オルタナティブな経済と開発教育

早稲田大学名誉教授の西川潤先生が、去る10月2日に逝去されました。開発経済学の泰斗でありながらも、NGO活動にも積極的に参加され、市民の立場から発言を続けられてこられました。また、開発教育協会(DEAR)の会員としても、30年以上にわたり参加・支援していただきました。

2010年8月の「第28回開発教育全国研究集会」では、「オルタナティブな経済と開発教育」をテーマに講演をしていただきました。西川先生のこれまでの活動に感謝し、講演録を掲載いたします。

今なぜオルタナティブか?なぜ開発教育か?

湯本浩之(司会・DEAR理事)
グローバルかつ市場原理優先の金融資本主義に突き動かされてきた経済・金融のあり方が厳しく問われ、日本においても、国内の貧困・格差問題が深刻の度合いを深めています。しかし、これらの問題は、昨日今日急になって突然現れたものではなく、2008年の「リーマン・ショック」を機に、日本の社会や経済が抱える矛盾や虚構があらわになり、そのことに私たちの多くが気付かされたに過ぎないのではないでしょうか。

「共に生きることのできる公正な地球社会」という「オルタナティブな社会」を目指す開発教育にとって、国内外の深刻な経済・金融の問題を無視することができないとすれば、これからの地球社会のありようをどう論じ、具体的な教育実践としてどう展開していけばよいでしょうか。

本日は、西川先生に「オルタナティブな社会」を構想する上で重要な視点や論点となる経済のあり方に着目し、近年取り組まれているオルタナティブな経済活動と、教育活動や市民活動との関係や連携について論じていただきます。

これまで、開発教育と経済の問題を直接的に関連付けて考える機会が少なかったので、今後の開発教育の実践上の目標や課題について議論のきっかけとなればと思います。

西川
私が2000年の「開発教育全国研究集会」(於:早稲田大学)でグローバリゼーションと社会開発をテーマに講演を行ってから10年が経過しました。今になり、1990年代のグローバリゼーションの進展は、世界経済に繁栄をもたらす一方、貧困を生み出し、南北問題を複雑化したことが明らかになってきています。南北格差は拡大するとともに、「南」の内部でも格差が拡大しています。貧困、環境問題は悪化しており、「北」の内部でも格差の拡大、貧困問題が顕著になってきました。

そして今、グローバリゼーションの失敗ではじき出された人びとのためのオルタナティブ経済が模索されています。本日は、(1)開発とは何か(2)グローバリゼーション/オルタナティブ経済とは何か、開発・発展は今どのような状況にあるか、(3)先進国の低成長・ポスト開発時代への移行期に際して開発教育の役割は何かの3点についてお話し、問題提起とします。

開発教育は事態の解決に貢献してきたか

まず、開発についてお話します。開発とは、第二次大戦以降、国家主導の下で展開されてきた世界規模の資本蓄積、経済成長の推進、経済社会の近代化の動きです。

冷戦体制下では、共産主義の拡大防止のため、開発支援が行われてきました。1990年代になると、経済開発が国境を越えグローバル化するとともに、格差や貧困といった社会問題や、環境問題が顕在化しました。そして、持続可能な開発、社会開発、人間開発といった開発に関する一連の新しい概念展開が見られるようになります。持続可能な開発では環境保全が、社会開発では貧困、失業、社会分裂の回避が、人間開発では貧困者の能力拡大がそれぞれ目指されたのです。

開発教育とはまさに開発に関する教育です。開発教育は、経済や社会、人間開発や環境保全などについて、その問題の所在を明らかにし、「北」の世界と「南」の世界との関連や、双方にとっての課題を提示する上で大きな役割を果たしてきました。

「北」の市民社会が、「南」と協力し連帯することの意味や正当性を明らかにすることができました。開発教育は、開発プロセスに関する市民の理解を深め、NGOの南北を結ぶ活動を支える役割を果たしてきました。

しかし、そもそも開発教育は、学習の課題としてきた南北格差、貧富の格差、人権侵害などについて、事態の改善にどれだけ貢献できたのでしょうか。開発教育は、市場経済の失敗のグローバルな拡大を後追いしてきたに過ぎないのではないでしょうか。

また、開発教育の「足場」としての教育を振り返ってみると、グローバル化時代の教育のあり方に、開発教育はどれだけ取り組んできているでしょうか。教育には、以下の3つの役割があります。

(1)現在の経済社会体制を支える役割(instruction)
(2)その中で個人を支え能力を拡大する役割(protection/empowerment)
(3)個人の能力を引き出しつつ、現在の経済社会体制の内発的変化を促進する役割(education)

ギリシャ時代、「学校」とは余暇・遊びを意味しており、古代の市民にとって「学校」は息抜きの時間、空間でした。近代社会になり、子どもは教育の対象に仕立て上げられ(アリエス*1)、同時に、教育はそれまでの生業や生活の場から引き離されたのです。ヴォルテール*2は(1)には権威主義的な側面が付きまとうことを説き、対してデューイ*3は(2)と(3)が民主主義を促進する側面があることを指摘しました。

*1 フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』(みすず書房、1980年)
*2 ヴォルテール「大学」『哲学辞典』(法政大学出版会、1988年)
*3 ジョン・デューイ『民主主義と教育』(岩波文庫、1975年)

私たちは今日のグローバリゼーションの行き詰まりに際して「オルタナティブ経済」を模索するにあたり、教育現場の荒廃に着目しなければなりません。私たちは「貧しい社会の豊かさ」に注目してきましたが、「豊かな社会の貧しさ」を直視することも必要です。

教育の現場では不登校、校内暴力、ニート、ワーキングプア、女子の就職困難、少子化等の問題として現れてきています。大学を出ても半数近くが正規雇用につけないことや、若者が内向き化していることも問題となっています。開発教育は、南北双方の世界の相対化という目標を達成する上で、何よりも教育という足場自体を研究対象とする必要があるといえるでしょう。

グローバリゼーションとオルタナティブ経済

最近の20年間、グローバリゼーションは世界に市場経済、マネー経済を浸透させ、一部に空前の繁栄を生みましたが、同時に、世界レベルで「貪欲資本主義」が横行し、弱い立場の人々の生活を動転させました。南北格差、貧富の格差、失業、貧困などの社会問題は南北を問わず広がってきており、弱い人々の生活が脆弱化しています。日本でも雇用問題の不安定化、新卒・女子の就職困難と労働形態の不規則化、ワーキングプア問題が進行しています。

世界人口の半数が貧困で苦しんでいるともいわれており(図1)、世界的に貧困層がビジネスの対象になり、軍隊の人材供給源ともなっています。世界的な富の偏在、過剰流動性、カネ余り、投機の問題も現れ、アメリカの住宅不良債権問題が引き起こした2000年代後半の世界金融危機は世界不況の発端となりました。人びとの運命がますますカネに翻弄されるようになってきています。映画『ダーウィンの悪夢』や『ブラッド・ダイアモンド』に見られるように、地域の貧困・紛争と世界市場が直結しているのです。 

図1:世界の貧困人口

人びとの欲望や要求の水準は高まっています。また、高齢化の進行、資本の海外流出に対応して財政赤字が累積し、従来、国家が果たしてきた人々の生存権保障の役割もおぼつかなくなってきています。さらに、環境悪化、生態系異常、自然災害、感染症が増加しています(図2)。

パキスタン水害、ハイチ地震など、自然災害は1970年代以降右肩上がりで急増しているのですが、私はその要因の一つに乱開発の進展や脆弱人口の増加があると考えています。地球温暖化には依然として「北」の国々の責任が大きいのですが、新興国の温室効果ガス排出が急増しています。南北格差が縮小すると、温暖化問題が悪化するという矛盾があるのです。

図2:世界の自然災害の発生数

これに対し、2000年頃から連帯経済という言葉が世界社会フォーラム等で現れ、グローバリゼーションに対抗したオルタナティブ経済の実践が進行しています。その一例に、草の根レベルでの弱者の自立活動を支える非営利活動があります。やむにやまれぬ生存手段の模索ともいえるでしょう。

具体的には、社会的企業やコミュニティビジネス、社会的金融、福祉・医療・介護等の組合、有機農業、一村一品運動などの地方自治体との協働、地域通貨、NPOメディアなどの動きです。また、市民による提言活動とガバナンスへの働きかけもされるようになり、政府や公共権力の説明責任・透明性、企業の社会的責任の重要性が高まっています。

そして、貪欲資本主義へのオルタナティブとして、包摂(インクリュージョン)の重視と人びとのつながりの回復を求める動きも現れてきています。ここでは、公共空間(図3)の捉え方が重要となります。

図3:公共空間図

経済成長時代の終わりに

市民社会の発展・開発は一つの歴史的プロセスです。開発という概念は、当初「市民社会の自己発展」を指した自動詞でしたが、やがて、他動詞である「権力者による資本蓄積」に意味合いが変化してきました。

私たちは経済成長時代の終わり、成熟経済・脱成長の時代に立ち会っているのです。成熟経済の理由には、以下の4点があげられます。

(1)高所得化、衛生普及により死亡率が下がり、高齢化が進んで、出生率も下がり、人口が安定化(日本などいくつかの国では人口が絶対的に低下)している。労働力不足を移民によって補っている。
(2)貿易収支が黒字の国でも海外投資により国内で資本の蓄積が行われておらず、周辺地域の工業化が進展している。
(3)財政赤字により、景気刺激もすすまない。
(4)消費財が行き渡り、内需主導型の経済成長ができない。人々の価値観がモノ主体から精神的豊かさを求め始めている。

この時代は市民革命以来の開発の終わり、ポスト開発の時代かもしれません。ブルジョワ性を身に付けた市民は、自己発展を国家の開発につなげて資本蓄積を進め、それが今日の貪欲資本主義へ行き着いたのです。

貪欲資本主義の下では、基本的な倫理が忘れ去られ、仏教で言う「三毒=貪り、怒り、無知」がまかり通ります。あらゆるものが商品化される中で、共同社会は崩壊し、他者への共感を忘れ、他者を手段としてみなしがちになります。このことは、教育現場にもいえることでしょう。人びとは孤立し、教育の場では子どもの孤立、貧困、不登校、ニート、親族・他人殺しとして現れています。敏感な子どもたちは「開発主義」や「開発時代」を拒絶しているのです。

ポスト開発時代への想像力

脱成長時代の今、私たちは「ポスト開発時代」を構想するにあたり、想像力を持つ必要があります。「ポスト開発時代」の方向は定かではありませんが、経済成長・開発時代に忘れられてきた人間本来の生き方、人倫を立て直すところから始まるかもしれないと考えています。「倫」とは人があい携えるさまを指しています。自立と共生があい携わることが倫理の基本です。

私たちは教育の場で知育を偏重し、体育はそこそこに、徳育を無視してきました。そのつけが貪欲資本主義に浸った自分たちとして現れています。多くの宗教は「自分をひらく、足るを知る、真理に目覚める」ことを教えています。「ポスト開発時代」は、人倫の回復、自分を回復することから始まるのではないでしょうか。このような時代の開発教育の課題を次の4点にまとめます。

(1)南北関係を踏まえながら、南北双方の貧困問題を統一的に考える。
(2)日本の教育「制度」の中での開発教育のあり方を考え、開発教育を子どもの貧困への取り組みの中で見直していく。
(3)その場合に、学制の中で忘れられている課題提起型、課題解決型教育を重視する。
(4)倫理、徳育を自立と共生のコミュニティ再建の展望の中で発展させていく。それは私たちが学び合いを通して、日々身の回りの豊かさを発見していくことにつながるでしょう。

これらは開発教育を通じ、教育の持つ(2)と(3)の役割を強め、オルタナティブな経済社会への道を準備すると考えられます。

質疑応答

湯本(司会):倫理を教育によって身につけることは果たして可能でしょうか?また、倫理と教育が接近することを危ぶむ人も少なくないと思うのですが。先生がお考えになる倫理について、もう少しご説明いただけないでしょうか?

西川:今の教育の中でばらばらになってしまっている子どもたちの個性と共同性を調和させ、つながりを回復していくのが倫理だと考えています。個人が集団の中に埋没していては絶対に倫理はあり得ません。日本の教育というのは、大部分の人に保障され、国民統合、近代化と経済成長に大きな役割を発揮してきました。だがそれは、同時に教育を専ら前述の(1)(2)の側面でとらえ、子どもたちの個性を制度に埋没させるものであったといえます。教育の中で、個性というものをどのように引き出し、さらにその個性の対立や出会いを通じてどのように社会参画へつなげていくか。その上で、世の中のいろいろな事象に対し、責任を持つことを学ぶ。

ここで責任(responsibility)とは、言葉の本来の意味に従い、時代や環境の変化、挑戦に対応していく(response)力なのです。教育現場で目指さなければならないのは、個性の確立・参画・責任・コミュニティの作り方です。

会場参加者:連帯経済はどこまでグローバリゼーションに対応できるのでしょうか?

西川:はっきりしていることは、市場経済のグローバル化は進んでいくこと。アジア地域など地域レベルでのグローバリゼーションも進んで行くでしょう。その時、政府や市場と市民の緊張関係は教育の場にも現れて来ます。連帯経済の一つの形として、オルタナティブな教育の推進が戦争や人権侵害の流れを食い止める流れとなり、グローバル・ガバナンスに対抗する場となり得るでしょう。

会場参加者:子どもの貧困問題をいかに開発教育で取り上げ、解決していくべきだと考えますか?

西川:初めにお話しした3つの教育の役割をいかに発揮して、グローバリゼーションに対抗していくのかということだと思います。こう考えると、開発教育というのは「南」の国のことを扱うものには限定されません。私たちの日常生活や現代社会の変化の問題を扱うものなのです。このような開発の多面的問題を私たちは見ていく必要があります。教育の持ついくつかの機能を念頭に置きながら、子どもたちの声に耳を傾ける。教師は自立した考えを持ち、それを教育の現場で分かち合う。世の中の流れに自分たちはどうやって関わっていくのか。お仕着せの答えではなく、一人ひとりが考えなければならないのです。■

西川 潤(にしかわ・じゅん)
早稲田大学名誉教授。早稲田大学台湾研究所顧問。早稲田大学政経学部及び大学院アジア太平洋研究科(国際関係学専攻)で、2007年3月まで教える。学術博士(早稲田大学)。専門:経済思想史・経済発展論。ニューヨークの国連本部で1981-93年の2年間勤務。内閣府男女共同参画審議会、外務省ODA懇談会、国際協力機構のジェンダー・環境研究会、国連「人間開発報告」、国際協力NGOセンター(JANIC)、日本国際ボランティアセンター(JVC)等の委員を歴任。1985年にフィリピンで教え、ネグロス島の飢餓を目撃、日本ネグロスキャンペーン委員会(JCNC)を同志の人びとと創立、副代表を2006年まで務める。同島で有機農業の研修農場を設立して農業労働者自立の手助けをしたり、フェアトレードで無農薬バナナや蔗糖(マスコバド糖)を輸入する業務に関わる。1995年にコペンハーゲンで開かれた世界社会開発サミットにNGO代表として、政府代表団に参加。これが、日本での政府―NGO協力関係の最初となる。現在、アジア連帯経済フォーラム学術委員、国際開発学会会長、日本NPO学会賞選考委員。
湯本 浩之(ゆもと・ひろゆき)
立教大学文学部特任准教授、DEAR副代表理事。大学卒業後、アフリカで2年間を過ごす。帰国後、現在の国際協力NGOセンター(JANIC)の事務局に参加。1996年からDEAR事務局長として組織や事業の企画運営に携わる一方、研修や講座の講師やファシリテーターを務める。2008年から現職。

※プロフィルは2010年8月当時のものです。
※本稿はDEAR News147号(Oct.2010/500円)の特集記事です。DEAR会員にはDEAR Newsを1部無料(年5回)でお届けしています。

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”国際系” note まとめ

This magazine curates notes relating to stuffs between globalness and localness.
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