね。

大塚 あれも結局は場を貸してるだけだからね。ドワンゴが何かコンテンツを提供してるかと言ったら提供してないからね。コンテンツを作ってるのは外部の人間たちなわけじゃん。

――まあ、今日のお題はドワンゴ批判というわけでもないので。でもそういうコンテンツを作りたい、メディア的なところで発信したい、かつてのアンダーセルなり大塚ギチという形ではないかもしれないけども、まだもうちょっとメディアの役割ができるんだったらやりたいな、という感じはあります?

大塚 うーん……。当然編集者、ライターとかデザイナーとかさ、そういうこともふくめて30年やってきたわけだからさ、それなりに責任感もあるし、今回の自分の怪我の問題とかでアナウンスさせてもらったら、やっぱり「書いてほしい」ということをリアクションで相当いただいているので。

――でもこれは電話でも言いましたけど、大塚さんの場合の「書く」というのは、健常者だった時代から相当な集中力、体力を言わば削りながら書くわけじゃないですか。

大塚 まあ、基本的には命削りながら書く人だからさ(笑)。量産タイプの人間じゃないからね。

――日常ほのぼのエッセイではないわけじゃないですか。日常ほのぼのエッセイに命賭けてる人たちを馬鹿にしてるわけじゃないんですけど。

大塚 うん。日常ほのぼのエッセイで世界を変えられるのかというか、人の価値観まで変えられられるんだったらべつにそれは全然構わないんだけど。要はここまでの経験をしたらさ、その経験のなかからでしかものは書けないというのはあるし。あとなんだかんだ言って、いまは俺は基本的にアーケードゲームの側に身を置いていると思うんだけど、上の世代も下の世代もそうだけど、正直言うと俺、全っ然そいつらが書いてる文章を面白いと思わないんだよね。

――(笑)

大塚 なんでかと言うとプレイヤーになってる人間たちってさ、クレイジーなわけじゃん。そのクレイジーな人間たちの生き様というのがさ、全然発揮されてないんだよその文章に。

――いま基本的にみんな、記名であれ無記名であれ顔は隠したがるというか、個人を特定されないような書き方がスマートなのかな、というふうにモワンと思ってるのかもしれないですね。

大塚 だから『バーチャファイター』というものにさ、なんでここまで俺は惹かれてるのかと言ったらさ、やっぱりあいつらクレイジーすぎるんだよね(笑)。

――いやー(笑)。

大塚 で、あのクレイジーって『バーチャ~』の(ゲームとしての)域を超えて、人間としてクレイジーなんだよね。あいつらが言ってることとかやってることとか酒飲んでも思うけども、あいつら本当にイカれてるからさ。それが『バーチャファイター』というゲームをきっかけに集まっていて、「あいつらのことを書きたい」というのはやっぱりずっとあるので、定期的に書かせてもらったりはしてるし、それで20年以上前に書いたものがいまだに支持されて、数年前には大舞台で(舞台化されて)ね。


『麻雀放浪記』とバーチャ勢

――奇しくもこの新宿ですけど、麻雀がわからなくても、阿佐田哲也(小説家/雀士)の麻雀小説に出てくる新宿のおっさんたちがこんなに濃くて面白いということはわかるわけですよ。

大塚 うん、おんなじだよ。俺も阿佐田哲也さんの『麻雀放浪記』とか読みまくってるんだけど、後期の『麻雀放浪記』がじつはすげえ面白くて。それはなんでかと言うと、坊や哲(ぼうやてつ)とか『麻雀放浪記』の主人公格の人間たちが当然大人になっていくわけじゃん。で、過去に接してきていた、命を賭けてやって――で、死んだ人間たちも多いんだけど――そういうのに比べればなんかヌルすぎてさ。

――なんか平和と引き換えな気はしますけど。

大塚 それで坊や哲とかが「いまの麻雀は……」みたいなのを言ってるのを、続編でだったかな? 後期の『麻雀放浪記』は初期の英雄たちがもうロートル(年寄り)になってる、ということもふくめて俺は『麻雀放浪記』っておもしれえなあと思って。で、阿佐田哲也ってあの人さ、ゲラ(チェック用の試し刷り)読まないんだってね。

――へえー。

大塚 なんかで読んだことあるんだけど。だから結構乱雑に文章を書いてるんだけどさ(笑)。ただその辺に関してはやっぱあの人も麻雀打つ人だったからさ。で、時代とアウトローだった自分とのギャップがどんどん発生してるというのがね。

――また本人の感覚も読者が勝手に思ってる阿佐田哲也像とも違うでしょうしね。

大塚 なんかそこがね、俺のなかではいまだに引っかかりがあるから。『バーチャファイター』をやってるプレイヤーたちもどんどん大人になって……というか年齢重ねてさ、あいつらもそれでも『バーチャファイター』にしがみついて「新作が出ない」「新作が出ない」「新作出してくれ」っつって言ってるけどさ、もういい歳だからね、あいつらも。で、そういうこととかいろいろ知っている物書きというのも数少ないからね。

――うーん。2、3年前に大塚さんに「アーケードっていうなくなりつつあるものを見届ける感じなんですか?」みたいなことを一回聞いたことがあって、それに対してはYESでもNOでもない答えが返ってきたように覚えているんですけど、いま仮説として思ったのは、アーケード、ゲームセンターが閉じようが閉じまいが、そのゲームの新作が出ようが出まいが、狂ったプレイヤーたちが生きてる限りは(笑)、たぶんアーケードシーンなんだなというか。まあ、アーケードの筐体がないといけないという最低限の縛りはあるんですけど。

大塚 まあね、いろいろと身内からも話は聞くし、(ゲームセンター)経営者からも話は聞くし、いま自分でどう思ってるかと言われると、海外のアーケードシーンとかもふくめて……うーん、最終的にはなくなるよ。

――うーん。

大塚 新作は出ないからね。で、新作を作ってる人もいるけれども、最終的にはなくなるよ。

――仮に新しい何かが出たとしても、その人たちの望む100%のものになるかどうかは別の話で。

大塚 ならないよねえ。うん、ならないよ。だからいまの状況をどれだけ延命できるかということにみんな注力を注いでいる状況ではあるなあ、というのは自分でも実感するし、それを全部すべて解決して、かつてのバブルみたいな状況を作れるかと言ったらそりゃ無理だよ。

――うーん。日本が景気がよくなって、また昔のような大型筐体がバッカンバッカン出てきて、それで俺は果たしてゲーム人生幸せになるだろうか? と言うとそれもまたなんか。

大塚 うん。だから大型筐体ができたとしても、それでブレイクするかと言ったらブレイクしてないからね。スクエニさんとかもふくめていろいろと出しているのは知っているし。ただ従量課金という問題もふくめて、ゲームセンターにとってはパーセンテージを相当持っていかれてる事実もあるから、これから何か出てきてもべつにゲームセンターの経営は、今年なんかも倒産数はめちゃくちゃ多いからね。だからそこは回復しないでしょう。

――そうこう言ってるうちにコンシューマーのほうではGoogleが「STADIA」というのを発表して「もうウチのサーバーでやっちゃって、その映像だけ届けるんでゲーム機買わなくていいですよ」みたいな、ゲーム機とか物がどんどん「あれはべつになくてもいいものだったのか」みたいな感じになっていますけど。みんながお皿(ディスクメディア)を買いたいからお皿を買ってるわけでもないわけで。

大塚 まあ、家庭用に関してはネットワークを使っている以上は遅延というのが最大の問題だったりもするし。

――格ゲーとか音ゲーの人は遅延があるからだいぶ懐疑的なことは言ってますけどね。

大塚 うーん。なんだろうね、やっぱりコミュニティとかそういうこともふくめてアウトローの場が――そこはさっき言った、(『麻雀放浪記』の)坊や哲と同じなんだけど、アウトロー性みたいなものがある場がもともとガキの頃から好きだったし。家でやってるとそれ(アウトロー性)も失われちゃうからね。だから俺、純粋にゲームが好きかと言うとガキの頃からずっとゲームやってたけど、ゲームは好きだけどそのコミュニティというか、中学とか高校の頃も地元のゲーセン行って、年上の連中と一緒に遊んだりとかさ、夜は背伸びしてコンビニで酒買って(笑)、ゲーセンで酒飲みながらゲームやったりとかさ、そういうムードとかそういう夜遊びとかとイコールなのかな。やっぱり(ゲームセンターも)風俗だったんだよね。それが好きだったからさ、それは失われるよ、確実に。これからそれが復活することはないよ。どんどん目減りしていくだけだから。だからそこを見届けるというのはひとつの仕事ではあるんだろうし、それをツイッターとかでも、昔のゲーセンみたいな雰囲気というか、そういうのが好きな人間たちは若い子でも俺より年下の子でも結構いるけど、それは難しいなあ、とは思ってはいるよね。ただそういう子たちのハートに届くものは書きたいなあ、とは思っているし、いまあらためてそれは強く感じているよね。それを書けるのってあんまりいないからね。あんまりというか全然いないんじゃない? 俺ぐらいじゃない?(笑)

――そうですね。ゲームのことを書く人はほかにいるかもしれないけど。

大塚 人と喧嘩をさ、ガチでしたりとかしながら(笑)、ゲームのことを考えてる奴っていないでしょ。

――(笑)。今後どれぐらいそこの話が出るかわからないですけども、僕は喧嘩をしないお子さんだったので、ゲームセンターに行くことはあってもカツアゲに遭ったこともなければ、殴り合いもなかったですけど。

大塚 うん(笑)。

――どうだったんですか? 『バーチャ~』の頃の新宿西口は?

大塚 いや(笑)、その頃は俺は(喧嘩)してないよやっぱり。

――じゃあ北海道時代とかですか?

大塚 まあ、ガキの頃はしてたけどね。その後も言葉で立ち向かうこととかはさんざんしてきたつもりだし、それでの経験はあるよ。言葉の喧嘩はしてるし。だけど手を出すことはなかった。それはさすがにしないよ。ただそれのタガが外れたのはこの退院後じゃない? 退院して一気に柄が悪くなったというか(笑)、どうでもよくなっちゃったんじゃない? べつに怖いものがないからさ。

――幼児帰りなのか何なのかわかんないですけど(笑)。

大塚 退院してからは一時期やばかったなあ。

――でも逆に若い頃に暴力沙汰が少なかったのは(大塚ギチのイメージからは)ちょっと意外な気はしますけど。

大塚 10代はあるよ?(笑)でも20代はさすがに仕事が結構忙しかったというのもあるし、自分自身の仕事人としてのキャリアとかさ、いろんなことをトライしなきゃいけない時期だったからさすがにしないけど。それより自分のことのほうが忙しかったからなあ。

――そうでしょうね。フラストレーションなりパッションの向かう先が、書くことに向かいますよね。


コヤマシゲトの線

大塚 とは言えね、この間ひさしぶりに――俺と一緒に会社を立ち上げたコヤマシゲト(デザイナー/アンダーセル創立メンバー)という絵描きがいるけど、野口はよく知ってるよね。

――はい。世間的にも有名な方になりましたし。

大塚 まあ、『ベイマックス』(コンセプトデザイナーとして参加)やってるからな(笑)。

――本当に世界のコヤマさんですから。

大塚 コヤマとちょっとひさしぶりに電話で話したんだけど、俺コヤマを直接殴ったりはしてないけど、椅子蹴り飛ばしたりとか結構してたらしいんでね(笑)。

――僕も大塚さんに胸ぐらつかまれるまではありますよ?

大塚 ははははは!(笑)

――覚えてます?(笑)

大塚 覚えてない(笑)。

――あれも新宿で、新大久保に近いほうでしたけど。まあ、べつに隠すことでもないんで言っちゃうと……。

大塚 はははは!(笑)ろくでもねえなあ、俺。

――僕がまだアンダーセル(大塚の会社)にいた頃で、ネイキッドロフト(北新宿のトークライブハウス)で藤津亮太(アニメ評論家)さんと小川びい(ライター)さんが年末にやってる、アニメ総まくりダベりイベントみたいなやつで、観客として大塚さんも僕もバラバラに座ってて。そのイベントは夜だったんですけど僕はもう眠くなっちゃってて、途中うつらうつらしながら聞いてたんですね。で、イベント終わって外出たら「お前野口、人のイベントでなんだあの態度は?」みたいな感じで……。

大塚 知らねえ!(笑)まったく覚えてねえ!

――いっしょに来てた宮(昌太朗)(ライター/アンダーセル創立メンバー)さんが「まあまあまあまあ……」って間に入ってくれたんで、宮さんに聞いたら覚えてるかもしれないですけど、結構そのまま大塚さんに胸ぐらつかまれて壁ドン。

大塚 壁ドン(笑)。

――ロマンチックじゃないほうの壁ドン。

大塚 壁ドンじゃねえよそれ!(笑)マイナス壁ドンだよ。

――お世話になってる人たちのトークイベントで寝ちゃったのは確かに失礼なんですけど、大塚さんに胸ぐらつかまれるところに飛び火するとは思ってなくて、そのインパクトが強くて覚えてますけどね。

大塚 全っ然覚えてないというか、まったくわかんないなあ……。

――じゃあその件は僕のなかで大事に取っておく必要はないんですね(笑)。

大塚 あっはっはっはっは(笑)。

――本人が覚えてないということで(笑)。

大塚 あの……大変申し訳ない。

――(笑)。でもそこまでには至らなくても、コヤマさんがキャリアをスタートさせていく段階で――確かに僕もコヤマさんから大塚さんの指導について「スパルタだったからねえ」みたいなことは聞きましたからね。

大塚 なんか最近さあ、ツイッターとか見てるとライターの倉田雅弘さんとかね、あの倉田(英之)(脚本家)さんの弟さんですけど、倉田さんとかが「さすがアンダーセル……」とか言ってるけど、全然そういう記憶がなくてねえ。

――でも僕がアンダーセルに入った2004年ぐらいの段階でもう「いやあ、大塚さん丸くなったよ」とかって言われてましたけどね。

大塚 あ、そうなんだ。

――でも少なくとも手を出されたのは……。

大塚 「手を出されたの」って(笑)

――そのネイキッドロフト胸ぐらつかみ事件ぐらいだったんで(笑)。あとは言葉でここはああしろこうしろとか、でもそれも全然ヒステリックなものでもなくて、ちゃんと根拠のあるダメ出ししか僕はされてないんで、世間的な(大塚の)イメージとは相当違うんじゃないかなあと思ってましたけど。

大塚 なんだろうな、シゲの……ああコヤマのね、コヤマの一件もそうだし、野口に対しての態度もそうなんだけど、ほかの人間にはあんまりそういうことしてないんだよ。設立当時から。口頭ではいろいろ言ってるのかもしれないけど、手を出したりはしてないんだけど。ただ手を出すケースというのは理由がはっきりしていて、みんなより仕事人としてのキャリアが俺のほうにあるわけじゃない? そのときにそれを裏切るような――それによって俺はいま生きているわけだから、それを逆なでするというか、それは経験値なわけだし、その経験をみんなにレクチャーしていくのが俺の仕事だというのはいまでもあるし、思ってたから。それを例えばコヤマの場合は寝ちゃってたりとかさ、いまと違ってまだ自分のなかでのパワーのコントロールが当時はできてなかったから、そういうときに「おいコラ何やってんだ」と。仕事をするということはそういうこともふくめてちゃんとしっかりやらなきゃいけないよ、というのを言っては「ああ……はい……眠いです……」みたいなことするから、ガンと足蹴りしたことがあるのは覚えてる(笑)。

――体に言うことを聞かせないと動かんぞという感じだったんですかね。まあ、僕もいまでも全然真面目なライターじゃないんで、やることあるのに寝ちゃったというのは無きにしもあらずですけど。

大塚 わかりやすく言うとコヤマも野口もそうだけど、育ちがいい子たちだから、その辺が結構脇が甘いというか、裸一貫で生きていくということに対してやらなきゃいけなきゃ最低限のことがね。

――「お前は運や環境がいいから恵まれてるのかもしれないけど、もともとそれはハングリーな気持ちで、きちんとチャンスは是が非でもつかまなきゃならないもんなんだぞ」ということですか。

大塚 うん、それはあるね。それはあったな。シゲなんかはとくにそうだけど、相当育ちがいい子だから。で、そこで甘えててもしょうがねえだろ、っつうんで。

――確かにその頃のコヤマさんの仕事とか、まだほぼキャリアがない状態で雑誌にマンガを……。

大塚 ほぼキャリアがないというか、キャリアなしだよ。キャリアなしの人間で会社を立ち上げてたんだからさ。

――まだコミケ行って同人作家つかまえてくるほうがマンガの経験で言えばあるわけじゃないですか。

大塚 うん。だから編集者としてゼロキャリアの人間を育てるというのは編集者の仕事だからさ。それをやっぱりできるかどうかというか、したいと思ってたから。当時のコヤマなんて絵も描けなかったからなあ。

――それを任せた大塚さんなり、出版社側の責任者の人もすごいと思いますけど。

大塚 うーん。だから西島大介(マンガ家/アンダーセル創立メンバー)とかもそうだし、あの当時会社を立ち上げようと思ったのは、あのふたりがまずとにかくデカいよね。素人だったからね。西島はぼちぼちのキャリアがあったけど、それでもやっぱりいまみたいなマンガを描いたりとかして名が売れる前だから。

――西島大介さんがアンダーセル所属だったということを知ってる人は少ないのかもしれないですけど、ずっと10年選手、20年選手としていまでも活動されてるわけで。

大塚 あいつはどのみちどこかでそういうことにはなってたと思うけど、コヤマシゲトに関してはあのときに俺んちに半分居候みたいな感じでいて「絵描けるなら絵描けよ」っつって絵を描かせて。「あ、コイツものになるな」と思ったのは絵がうまいからじゃないんだよ、じつは。

――ほお。

大塚 線が綺麗だった。

――へえー。

大塚 俺の話にしてしまうと、俺ガキの頃から自分の将来は完全に二択だったのね。マンガ家になるか編集者になるか、というのが小学生の頃からずっと自分のなかでのモットーだったんだ。絵も当時は描けたし。ただマンガを描くのってすごいバイタリティが必要だから、編集者になるというのを最終的には選んでいまがあるんだけど。で、絵を描いた人間って、いまでも絵を見るとわかるんだけど、一本の線を左から右に描くとするじゃない? で、一番上が、仮に宮崎駿でもいいや。

――いわゆる絵がうまい人。

大塚 うん。庵野秀明さんでもいいや。樋口真嗣さんでもいいや。で、コヤマシゲトでいいや。前田真宏さんとかもいろいろいらっしゃるけど、その一本の線の描き方で、線のうまさというか魅力って変わるんだよね。絶対に同じ線はないから。で、コヤマシゲトの一番最初に見たときの、あいつの20代前半のときの線というのがさ――絵は当時キャリアも当然ないわけだけど――やっぱり綺麗だったんだよね。

――うーん。

大塚 その線が魅力的だったというのもあって。

――線が綺麗かそうじゃないかって僕のなかでまだピンと来てない部分があるんですけど、大塚さんが自分で線を描くより、コヤマさんが線を描くほうが魅力に感じる何かがあった?

大塚 うん。

――僕のなかで線が綺麗じゃない絵って『ゲッターロボ』の石川賢さんとかの荒々しい筆致のイメージとかなんですけど、そういうことではないんですよね?

大塚 うん。石川賢さんとかは逆に言うと線、うまいんだよ。

――ということですよね。

大塚 方向性が様々あるわけじゃん。石川賢さんとか荒々しいけど、でもやっぱり線はすごく綺麗だと思ってるわけだ。要はそれぞれが持ってるフェティッシュがあるわけじゃん。そのフェティッシュのなかでも洗練されたフェティッシュというか。コヤマシゲトの場合は育ちや環境がよかったというのもふくめて、見てきたものが違ってきているので、デザイナーとしては能力値が高いなというような、すごい繊細な線を描く子だなと。樋口真嗣さんとか結構荒々しいからね。

――樋口真嗣さんの絵コンテとか見ると迫力重視な感じの。

大塚 そういう感じだよね。そういう感じはコヤマシゲトには出せないというか、出ないからさ。ただコヤマシゲトの線に関しては、俺が線を描いたときに、俺は劇画タッチというわけじゃないけれども、コヤマの線は描けないと思ったんだよね。


「永野護は虎である」

――それで言えばコヤマさんの側が意識的に寄せたのかはわからないで言うんですけど、永野護さんというね。

大塚 うん。まあ、あいつのルーツのひとつだからね。

――あの人の線に近い感じなのかとか。

大塚 うーん……。まあ、永野さんに関しては俺もいろいろと……。

――たぶん今後語っていくにつれ、別のところでもまた永野さんの名前は出てきそうな気がしますけど。

大塚 永野さんはね、線は繊細でもあるけれども、お酒飲んだりはしないんだけど、人間的にはすげえ荒々しい人だからなあー。虎だからね。

――虎ですか。

大塚 うーん。俺20代のときにあの人の事務所でよく遊んでたけど……。

――それもすごいですけど。

大塚 「これ付き合いきれねえなあ」と思ったのは、永野護という人間は虎である、というさ。こっちは子猫だったからさ。ガッチリ食い散らかされるようにいろんなものを奪われていくから、もう怖くて逃げたんだけど俺。

――まあ、『ファイブスター(物語)』に限らず、永野さんの『ファンタシースターオンライン』への偏執的なのめり込み方とか見ても、常人じゃないんだろうなという気はしますけど。

大塚 いや、常人じゃないよ。常人なわけないじゃん。(額に手をやって)……あ、なんか血まみれになってるね俺。

――なんかニキビみたいな。

大塚 (ティッシュで拭きながら)まあ、それはいいんだけど。常人じゃないよ。だって『ファイブスター~』の設定全部作り直す奴っていないよ(笑)。

――普通はどこかであきらめるか、次善の策を取るかなんかしますよね。

大塚 まあ、こういう場だからこそ話をしちゃうけど『ファイブスター~』のネーミングとかに関しては商標登録をされてるわけだ。で、それを管理していた会社と縁が切れちゃったので、使えなくなっちゃったんだよね。で、使えなくなったときに普通は買い取るなりするんだけど、やっぱりそういうことが嫌いな人でね。

(※5月8日17時追記)
記事中の大塚ギチの発言につきまして5月8日15時に「永野護作品公式アカウント」様より、下記5件のツイートをいただきました。「こういう場だからこそ話をしちゃうけど」という発言に基づき故人の意思を尊重しましたが、結果として永野護様、関係者の皆様、『ファイブスター物語』ファンの皆様に事実と異なる情報を伝え、混乱を招きましたことを故人に代わりまして、また記事作成者の野口智弘からもお詫び申し上げます。大塚ギチの発言とそれに対する公式アカウントからの訂正という一連のやり取りを保持するためにも、該当部分の削除という処置は取りませんので、下記の公式情報をご確認の上でお読みください。

――(商標的に使えないなら)単純に出さないとかね。

大塚 うん。だからすごいなと思ったのは『(花の詩女)ゴティックメード』というアニメを作ったあとに『ファイブスター~』を復活させるって連載を始めたけど、あのときに『ファイブスター物語』という名前だけは商標を買い取って、それ以外の商標取られてる設定は全部描き換えるというさ。膨大な量だよ。だから全部変わっちゃったし。しかもあんまり語られてないけど『ファイブスター~』の13巻だっけな? 読んだら昔から永野さんが言ってた、とあるキャラクターがいるんだけど、(『ファイブスター物語』は)そのキャラクターのセリフで終わると言われてるんだ。で、実際その単行本の最後はそのキャラクターがしゃべってるわけだ。その時点で『ファイブスター~』ってじつは一回終わってるのよ。

――よく言われる、年表が全部決まってるから、それに従ってあとは埋めていくだけみたいな。

大塚 うん。そこからは『ファイブスター物語』という名前は残ってるけども『ゴティックメード』という作品で、歴史も一致はされてるんだけど、要は歴史に商標はないから。詳細な設定は全部描き換わってるよね。いまやってる連載とかを見てても「ああ、別の作品という捉え方をしたほうがいいんだろうな」とは思うけど、あの年齢であそこまで全部ひとりで――本当に個人作業なんでね、あの人。

――大塚さんにこういう機会で話を聞くにあたって、僕がやっぱりアンダーセル時代に聞きたい気持ちはあったけど聞けなかった項目がいろいろあって。

大塚 ああ、その辺は全然べつに大丈夫だよ。

――ひとつはそういった、こう……猛獣伝説というかですね(笑)。

大塚 はははははは!(笑)

――世間的には大塚ギチって結構な肉食獣だというイメージがあるわけですよ。

大塚 なんでだよ(笑)。

――プロレスかガチかはともかく、バトルだったり挑発だったり、言ったら攻めの姿勢というか「お前らかかってこいよ」とか「お前らもっとやれるだろ」みたいなのもふくめて、そういう攻めの姿勢が何かしらあると思うんですよね。

大塚 うん(笑)。

――で、いま話に出た人は、その大塚さんをしてですよ?「あのとき俺は子猫で、あの人は虎だった」と。

大塚 食われたからなあー。半分ぐらい食われたんだよなあ、永野護には。すっげえ野獣性が強いから。

――その食われる感覚はどういうときに感じるものなんですか?

大塚 いや、一緒にいるときだよ。

――普通にしゃべってるだけなんだけど?

大塚 まあ、俺に対しては当時俺も若かったし、全然俺には優しくて、俺のことはかわいがってもらえたのは事実。だけれどもなんか気に食わない人間がいると、本当に顔色が変わるんだよね。すっげえ怖くて。で、「この人とずっと一緒に居続けられるのかな?」と思ったことが何度かあって。で、どんどんパワーを吸い取られる感じはあったね。すごかった。むちゃくちゃだったからなあ。

――パワーを吸い取られる感じというのは、向こうは元気なり、熱を発してる状態なんだけど、こっちはどんどんパワーが減っていく感じなんですか?

大塚 うーん、そうだね。あのね、やっぱり正と負のバランスという意味で言えば、俺には優しくしてくれてたけど、負をすごいパワーにする人でもあったので。

――ある種、大塚さん以上の原子力発電をしている人を見ちゃったわけですね。

大塚 うん。当時の俺はさ、キャリアも全然ないわけだからさ、それに100%付き合うのは結構難しかったし、いい経験をさせてもらったから、いまでもなんというか……。

――兄貴的な存在という感じなんですか? 何に近いんですかね?

大塚 いや、師匠だよ。『るろうに剣心』的な師匠かもしれないね(笑)。

――ああ、直接手取り足取りとかじゃなくて。

大塚 俺も飛天御剣流にはいちおういるんじゃないの?(笑)末席ぐらいかもしれないけど。

――(笑)。でもわかりますよ。主人公よりいまでも現役で強い師匠みたいな。

大塚 実写版で言うと福山雅治だけどね(笑)。


『HiPPON SUPER!』そして『Newtype』(あと町山さんに言いたいこと)

――具体的に確認するんですけど、永野さんのところに出入りしてた頃って、何年ぐらいの、何がきっかけで出入りしてたんですか?

大塚 宝島社にいるときに――俺が宝島社に入って、次世代機ブームだったし、俺は宝島社に入る前から東京の奥地に住んでたんだけど、当時はまだ(各地に)ゲーセンが全然あったんでね、そこのゲーセンで『バーチャファイター』に出会った瞬間にもう、鈍器で頭を殴られるみたいな気持ちだったんだ。で、ガキの頃からずーっとゲームはほかの子よりやってきたつもりだったんだけど『バーチャファイター』というもの自体がすっげえ俺には衝撃で。

――みなさん言いますよね、『バーチャファイター』に魅入られた人は。

大塚 うん。で、いまは『バーチャファイター』の初代なんてやったことのない子も多いけど、俺は『バーチャファイター』を見たときにしびれちゃったんだよね。それから仕事を毎日終えて、ゲームセンターに行って『バーチャファイター』をやってるというのが俺の日常だったんだけど。そのときに俺はゲームがうまい子じゃないけど、そうやってずっと積み重ねていくと、地元のなかで「あのジャッキー使いは強い」という噂が立ってるというのを、店員さんに聞かされたんだよね。で、いま思えばただジャッキーのダッシュハンマーキックつって(笑)、「前・前・K」でキックを出すと足が伸びるんだよ。あとジャンプして上に乗っかって、というので相当相手にダメージを与えるという。そのタイミングだけが俺はちょうど自分のなかでのリズムとハマってたから、そういうことをやってたら噂になってたらしくて「あ、そうなんだ」と思って。

――そのとき住んでたのはもう東京で。

大塚 東京だよ。東京の奥地だよ。奥多摩のほうだから。

――(昔の話で聞いた)米軍ハウス?

大塚 とかあの辺にいて。福生(ふっさ)とか。

――じゃあ福生ジャッキーだったわけですね。

大塚 いや、福生はゲーセンないからそのふた駅ぐらい先かな。河辺(かべ)ってところなんだけど、そこでやってたりとかしてて。そういう意味で『バーチャファイター』を、とにかく『バーチャファイター』のことしか当時考えてなかったんだよね。で、(『HiPPON SUPER!』)編集部に入ってから次世代機ブームを特集するというので盛り上がってたときに、セガサターンで『バーチャファイター』出るっつったらさ、そりゃあ俺やるしかないでしょ。

――はいはいはいはい。

大塚 で、それをやろうとしたときに永野さんが『バーチャファイター』にハマってる、というのは『Newtype』の連載で見てたので、それでコンタクトを取ったんだよ。

――あ、「宝島社のこういうゲーム雑誌のライターなんですけど、ちょっと『バーチャ~』についてお話を聞かせてもらえませんか」的な。

大塚 うん、そうそうそう。ただそれで連絡を取るタイミングで――これは複雑な話だし、公になってない話だからきっちりと話しておかなきゃいけないんだけど、宝島社っていまもそうなんだけど、営業がすっごい力を持ってる会社なのね。

――ほお。

大塚 編集者より営業のほうが力を持ってるわけ。だから営業がいろんなことを決めてきたりとか、クライアントと話をしてきたことを編集者がやらなきゃいけないという。それ以前は編集者にも自由度があったんだけど、どんどん自由度が減っていく状況があって。俺が宝島社にいて『HiPPON SUPER!』をダメにした、みたいなことはよく言われるし、それは受け入れなきゃいけないんだと思うけど、きっかけは全部営業からの圧力なんだよね。

――ちなみに話はそれますけど、町山智浩(映画評論家)さんとかってその頃に宝島社から洋泉社に行って、みたいな時代です?

大塚 町山さんに関してはねえー(笑)。

――(エピソードが)何かあるんですか?(笑)

大塚 いや、町山さんが『別冊宝島』で右翼についていろいろ書いたことによって、当時の宝島社に銃弾が撃ち込まれた事件があったわけだ。で、俺が宝島社に入ったときには、全部セキュリティがすごい厳しくて。

――当時としてはかなり。

大塚 うん。四谷だったんだけど、警官がズラッといつもいるのよ。それは町山さんのせいなんだけどさ(笑)。だから町山さんとお会いしたことは俺、いまもないんだけど。

――あ、ないんだ。

大塚 そのあと町山さんは辞められてるんで。

――はいはい。

大塚 で、町山さんに会ったらこの話はしなきゃいけないんだけど(笑)、(セキュリティが)すっごいめんどくさかったんだよ。「なんでこんなに警官いるんですか?」っつったら「銃弾撃ち込まれたから」っていう。で、俺を拾ってくれた人というのが宝島社のなかで『ファミコン必勝本』という本を出して、後の『HiPPON SUPER!』というものを作った人間で、井上裕務というんだけど、井上さんが最後に拾ってくれたのが俺なのね。で、その後俺を拾ってくれたあとに『別冊宝島』の編集長になったのかな? だったんだけど宝島社から移っていって、いまは洋泉社の取締役。だからいまも年賀状はもらったりするし、たまーに会って飲んだりもするんだけど。

――いずれにしても宝島グループの一角を支えてる人ではあるのか。

大塚 まあ、洋泉社と宝島社はいまは直接関係はないからね。でも俺にとっては恩師のひとりだよね。井上さんがいなかったら俺、出版業界に入れなかったのは事実だからね。

――その編集部に入った話もそれはそれで聞きたいんですけど、永野護さんに話を戻すと、永野さんに誌面に出てもらおうという感じでコンタクトを取って。

大塚 うん。で、それ(オファー)を出してリアクションをもらうタイミングで、宝島社の営業のパワーがどんどん強くなっていって、ちょっとこれは俺もやりづらいというか続けられる状況じゃねえなと思ったから。要は特集から表紙から、すべて全部営業仕切りになっちゃったんで。で、編集長も2回変わったのかな?

――それは永野さんという他社の看板作家を出すのがまずいということ?

大塚 いや、そういうストレートなことではなくて、最終的には編集長が営業から入ってきた人間だったのよ。で、本を作ったことがないからさ。営業の言うことを聞くだけの編集長になってしまったんで、こっち側でコントロールできないというのがあって、それでなんか俺は「もういいや」と思って、それで辞めちゃったんだけどさ。

――じゃあいずれにしても、永野さんどうこうの話は置いても『HiPPON~』はもういいかな、と思ってたぐらいの時代?

大塚 うん。という時代だね。そしたら永野さんが(『バーチャファイター』熱を公言したのに)リアクションをもらえたケースがほかになかったらしくて、俺のアクションを面白がってくれて。

――じゃあ永野さんは「『バーチャ~』のことをとにかく俺に語らせろ」モードで、コンタクトを取ってきたのが大塚さんみたいな感じだったんですか。

大塚 うん。で、お会いしてそれからの付き合いだったんだな。懐かしい話ではあるけど。

――それ、最終的に『HiPPON SUPER!』の誌面にはなってないんですか?

大塚 『Newtype』では(誌面に)なったね。当時の『Newtype』の編集長ってのもね、そういう意味では編集者として面白い人で、俺を拾ってくれた人のひとりではあるんだけど。

――当時は誰になるんですか?

大塚 具体的に言っていいのかな……。

――イニシャルとかでもいいですけど。

大塚 いま何してるのかわかんねえからなあ。まあ、編集長もあそこはバンバン変わってるからね。そのひとりで、ある種俺にとっては恩師のひとりではあるかな。

――てっきり永野護さんと言えば井上(伸一郎)(現・KADOKAWA代表取締役)さんなのかなと。

大塚 ああ、井上さんもそのタイミングで会ったんじゃない?

――その当時は井上さんは『Newtype』編集長じゃなくて別の役職をされてたんですか?

大塚 うん。編集長は別の人がやっていて、井上さんはそれの上にいた方だよね。

――あ、上なんだ。

大塚 要は井上さんって『Newtype』の二代目の編集長だから。俺に声をかけてくれたときの編集長は四代目になるのか。で、井上さんも紹介していただいて。

――(ティッシュを出して)あ、また血が出てますよ。

大塚 ああ、ごめんね。だから長いよ、『Newtype』グループとは。

――セガサターンの頃だから94年、95年ぐらいか。

大塚 だからいろんな子たちと話をしたりとか、いろんな人間と話をしたりするけど、かつての四谷にあった角川のビルの話をしてわかる人間のほうが少ないもんね。

――ああ、僕もそうですね。知ってるのは飯田橋以降なんで全然知らないですね。だからいわゆる角川のお家騒動があって(メディアワークスと)ふたつに分かれて、みたいな時代ですよね。

大塚 いや、それの前。

――前なんですか? じゃあまだ(角川)春樹(現・角川春樹事務所社長兼会長)さんが社長ということなんですか?

大塚 うん。

――へえー。(※実際の分裂と社長交代は92年から93年にかけて)

大塚 だから『ザテレビジョン』とかも同じビルにいた時代だからさ。

――もともと『Newtype』も『ザテレビジョン』の別冊からですもんね。

大塚 そういう意味で言えば、いまの年齢だからそういうことは言えるのかもしれないけども、例えば初代『Newtype』の編集長である佐藤良悦(現・トイズプレス代表取締役)さんというのがいるんだけど、彼が春樹さんに言われて『Newtype』を『ザテレビジョン』の別冊として作るという、やっぱり良悦さんが勘が鋭い人だったんだよね。アニメはそんなに見る人じゃなかったんだけど『(聖戦士)ダンバイン』とか『(重戦機)エルガイム』に刺激を受けて、永野護という人間を見出して『Newtype』を作ることになったという時代だったんだけど、それをガキの頃からずっと見てたからさ。だから後にね、良悦さんにも会ってよくしてもらったし、井上伸一郎さんにもよくしてもらったし。だから俺の場合はかつて憧れていた編集者たちというのにすごいよくしてもらって、いまはそれを全部返せてるわけじゃないけども、それはもういまの子たちにできることではないので(笑)。井上伸一郎さんとかと普通に飲みながら話をしたりするような立場の人間なのかと言うと、(若手には)難しいじゃない。

――大塚さん、当時年齢おいくつです?

大塚 ハタチぐらいだよ。

――だって大学生ですよ? ハタチっつったら。

大塚 いや、だから『トウキョウヘッド』というものを書いたことによって「面白い奴がいる」ということになってくれたので。(※『トウキョウヘッド』には『TOKYO HEAD』『東京ヘッド』表記もあるがここでは『トウキョウヘッド』とする)

――「君、文章は書けるし、なんか飛び込む度胸はある若人(わこうど)なんだね?」みたいな。

大塚 という印象だったんじゃないの?(笑)みんな。まあ、それがなかったらいまもないけど。

(#03につづく)

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野口智弘

フリーライターです。アニメ、ゲーム、eスポーツ、映画関連のライティングをお手伝いしてます。中東、北欧など海外のオタク取材に行ったりもしますが、最近はご無沙汰。アイコンはフィンランド取材時に自作したものです。
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