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OTG#04_20190327

大塚ギチへのインタビューは2019年の3月27日、4月4日、4月12日の3回に分けて、西新宿の大塚の自宅で行われた。録音時間は計8時間に渡り、ここでは約1時間分ずつテキスト起こしという形で紹介していく。

生前の大塚の言葉をできる限り残したいという目的から、カットや修正は最小限にとどめ、ほぼノーカットでお届けする。そのぶん話題の繰り返しなど冗長な部分も残っているが、療養中の大塚の話にゆっくり付き合う雰囲気を感じていただけたらと思う。

なお、生前の大塚は転倒事故とそれによるクモ膜下出血の後遺症で、記憶に障害を負っており、転倒前後からの記憶には喪失部分や誤認、思い込みなども多く混じっている。そのため本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みいただきたい。

聞き手・構成・写真 野口智弘(※写真は往時のアンダーセルの応接間で、収録が行われた大塚宅とは異なります)
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(#03から)

社長、大塚ギチの憂鬱

大塚 なんか気がついたらすごく面白く、こういう機会もなかなかないんで長話になっちゃって。

――とりあえず第1回の締め的なコメントでも。このまま「『ガンダム』の最初はどうでした?」「最初のサンライズアニメは何でした?」でもいいんですけど(笑)。

大塚 ははは(笑)。うーん、そうだねえ。いま俺が話をできることって言うと、一気に去年の7月の事故からいろんな経験をさせてもらって、奇跡的にこうやってしゃべれる状況が作れていて、うーん……伝えたいことというか、何を語りたいのかと言われると、やっぱり脳の機能障害というか、障害者になるということに関して言えば、本当にどうしていいのかわからなかったからね、退院後。何をすればいいのか、どうすればいいのか。

――何ができるのかもわかんないですよね。

大塚 わかんないよ、本当に。わかんなかった。いまでこそ多少はね、いろんな人たちというかリハビリセンターさんであり、病院さんであり、区役所さんでありが手厚くしてくださるので理解できるようにはなってきたけども、初期は本当にわかんなかったからなあ。

――わかんないのはすごい平たく言って、生きる目的みたいなことだと思っていいんですか?

大塚 いや、そこまで行かないんだよ。とにかくいまやらなきゃいけないことになってたのは事実なんだろうけど、そこまで生きるためというほどの精神力はなかったかな。

――例えば若い人やニート状態の人の「俺、今後は何をしていったらいいのかなあ?」みたいな感じのわからなさなのか、もうちょっと老いた感じの「このまま結局自分は死んでいくだけなのか」みたいな感じなのかとか。

大塚 ああ、そういう意味で言うとふたつだよね。何をすればいいのかがわかんなかったし、それでずーっと寝たきりにならなきゃいけないという状況と、このまま老いていく上でどうすればいいのか、というので。

――入院しちゃう前までの活動にピリオドというか、無理やり「完」みたいなのが打たれちゃったわけなので。

大塚 いや、でもね、これはここでしか言ったことはないけれども、じつはなんかね、予兆はあったんだよじつは。

――なんか調子が悪いなという?

大塚 調子が悪いというか、肉体的な調子は全然悪くなかったんだけど、気持ちの部分では――野口と一緒に働いてた頃、野口がアシスタントでいてくれた頃と全然違った。

――ああ。一回だから去年の5月か6月ぐらいに大塚さんから電話をもらったときに、それは飲んでた薬の副作用かもしれないですけど、ちょっと呂律が回ってなかった時期が一回あったんですよ。

大塚 まあ、それは薬の影響だよね。で、さらにそれ以前だよね。もっと前だ。倒れる前というか、(倒れる)1年ぐらい前からかな。会社を移転してさ、野口もたまに遊びに来てくれたりしてたけど、会社を移転して、自分なりの会社としての……。

――以前のチームというよりは、個人事務所にかなり近い感じのやり方で。

大塚 というよりは逆だね。会社として運営していく上でランニングコストを減らすというのがまずひとつの目標。で、もうひとつは働いている人間たちの福祉を充実させなきゃいけないと。なんでかと言ったらうちで社員だった人間たちってその辺がきちんとできてなかったから、だから会社として社会保険に入る、会社として住民税を全部払う、その代わり給料から天引きするという状況を作るために社会保険事務所とか、いろんなところに行って、いろいろ話をして、環境を作っていったんだわ。ただ前々からほかの社長とかからずっと聞いてた話だけどさ、社会保険料ってすっごい高いんだ。で、社会保険料を払うことによって多くの貧乏中小企業というのは倒産してるんだよ。倒産率がめちゃくちゃ高い。(社会保険料が)高いからね。そういうのも理解して、労働環境を良くすることに注力するために税理士の方とお話ししていろいろやってきたんだけど、その一方で個人的に言えば会社の経営ということととか、もっと言えばあれだな……。

――すいません。ちょっといま疑問があるのは、社会保障的なものもきちんと会社として整えるみたいな話って社員がいて、社員のためになわけじゃないですか。

大塚 うん。

――でも状況としては大塚さんひとり、アシスタントひとりみたいな、僕がいた当時の5人、6人いた時代よりもっと個人事務所に近くなってるわけですよね。

大塚 個人事務所には近くなってないよ。

――個人事務所というものを僕がちゃんとわかってないのかな?

大塚 社員の人数は減らしたよ。それはランニングコストを落とさないと社会保険料とかも払えないから。そのために社員のいまの現状を維持させるための努力をしたというのが倒れるまでだったんじゃないかな。その上で当時の自分としてはそういうことに力を注ぎながらも、前みたいに野口とかコヤマ(シゲト)とかがいたときとは全然違ったよね。社員に対して根本的な部分で育てるということを20年とかやってきたけど、そのパワーは全然、バイタリティは下がっちゃったね。

――うーん。年の差もより離れていくでしょうし。

大塚 いやいや、年の差離れていくって(かつてのアンダーセルには年齢が)俺より上の奴もいたからさ。

――ああ、宮(昌太朗)さんとかそうなるのか。

大塚 宮もそうだしね。

――いや、いわゆる若い奴が来ても、僕ぐらいだと5年差ぐらいだったのが、10年差とかどんどん開くわけじゃないですか。

大塚 年齢の問題とは違うよ、全然。俺自身が自分の仕事ができてない、というのがひとつデカかったんじゃない?

――それは社長業のウェイトが大きくなって?

大塚 なってるし、その分ものを書いてないという現実。だから絶対にやっぱり俺のなかでは編集者とかデザイナーというのは仕事をしていただいて、お仕事はさせていただくし、金銭的にもライター業よりは高額なんだけど……。

――ちょっと厳しい言い方になるのかもしれないですけど、社長業のウェイトが増えて大塚ギチとしての表現、アウトプットが減っちゃうのって本末転倒感はあったんですか? それとも「(社長業とライター業の並行は)これはこういうものだろう」という切り分けだったのか。

大塚 うーん、だから頭で考えていることと感情の問題はちょっと食い違ってるところがあったんだろうな、と思うよね。物書きじゃない状況のほうが儲かるし、会社にとってもプラスになるのはわかってるし、やらせていただけるものはやろうと思ってたんだけど。

――それはそれでちゃんとやりがいもあるんだけども、という?

大塚 それもどんどん薄れていってたよ。だからそういう予兆はあったんだよ、ずーっと。で、最終的にその予兆のなかで、モチベーションの低くない仕事をしていくことに対していろいろ考えていた時期ではあったんだなあ、というのはいまでこそ思うよね。

――そのサイクルというか、かつてのようなもっとすごいものだったり、刺激的なものを求めていく感じって、やっぱりどこかで限界が来る気はするんですけど。

大塚 その限界が要は転落事故だよ。頭蓋骨割って、クモ膜下(出血)やったことだよ。あれがなければいまの俺はないし、あれがあったというのもそういう理由だよね。

――繰り返しになっちゃうんですけど、社会保障とか社員へのケアを、みたいな切り替えって社員を増やすとか、社員をある程度抱えるというところを将来的に見据えてのことではなかったんですか?

大塚 「将来的なことを見据える」というのを大義名分にしてやっていたけども、根本的に野口とかコヤマがいた頃に比べてつまんなかった。

――……。まあ、僕はべつにそんな面白い人間ではないんで、コヤマさん、菊崎(亮)(映像ディレクター/アンダーセル創立メンバー)さん、宮さん、西島(大介)さんがいたときにはもっとたぶん……。

大塚 デタラメにやってた頃はさ、あいつらの成長が楽しみだったしさ、世に出ていくことが嬉しかった部分があるけど。

――(アンダーセルとして)何でも初めての取り組みという部分の面白みも大きかったでしょうし。

大塚 うん。だから自分が何をしたいのかというのがわかんなかったんだろうなあ、あの頃(転倒事故前)は。そういう無力感みたいなものがずっとあったよね。

――それは「前にもやったなあ」みたいな、「2周目、3周目だなあ」みたいな感じなのか。

大塚 「2周目、3周目だなあ」という感じじゃないかなあ。

――仮にアニメのムックを作るとしても、前のノウハウが活きてるということの証明でもあるんですけど、まったくゼロから作ってるわけでは当然ないわけで。

大塚 だからなんかそこに飽きが発生してたんだろうな。

――そこから自社レーベル(bootleg! books)での出版だったり、自社でレコード(bootleg! Records)を作ったりというところに違う新しい面白みがあるかも、というのをここ数年は試してたような感じなんですかね?

大塚 そうだね。だからインディーズという形で全然否定せずにやってきたんだけど。なんかね、その一個一個はやるプロセスは面白かったんだけど、なんかエンジンかからなかったんだよね、ずーっと。やっぱり書かないとダメなんだな。デザインも面白いし、好きだし、だけど書くということで生まれてきた現実は拭い難くあって。

――でもテキストも同時に書いていたわけじゃないですか。(指して)ここにもパネルがある「bootleg! books」の本として。あるいはYahoo!の連載(「BACK TO THE ARCADE」)でもいいですけど。

大塚 でもやっぱゼロスタートというか、新しい自分をべつに発掘するわけじゃないというか。

――何か知らないところに飛び込んで、ゼロから面白いものをなんか作ろうという感じとは違ってきますか。

大塚 うーん、やっぱりこの間ね、数日前にブログに書いて、すごいいまリアクションをいただいているけど、ワクワク感が桁違いなんだよね。新しい文章を自分で書くというのは。やっぱり自分の文章を読んで、俺は自分の文章が好きなんだなあ、と再確認されたし、それをやっぱり求めてくれてた人たちがこんなにもいるんだというのを痛感してるから、それが本当に失われてきた時期が本当に長いから。

――まあ、でもその言葉は僕にも跳ね返ってくるというか「お前はいま自分の書いていることにワクワクしてるか?」と指を突きつけられたら、そんな即答で「はい」とは言えないですね……。

大塚 いや、ライターはみんなそうだよ。もうそれは。ただそれをシフトチェンジちゃんとできる人間というのが生き延びるわけでさ。歳を取っていくとそれがね、なかなか難しくなってくるのよ。なんでかと言ったら出版だったら編集者がどんどん若くなってくるわけじゃん。で、若い人間って年上の人間と仕事をあんまりしたがらないんでね。同世代の人間と仕事しがたるからさ、だから自分で関係を作っていかなきゃいけないという意味では作っていかなきゃいけないんだけど。なんかね、そこがまだ当時はクリアになってなくて、ゆえになんか会社の仕事というか労働環境を作ったりとか、経営者としての仕事をまずまっとうしなきゃというのでがんばってたんだけど。

――でも大塚さん、社長できなかったとか、社長に向いてないという感じでもないと思うんですよね。

大塚 社長に向いてるかどうかというのはその会社の形態によりけりだから、俺の場合は自力でやって、結果的に20年続けてきたので、そういう意味では……。

――社長業に面白みはありました?

大塚 まあ、単独で面白みは感じられる職業とは思わないけど、税理士さんとかいろんな人たちのコミュニケーションも取れてたつもりだから、面白くはなって来てたなあというのはあったけど。その面白さよりはやっぱりライターとか作家としてものを書くことのほうが俺にとっては魅力的なんだよね。

――うーん。

大塚 というのはいまでこそわかる。当時は全然わかんなかったけど。当時はもうガス欠みたいな状況で働いてたからね。だからガス欠だけどやらなきゃいけないことはやらなきゃいけないから、それを精一杯やってた状態なんじゃないかなあ。その上での転落事故。力不足だったんだろうね……。

――いや、こればっかりは結果論になっちゃうんで、「そういう運命だった」と言っちゃえば言えちゃうし。

大塚 簡単に言うと『ゼルダの伝説』のハートが空になりそうな状況のなかで、新しい場所で新しい秘密を探ろうとしていたような状況ではあったんじゃない? 自分では気づいてないけどそんな状態だったんだろうね。

――じゃあ事故という衝撃的な形じゃなくても、何かしら回らなくなってた可能性もあると?

大塚 いやあ、全然なってた。で、2ヶ月間の意識不明とか入院生活で、それのエンプティ(空っぽ)が増えていったときにようやくそういうことがわかり始めたというか。そういう感じはあるかな。いまはそういうこととか、過去の自分のこととか、いろんなことを考えて整理してる最中なんだけど、やっぱりさすがに両腕数えたらさ、(腕をさすりながら)両腕に30ヶ所以上穴があるわけよ。

――そんなに。

大塚 うん。だいぶ回復したけどね。それ自体が異常じゃん、やっぱり。

――まあまあまあまあ。

大塚 で、(頭を触って)ここの穴とかひどいからね。額の上にある穴とか。

――ちょっと話が戻っちゃうんですけど、僕はアンダーセルを出てフリーランスになってからも、時々三鷹の事務所で机をお借りしてて、ぐらいの感じで見てて例えば(ゲームセンター)ミカドとのいろんなイベントもふくめてのことだったりだとか、アーケードゲームのLPレコードとか、自社レーベルで何冊か文庫本を出してみたいな、いろんなチャレンジをやられているのを見てて、これはこれで昔みたいなアニメムックとかの本作りみたいな形ではないかもしれないけど面白く回りつつあって、そこに大塚さんは面白みを見出してるのかな、みたいな感じはありましたけどね。ガス欠というよりは。

大塚 いや、トライはしなきゃいけないというのは経営者としてあったし、それでかなり背伸びをしてやってたという感じではあるよね。自分のなかでやれる部分とやったことに関しての喜びというのは当然あるんだけど、根本的な部分でものを書いている瞬間の興奮みたいなものはなかったね。

――今後書くにしても、昔のやり方でやります? それとも例えばラジオ体操的な軽さでできることからとか。それは日記なのかつぶやきなのか、つまり本とか小説という形じゃなくて、ということですけど。

大塚 うーん、だからそこをいま自分自身のリハビリをしながら考えている最中ではあるけれども、ツイッターとかでも支援のコメントをいただくと……。

――ただそうは言うても今日、3時間半べつにかぶりなしで。

大塚 へへへへ……(笑)。

――ずっと結構な密度の話を、ほぼノンストップでしてますからね?

大塚 そ、そうっすか(笑)。まあ、野口にしかできないけどな、こんなの。

――いやいや。だから僕からの気持ちとしては、こんな面白いものをいっぱい持ってる状態で死んでもらっちゃ困るというかですね(笑)。

大塚 はっはっはっは!(笑)まあ、死にかけてるけどね。いや、だから生き延びたわけだからさ。しかもね、こうやってしゃべって、昔一緒に働いてた人間と会えてるわけだから。


アンダーセルのアシスタントたち

――僕は決して出来のいいアシスタントではなかったと思うんですけど、消去法で残ってしまったというか、幸い残してもらったというか。

大塚 いや、そうやって謙虚な気持ちを持つのも大事だと思うけど、やっぱりさすがに静岡大学出身の子だなと思うよね。うち、なんで静大(しずだい)の子ばっかり雇ってたのか知らんけど(笑)。謙虚な気持ちは大事だけど、頭のいい子だなというのはあるし、いまでもそこを評価されて仕事も回ってるんだろうなと思うから。

――いやー、言うても静大ですから、もっとがんばらないといけない(笑)。言うても地方の駅弁大学ですから。

大塚 ははははは(笑)。まあ、そこに関して言うと野口くんは……。

――あ、静大と言えば、大塚さんが直接会ったことあるかどうかわからないですけど、最近ちょっと親しくさせてもらってるウェブメディアの「ねとらぼ」の副編集長の池谷(勇人)さんという方も、あの人も静大の赤尾研出身なんですよ。

大塚 なんかね、この間ツイッターでも「ねとらぼ」のその人がいいねをしてくださって。

――で、同じ赤尾研からは日高(彰)(ライター)さんが僕の前にアンダーセルのアシスタントになってて。日高さんもまた会いに来てほしいですけどね。

(※静岡大学情報学部の赤尾晃一研究室はオタク関連のメディア研究で知られ、大塚ギチをゲスト講師に招いたこともある。なお野口は赤尾研出身ではない)


大塚 そうだね。しかしなんでうちのアシスタントだった人間は、日高も野口も岩村(拓也)(アンダーセル元アシスタント)もそうなんだけど、なんでみんな酒飲まないのかねえー?

――僕でもビールぐらいは飲みますよ?

大塚 でもコヤマとかも飲まないからねえ。コヤマは完全に下戸だからね。

――僕がビールをちょいちょい自宅で飲むようになり始めた時期に、ちょうど事務所のある三鷹に引っ越したんで「おいシゲ、野口が近所に引っ越したから見に行こうぜ」っつって自宅に来られて、ビールの缶とか置いてあるのを見られたのが当時すごい恥ずかしかった覚えがありますけど(笑)。

大塚 ははは、知らんわ(笑)。

――まあ、覚えてないですよねー。

大塚 野口の引っ越しの手伝いもしたなあ、俺。

――してもらいましたよ。洗濯機もプレゼントでいただきましたから。引っ越し祝いっつって。

大塚 いやー、そうだよ。引っ越し祝い。

――ちゃんと長年使いましたよ。

大塚 お前んち事務所から歩いて5分ぐらいだったからな。お前でもあれだよ、アシスタント1日目に事務所に行ったら……。

――ああ、それは覚えてますけど。

大塚 事務所の床で寝てて「お前何やってんの?」っつったら(笑)。

――「遅刻すると思って」っていう(笑)。なんか前日に中野かどこかで徹夜で飲まされて。

大塚 それ、確か鶴岡(法斎)に飲まされたんだよな?

――そうそうそう。で、入社してすぐは三鷹に引っ越す前でまだ自宅が駒沢だったんで「始発が動いたのはいいけど、これから中野から駒沢に帰って、また駒沢から三鷹に来る気力はないぞ……」と思って、事務所のカギは先にもらってたんで朝6時とかそれぐらいに事務所開けて。

大塚 お前、うちの会社じゃなかったら頭イカれてるよ?(笑)

――「初日に遅刻するよりはマシだろう」と思って、机の下で丸くなって寝てました(笑)。

大塚 あったね。寝てた寝てた。「何やってんだお前?」っつって。

――「いや、じつはちょっと昨日……」みたいな感じで。

大塚 あの頃は俺もそうだし、コヤマもそうだけど、基本的には家に帰るよりは事務所で寝てるほうが多かったからねえ。いま考えると労働基準法違反なんだけど。そういう時期だったからなあー。長かったね。

――僕もさんざん「お前家まで5分なんだから帰れ!」って言われましたからね(笑)。

大塚 のちにシゲ、コヤマがね、アニメの仕事を始めたときにさ、どのタイミングだったかな? 貞本(義行)さんに言われたんだってね。「若い子たちはなんか家に帰りたがるけど、家に帰ってどうすんだよ。なんにもすることねえだろ。だったらスタジオにいて……」。

――先輩アニメーターが帰ったあとに先輩の原画をこっそり見るとかね。

大塚 そう。「そうしたほうが絶対おもしれえだろ」って言われたって。

――本当に最初のガイナックスを知っている人だから、それは説得力がすごいなあ。

大塚 うん。

――さらにその上を行く庵野(秀明)さんという、当時もっと家に帰らない人がいたわけで(笑)。

大塚 いたからね。というのがあって、あの人たちのハングリーさは桁が違うからさ、やっぱり。学生というか部活動というか、その延長線上にまだいるんだな、というのはあるけどね。

――だから僕もつらいと思ったことはやっぱりないですよね。

大塚 俺もね、だからやっぱりあの感覚が面白かったし。岩村って当時のアシスタント、いまは実家のほうで働いているアシスタントがいるけど、あいつもこの間ツイートで書いてたけど、あいつにとっても面白い時期だったらしいんだよね。

――まあ、でも僕と宮さんは(当時彼に)マジで怒っちゃって。

大塚 いや、宮の怒り方はちょっとおかしいんだよ。

――大塚さんからは「宮と野口は文系の怒り方のダメなところが出てる」みたいな感じで。「岩村はそういうコミュニケーションが取れない子なんだから、そういう怒り方しちゃダメ!」みたいなことを言われましたから。

大塚 いやー、ひどかったなあ、あいつ。文系の怒り方になるんだったら文系の怒り方でまだ処理できるんだけどさ、いきなり宮は体育会系的な怒り方をし始める瞬間があって、それがねえ――要は体育会系的な怒り方をしない子だから、理不尽なんだよね(笑)。

――でも僕はそこまで宮さんに理不尽に怒られたことはないけどなあ。

大塚 いや、大変だったよ? すっげえ大変だった。

――それは宮さんから岩村君への怒り方が?

大塚 うん。そういうのがあったね。

――思い返して僕、そこまで宮さんに怒られたことあるかなあ。まあ、忘れてるだけかもしれないですけど。

大塚 いや、野口にはないと思うよ。岩村だけじゃない? 宮は極端だからねえ。

――僕は岩村君に対してコミュニケーションが取れにくいもどかしさで、ついきつい言葉になってたなあ、という反省はありますけど。

大塚 俺もそれに関して言えば、なかなかやっぱりコミュニケーションという意味で言うと、特殊な子ではあったというか。

――だから岩村君、いまのほうが面白いっすよ。

大塚 うん。ツイッター見てると面白いよね(笑)。

――面白い(笑)。フラがあるし。

大塚 なんかツイッターでカタカナの「イワムラタクヤ」を見ると、結構ほっとするところが俺はあって(笑)。

――この面白さを(アンダーセル当時に)見つけてあげられなかったのがごめんなさい、と思いつつも。何があったのかは知らないですけど、ひと皮むけてる感はありますよ。

大塚 という感じは俺もあるなあ。

――まして岩村君、自分の投資とか資産の額もツイッターに上げてて全部見えている状態みたいな(笑)。

大塚 なんであいつトレーダーになってるのかよくわかんないんだけどさ(笑)。

――僕より全然お金持ってるんじゃないですかね。

大塚 まあ、田舎町にいるからそういうことをプライベートでするしかないのかもしれないけど、羽伸ばしてやってるんだなと思って。

――そんな感じで。次回はそろそろアンダーセルの成り立ちみたいなところに行きますかね。それとも子供時代の話でも全然面白いと思うんですけど。

大塚 まあ、どっちでもいいけれども。

――なんか思い出すための物を持ってきます? 古雑誌なり。まあ、あっちの大塚さんの本棚に置かれてるかもしれないですけど。

大塚 持ってこなくても過去の記憶はあるので。

――それはありがたいというか。逆にそれもあやふやになってるかもしれないから、それもふくめてのリハビリかもなとも思っていたので。

大塚 なんだかんだ言って、現在の話もふくめて、過去の話もそうだけど、じつは公にしてないことが多いんだよ。だから誤解されてることも多々あるというのは自分でも実感してる。

――いや、ありますよ。

大塚 それをべつにすべて払拭(ふっしょく)できるわけだとも思わないし、そういうことの意図で今回やってるわけではないんだよ。ただ記録としてきっちりと残しておきたい部分というのはあるから、話せる人には話しておきたいなと思って。

――いや、だって90年代も結構昔のことになりましたから。

大塚 まあ、平成が終わる直前だからいいタイミングなんじゃないの。で、まあ、30年近くのキャリアという大げさな言い方をするのもあれだけど――うーん、そうねえ。どこから次の話をしよう?

――わりと今回は流れのおもむくままに、みたいな感じで。

大塚 まあ、現在の話だよね、いまのは基本的に。

――これで序章みたいな感じなのか、わかんないですけど(笑)。場合によっては今日は生年月日をあらためて聞くところから始めようかな、みたいなそういうプランBもあったんですけど。

大塚 うん。俺もそういう感じで行くかなとは思ってたんだけど、とにかくまず一番最初に支援をしてくれた人たちに対しての恩返しをしたいというか、お礼をしたいというところからスタートしているので。そのときに自分の過去話を重点的にするのも違うなあ、と思っていたから成り行きで。

――いい感じのバランスで、昔の話もあり、いまの話もたくさんあり。

大塚 いや、さすがにね、こういう形で話ができる相手も限られていると思うので。

――しかも今日は……これ、(大塚さんのグラスに)酒は入ってるんですか?

大塚 ん?

――「今日は酒飲みながらじゃなくて」と言おうと思ったんですけど、よく考えたらそれ酒だよなあと。

大塚 いや、それ酒ですよ(笑)。

――僕は麦茶ですけど。

大塚 いや、べつにお酒を飲むとかお酒を飲まないという話ではなく。

――まあ、全然酔ってる感じではないですけど。

大塚 やっぱり人によって発言って変わっていくというか、言えること言えないこと、言いたいこと言いたくないこと、一緒に働いてた人間に対してオープンにできることはすごいあるな、というのは今回実感してるから。

――やっぱり一度立ち会っている上で「あのときどうでした?」と聞けるとやっぱり聞きやすいですし、知らない人が聞くよりはさらに踏み込めると思うんで。

大塚 そうだね。生い立ちを話すことに関しては全然NGもないので。逆に言うとそれをいままで語ってきたことはあまりというか、全然ないので。

――まあ、わざわざ聞かれないでしょうしね。

大塚 聞かれないし、聞きたいのかという疑問もあるからさ。

――まあ、なんかの飲みの席とかで子供のときの思い出話みたいなのは出るかもしれないですけど。

大塚 頭のおかしい子供だからさ(笑)。

――(笑)


スタン・リーとコヤマシゲトの『HEROMAN』

大塚 そういうバカ話はいくらでもしてきたつもりだけど、公の場にしてきてないことのほうが多いから。ただ会社を作るということに関して言うと、会社を作った最大の理由で、いまの俺の人生にとっても多大なる影響を残したのはコヤマシゲトだよね。西島に関しては放っておいてもいまの立場になってただろうけど、コヤマシゲトに関してはやっぱり。

――自分じゃない人への人生の関わり方、関わられ方としてはやっぱりコヤマさんになる?

大塚 だね。同時にあいつがさ、インタビューする度に自分の人生を影響を与えてくれた人として、俺と、鶴巻(和哉)さんと、貞本さんを挙げてくれるんだわ、いつも。

――はい。

大塚 それはどのインタビューでもそうなんだけどさ。逆に俺はやっぱりコヤマシゲトというド素人を。

――ディズニーやあのスタン・リー(マーベル・メディア名誉会長)と仕事をするところまで。

大塚 うーん、そうだね。

――スタン・リーとの仕事だって実際まだあれはアンダーセル在籍中でしたしね。『HEROMAN』だと。

大塚 そうだね。あいつが素人でじょじょに、売れていくという言い方はよくないのかな、頭角を現していく過程をずっと見てて。

――でもコヤマさん、デザイナーとしての魅力も、人間としての魅力も、両方ある人ですよね。

大塚 うん。で、デザイナーに関して言えばすごい相談はしてきたし。「どうしたらいいのか」という話はずっとしてきたからなあ。もう四六時中そんな話しかしてなかったなあ。ヒーローマン自体のデザインだって当初は左右対称じゃなかったんだよ。あれ左右対称にしたのは俺なんだじつは。

――へえー。

大塚 そのために俺、絵を描いてコヤマに渡したりもしてるんだよ。

――そう言えば大塚さんの絵って見たことありそうでないですねえ。

大塚 ふふふ(笑)。

――(誌面構成用の)ラフとかレイアウトの図は見たことありますけど。

大塚 うん。

――そのラフだってべつに書き込んであるわけではないじゃないですか。

大塚 うん。で、(ヒーローマンは)「左右対称にしないと」というので。

――(スタン・リー原作の)スパイダーマンもウェブシューター以外は左右対称なわけで。

大塚 あのね、左右非対称のデザインだとじつはいろんな意味が出てきちゃうんだよ、左と右が違うということに対して。で、それを主人公に与えてしまうというのはネガティブになっちゃうんだよね。プラスにならない。

――なるほど。基本的に主人公は当然真ん中に立つことが多いわけで。

大塚 そうそうそう。

――その上でどっちかにデザインが寄ってしまっているのは、きちんと理由があるなり、そのアンバランスさが何かを作品のなかで表現しているんだったらいいけども。

大塚 うん。それがね、理由なきアシンメトリック、左右非対称であるというのは、ちょっとやっぱり受け取る子供たちからすると「なんで?」ってなっちゃうからね。

――スタン・リーというかいまマーベルで思い出したのが、東映と組んだ『バトルフィーバーJ』のバトルジャパンが歴代の戦隊レッドでは珍しい左右非対称のデザインでしたね。

大塚 そうだね。

――スーパー戦隊でもいろんな非対称のデザインがあるので、あくまでフェイスに関してということですけど。

大塚 まあ、作品というか一枚絵とかだったら(左右非対称でも)いいんだけどね。だからそれに関してはかなりじつはコヤマとも相談してきたんでね。一番最初のロボットのヒーローマンのデザインを見たとき、完全に右と左が違ったんでね。それに関しては口頭で言っても伝わりにくいんだろうなと思って、俺が全部描き直して渡して。

――『HEROMAN』久々に見直したいな。

大塚 だから『HEROMAN』に関して言うと、そういう意味では俺とあいつの最後の仕事だったんじゃないかな。だからそういうことの経験の場にはなっていたわけだし、その経験を活かしていまのコヤマもあるし、同時に俺は絵を描く人間、デザイナーとかに対して線でものを見るとか、そういうレクチャーをする経験値も積めたわけだから、これはなかなかやっぱりフリーランスの編集者としてはないよね。それは誇りだし。

――僕からコヤマさんの話をするときは、どうしても(『ドラえもん』の)スネ夫的というか「僕のおじさん偉いんだぞ」って感じになっちゃうんですけど。

大塚 いやいやいや、それでいいと思うよ(笑)。

――でもスタン・リーが亡くなったときにコヤマさんがやっぱりコメントを、しかもちゃんとスタンと付き合ったことがあるひとりのクリエイターとしてのコメントを出されていて「ああ、僕の隣の隣には本当にスタン・リーがいたんだ……」というのはゾクッとしましたけどね。

大塚 いや、だってさあ、それこそスタン・リーとの打ち合わせってさ、Skypeで朝の6時とか7時からずーっとやってきてさあ。

――まあ、そうなんです。(日本のスタジオとアメリカのオフィスで)時差があるから。南(雅彦)さんも言ってましたけど。(※野口取材記事「世界に届けこの一撃! ボンズ・南氏に聞く、TVアニメ『HEROMAN』誕生秘話」より)

大塚 (『HEROMAN』の)プロデューサーだった、ボンズの社長のね。だからそういうこともふくめていまあいつの血肉にはなってると思うし。俺は直接スタン・リーにはお会いしたこともなかったけれども、やっぱり他人事じゃなかったよね、亡くなられた話を聞くと。だからそういうことを経験させてくれたコヤマに関してはちょっとほかの人とは桁が違うかなという。だからいまの野口に対して「こういう話をしたいな」という話を(事前にLINEで)おたがいしたじゃない。それも同じようなものだよ。宮とはべつにこういう話をしたいなと思わないから(笑)。

――そうですか(笑)。

大塚 思わない(笑)。全然思わないね。

――でも大塚さんと宮さん、当時のアンダーセルの(武蔵野市)御殿山時代の事務所だと、ふたりがベランダでタバコを吸いながら――僕はタバコを吸わない側の部屋の机で仕事してたわけですけど――ベランダでタバコを吸いながらダベってる大塚さんと宮さんとかは、先輩を仰ぎ見る感じはありましたよ。

大塚 まあ、当時は俺と宮とコヤマでよくベランダでタバコ吸ってたけども。うーん、だけどああいう学生な感じというのは後には活かされなかったな。後には活かされなかったというか、その後は立ち消えたというか。

――またミカドのコミュニティの感じとも当然違うと思うし。

大塚 いやあ、違うよやっぱり。全然違う。

――そのあと御殿山から同じ三鷹に引っ越して、あの豆腐屋時代の2階の感じって部室感はあったんですか?(※下連雀時代のアンダーセルは豆腐屋だった物件を大塚自ら改装したもの。2階には畳敷きの応接スペースがあり、打ち合わせや内輪の飲み会などに使われた)

大塚 うん。部室感を演じるというか、作るためにああいう場を作ったというのはあるけど、やっぱりコヤマと朝までベランダで馬鹿話をしたりとか、真面目に討論してた感じとはちょっと違うよね。

――コヤマさんが聞き上手だったというのもあるんですけど。

大塚 それはあるね。


打ち合わせ3時間、説教3時間

――僕もコヤマさんと朝まで話してるなかで、原作ものの映像化とかアニメ化についていろいろ議論になって、そのうちに僕はなぜかだんだん涙ぐんでしまい始めて……。

大塚 あははははははははは!(笑)

――で、その「なんであの映像化はアリで、これはナシなのか?」みたいな議論をしているなかで出てきた話題が、筒井康隆原作で深田恭子主演で当時やってたドラマの『富豪刑事』がアリかナシかみたいな話で……。

大塚 あっはっはっはっはっは!(笑)

――思い返しても「なんで自分は深キョンの『富豪刑事』がアリかナシかで泣いてるんだろうな?」みたいな。

大塚 アホだ(笑)。

――細かい議論の過程は忘れちゃったんで、どういう流れで泣いちゃったのかは覚えてないですけど。

大塚 ただそういうことや最初、俺の会社立ち上げる前に半ば居候(いそうろう)みたいな状況で、コヤマもその頃は暇だったからさ、遊びに来てるときからずっと思ってたけど、最初はあいつもいまみたいには喋れなかったからね。で、俺と菊崎が、菊崎というのはもうひとり映像ディレクターが当時いて、俺の高校のときの同級生なんだけどさ。菊崎と俺が議論をいろいろするわけだよ。それを聞いてるコヤマがまだ若かったからさ、俺と菊崎がしゃべるリズムについて来れなかったんだよね、全然。

――大塚さんとコヤマさんとはいくつ違いなんですか? 2つ、3つ?

大塚 いや、もっと下じゃないかなあ。コヤマの年齢全然わかんないけど。(※大塚が1974年生、コヤマが1975年生)で、コヤマもまだ絵を描く前だからさ。

――表現的なことに関わって、まだお金がもらえてない時代ということですよね。

大塚 そんな次元じゃないよ。

――でも大塚さんはライターとして文章を書いてたり、菊崎さんはどこかでADみたいな仕事をしたり。

大塚 いやいや、そんな時期じゃないよ。俺は自分でライター仕事をして、菊崎は中野ブロードウェイで働いてて、夜な夜な遊びに来るという状況で。で、コヤマはその頃は古本屋の店員で、いまでこそ活動休止中のRIP SLYMEのメンバーとバイト先でふたりでいるというような状況だったんで、暇だったんだよね。

――へえー。

大塚 話を戻すと、論じるという行為自体は特殊じゃない? 俺とか菊崎はガキの頃からそんなことばっかりやってたから、喧嘩腰で相手を論破するみたいなことを日常的にやってきたわけだよ。上京してからも、上京する前も。それに対してコヤマは「えっ、どうすればいいの……?」みたいな、右も左もわからないみたいな状態で。それによってあいつがしゃべるということを覚えていったというのは事実だと思うし。その上で会社を立ち上げてそんな経ってない頃、打ち合わせに行った先で、3時間の打ち合わせとかであいつがひと言もしゃべらなかったんだよ。要はあいつを紹介して、仕事をいただくという状況だったにもかかわらず、あいつがしゃべらなかったことに対して、俺は相当頭に来てたんだろうね。いまだにシゲに言われるけど(笑)、俺そのあと3時間喫茶店でそのあとシゲを怒鳴り散らしてるので。

――3時間打ち合わせしたあとまた3時間(笑)。

大塚 で、「打ち合わせ時間より長かった」っつって(笑)。

――それ『新現実』とかの頃?

大塚 いやいや、全然もっと前。会社立ち上げた直後じゃないかな。基本的に誰に対してもそうなんだけど、打ち合わせとか初対面とか会議とか、なんでもいいんだけど、人に会ったときに発言しないといないのと一緒なんだよ。だから発言するのはもう当然だと思ってたんだけど、やっぱり当時のコヤマシゲトという人間はそういう経験がなかったから、ずーっとしゃべらなくて、頭に来てたんだろうね。「あのときの大塚さんの説教時間は打ち合わせより長かった」っていまだに言われる(笑)。

――まあ、でもそういう経験を経てコヤマさん、ガイナックス、ボンズ、トリガー、みたいな。

大塚 あとカラーね。

――カラーもか。みたいなところでデザインを言葉にしていく、あるいは描くということを経ていまに至るというのはすごいな……。

大塚 うーん、だからそこに関してじゃない? 俺が最大限できたことってのは。

――僕、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』という去年錦織(敦史)さんが監督したアニメで、ちょっとだけ『Newtype』の記事のお手伝いをしたことがあって。で、監督の錦織さんは(同作にメカニックデザインで参加した)コヤマさんと、『(天元突破)グレンラガン』でも同じ現場にいたんですけど、『ダリフラ』のデザインの打ち合わせの席でコヤマさんたちを迎えたら、いわゆる古き良きガイナックス流の「そもそも錦織さんはなんで監督やるの?」みたいなところから、人間存在を問われるみたいな(笑)。

大塚 あははははははは!(笑)

――「錦織さんが監督やるんだったら(デザインは)やっぱりこうだよね?」みたいな、おたがいが人間存在をかけて、それは絵なのかスタンドなのか、何をぶつけ合うのかわかんないですけど、そういう打ち合わせは錦織さんは予期してなかったらしくって「ガイナやトリガーで監督やるっていうのはこういうことか……」みたいなことを痛感したというような話をおっしゃってましたけど。

大塚 錦織さんもアニメーター出身だしさ、庵野さんもそうだし、アニメーターさんたちって多弁ではないよね。

――やっぱり絵を描くというところに。

大塚 行っちゃうよね。だからコヤマシゲトっちゅうのはそういう意味で言えば、言葉を使うということは最低限は教えられたんじゃねえかなあ。

――でも錦織さんも若手時代に「アニメスタイル」のインタビューに答えているのを読むと、すごいしっかり考えてクレバーに答えているようなイメージがあったけど、それでも(トリガーで監督をやるということは)そうなんだと。で、『ダリフラ』はトリガーがアニプレックスとも組んだプロジェクトだったので、これは取材でも言ってましたけど、アニプレ側の人も驚いたらしいですけどね。

大塚 へっへっへっへ(笑)。

――「トリガーとか元ガイナックスの連中はここまでやるのか」と(笑)。

大塚 うん。まあ、そういうことで考えるとコヤマシゲトに関しては言葉を教えるというか。


さんまさんとジミーちゃん

――僕ももっとコヤマさんと話をしておきたかったな、と思いつつですけどね。当時のアンダーセルで「先週はこんなことをやりました、今週はこんなことをやります」みたいなのを箇条書きでもいいから毎週業務報告をメールで出しなさい、みたいな最低限の決まりがあって。で、コヤマさんはだんだんアニメスタジオに通い詰めて作業することが多くなっていたので「グレン(『天元突破グレンラガン』)デザイン」「パンスト(『Panty & Stocking with Garterbelt』)デザイン」みたいな、業務報告の文字としてはすごい短いんですけど「うわあ、めちゃくちゃ大変だろうけど超面白そうなことやってる……」と思いながら。

大塚 ただシゲはね、いろいろと文章というか言葉に関しては教えてきたつもりだけど、あいつが書く文章はあんまりセンスないんだよね(笑)。業務報告のメール見てても「古臭えなあ」と思ってたりしたんだけど、ただ口頭であれだけしゃべられるようにさせられたというのは。

――うん。おしゃべりは。もともとあんなおしゃべりでは?

大塚 ない!

――ない?

大塚 ない!

――(笑)。だって最近の『キルラキル』とか『SSSS.GRIDMAN』とか「トリガーの作品をスタッフみんなで見ながら楽屋話をしよう!」みたいな配信やイベントでもすごく楽しそうにおしゃべりしてますけど。

大塚 うーん、だからそういうことの下地を作れたってのがひとつの、あいつにとって俺が与えられた仕事だったんじゃないかな。一番最初とかひどかったよ、何もしゃべれないし。俺と菊崎の論争みたいなのに対して頭はパンクしてたし。当時の角川でパーティーがあったんだよ、1年に1回新年会でさ。で、そこは作家しか来れないのよ。それで俺とシゲが呼ばれて行くんだけど、俺とシゲが貞本さんとかとつるんで、二次会は編集者も交えて飲みに行ったりしてて、俺は馬鹿話をするじゃん? で、シゲが横にいるとしたら、女の子とかもいる場だからさ、馬鹿話で盛り上げてほしいから俺がシゲに話を振るんだよ。くだらない話をするわけですよ(笑)。

――そういう場にいたことないから、想像するしかないですけど(笑)。

大塚 で、俺が毎回同じ話を振るんで、年々返しがどんどんうまくなっていくんだよね(笑)。

――あ、あれだ。(明石家)さんまさんとジミー(大西)ちゃんみたいな。

大塚 そうそうそう(笑)。

――さんまさんがジミーちゃんに「やってる?」って聞くから「やってるやってる!」って言うんだぞ、みたいな。

大塚 そうそうそうそう(笑)。むちゃくちゃくだらない話だったんだけど、どんどん年々面白くなって。それでシゲの評価が決まったというか、シゲもそれで話術というものを鍛えたところもあるんじゃないかなあ。むちゃくちゃくだらない話だったけどね。

――僕はやっぱり20代の頃は、さっき話に出た鶴岡さんと大塚さんが面白二大兄貴みたいな感じで(笑)。

大塚 ははははは!(笑)

――落語家の前座の修行時代じゃないですけど、すごい兄(あに)さんとして、おふたりはいまでも大きい存在なんですよね。

大塚 ある意味では俺と鶴とは兄弟弟子だからね。20代に鶴とつるんでたときには、鶴のしゃべりにはやっぱり俺も刺激を受けたし。あいつはもともとは唐沢(俊一)(評論家)さんの弟子だったわけだから、そういう意味で言うと俺より全然キャリアもあったし。で、シゲに関してはそういうこともふくめて俺自身が持ってるものというのを、全部かどうかわからないけど、伝えられる部分は伝えたっていうのはあるかな。

――日常の会話とかもふくめてということなんでしょうけど。

大塚 あいつがしゃべれるようになってるというのはひとつ俺にとっては大きいね。

――でもそんなしゃべれなかったんですか? 菊崎さんと大塚さんが論争しているところに割って入れないのはわかりますけど、それ以外は普通だったんじゃないですか? まあ、コヤマさんの欠席裁判じゃないんで、そのときのコヤマさんの気持ちは別にあったかもしれないなと思うわけですけど。

大塚 パンクしてたらしいよ、あいつ。帰りのバイクに乗りながら「今日あったことをどうやって自分で整理していいのかがわからない……」っつって、頭抱えてたらしいけどねえ。ただまあ、「それが刺激になった」とも言ってたけど。まあ、そういうことの面白みが当時はあったけれども、その後はあんまりないかな。

――まあ、話は尽きないんですけど。

大塚 このタイミングでひと区切りして。(時間を見て)すごいな、4時間しゃべってるんだ俺。

――これ、どう区切ってアウトプットするかはともかく。

大塚 とりあえずテープ起こしもボリュームがありすぎるんで、俺に音声データだけ送ってもらって。

――音声チェックも、僕個人として困ることは言ってないと思うので。

大塚 うん。俺も困ることは全然ないので。俺のホームページでどこかのタイミングで音声データを上げるのが現実的じゃないかな。これ全部テープ起こしするのは相当大変だぞお前。

――まあまあまあまあ。

大塚 野口のテープ起こしの能力値があっても、4時間はさすがにきついぞ。

――まあ、いますぐ起こさなくても数年後ぐらいにはGoogleさんが、音声をポンと入れたらテキストでポンと出してくれる何かいいのを出してくれそうな気がしますんで、とりあえず第1回目はこんな感じということで。どうでした? 4時間しゃべる機会って最近ありました?

大塚 逆に俺がインタビュアーとして聞くことはあったけど、インタビューをされる側として、こういう時間はないよなあ……。

――ああ、そうか。大塚ギチ単独インタビューって。

大塚 ないないないない。

――『FREEDOM』のトークイベントとか『ノーコン・キッド(~ぼくらのゲーム史~)』のスタッフインタビューとしてはあったじゃないですか。

大塚 ああ、そういうのはあるよ。ただ俺個人のプライベートって公には話してないんで、こういう形でお話ができるのは、ほかの人にはねえ。

――総計何時間になるのか、まったくわからないですけど。

大塚 次、どうしようか?

――古い順に聞いてみたい気はしますけども。次は古い話からアンダーセル誕生ぐらいまでは行きたい感じですけど、でも大塚さんのなかで語りたい年代の比重の重い軽いもあると思いますし。

大塚 そうねえー。うーん、どこなんだろうな。

――時間軸があっちゃこっちゃ行くのも全然構わないと思うんで。

大塚 どっちなんだろうね、アンダーセル以前か以後だと。

――サイコロでも振りますか(笑)。

大塚 ははは(笑)。

――あるいは箱の中にお題を書いた紙をいっぱい入れて引くとか。

大塚 でもアンダーセル設立とかはさ。

――まあ、世の中的にはよっぽど出版とかに関わってない限り「アンダーセルって何?」という話でもありますし。

大塚 あるねえ。だからそのときはね、今日話してても思ったけど自分のなかでも大きいし、アンダーセル設立からの話に関しては俺単独で話をすることもできるけれども、コヤマという人間がやっぱり大きいわけですわ。俺の育ちの話では……まあ、イカれた育ち方はしてるかもしれないけど(笑)、どっちがいいのかなあ。

――僕、音楽の話題はわかんないですけど、ロックへの目覚めとかも堀りがいはあるような気がしますよ。

大塚 それはあるけどね、そんな今日みたいに長話ができるのかなあ。

――2回目は1時間とかでもいいと思いますんで。とりあえずそんな感じで。

大塚 今日の話は面白かった。

――こっちも聞いてて面白かったですよ。

大塚 まあ、イカれた職場だよね(笑)。

――うーん、なんかあらためて。

大塚 お前もよくやったよなあー。

――まあまあ、ちゃんとお給料は出てたんで(笑)。そんな感じで。ありがとうございました。

大塚 いやあ、とんでもないです。野口がいてくれたあの時期が一番クレイジーだったはと思ってるんで。

――そう言っていただけると。

(#05につづく)

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