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ほぼ學聴講メモ。(7月14日〜20日)

本日(20日)、とうとう、ロイヤルハイツにWi-Fiがやってきました! 実家電波どろぼうの暮らしにおさらばです。わぁいわぁい、アマゾンプライムも見放題だー。

なのですが、今回ぶんのメモはまだどろぼう時代(自分で書いててなんだけど人聞きが悪いな…)のぶんなので、見たのは3本だけなのです。なんか、熱くなって長くなってますけども。もっとコンパクトに語れるようになりたい。

幡野広志さん/「いい写真」は、だれでも撮れるものです。③

③は、いいカメラってどんなん?みたいな内容。専門的な話になったら寝ちゃうかも…って心配だったけど、ぜんぜんだいじょうぶだった。わかりやすいし、素人が聞いてもたいへんに納得がゆく。そういえば私、チェキを持ち歩いて散歩道の写真をバチバチ撮ってたことあったなぁ、と思い出した。全人生において写真はヘタだった記憶しかないので、そのときもたぶんへたっぴだったんだろうけど、チェキってSNSなどでの拡散になじまないから(デジタルで保存できる機種もあるみたいだけど)、いいとか悪いとか考えもしないで、ただ楽しくてカシャカシャ撮ってたんだろうな。ひょっとして、私にとっての良きカメラとは、あのひよこ色のチェキなのかもしれない。

山下貴嗣さん/僕がチョコレートと人から学んだこと①

豆を重視したチョコレートをつくってるすごいひと。年に4ヶ月くらい現地にカカオの買いつけに行ってる(※コロナ前)というのを聞いて、〈リアルマテオじゃん!〉(→クレオ・コイルのコーヒーミステリシリーズの登場人物。)ってはしゃいでたんだけど、お話が進むにつれてそれどこじゃなくなった。 チョコレートの話は、イコールで経済の話だし、貧困や不均衡の話だし、持続可能な未来についての話だし、つまりは結局人間の話だった。〈フェアトレード〉ということについてのお話のなかで、これはほんとに身につまされるおもいがしたんだけど、何かを遠くから無責任に語るときには、〈白は白、黒は黒!〉って、〈よくない世の中〉を簡単に断罪しがちだけど、コンビニでチョコを買って食べておいしい、私たちの世界は〈9割9分がグレーの状態で回ってる〉。だからって、じゃあ安く買い叩かれたカカオで作られてるチョコなんて食べません!って言ったら、現地のひとたちはもっと困ってしまうわけで。いったん〈そういうふうに回っている〉ようになった世界の仕組みは、単純な正義感だけですぐに変えられるものではなくなっちゃっている。その中で、自分に何ができるのか考えて、ひとつひとつ積み重ねていかないといけないんだよね、ってことを、気負いなく、柔和な表情でお話しされるのが、カッコイイなぁとおもう。実際に、その最初の一歩を、〈提案〉として、〈選択肢〉として、新しく提示できたひとの表情だなぁとおもう。あとやっぱり、こんなお話聞いちゃうと、“サロモンさんのとこの豆で作ったチョコレート食べてみたい!”ってなる、自分のミーハーっぷりをかえりみてちょっとはじいる視聴後感。

シャラド・ライさん/ネパールの留学生が、故郷に学校をつくった。③

最終回。さびしいな、もっと聴いてたい。(←すっかりファン化している。)や、でもね、ほんとカッコイイんですよ、シャラド・ライさん。まるで夢みたいなことをやっているのに、一方ではすごいリアリストぽい面もあって、クラファンで建てた学校を、今後、寄付なしで、自立して運営できるようにするための土台づくりもちゃくちゃくとしてて。③は、ライさんの学校の理念とか、これからについてのお話。(日本の学校のいいところを取り入れてます、っていう話題の中で、え、それって日本だけなんだ!?っていう驚きがあったりして、ちょっと自分の国の文化も誇らしく思えるおまけつき。)卒業生には、あらゆるところに行って、好き勝手に生きてほしい、でもいつかネパールに帰ってきて、ネパールのためになることをしてほしい(「これは僕のワガママかもしれないけど」って付け加えるとこが奥ゆかしい。)、ってキラッキラの笑顔で語る。なんかこう、夢とか、希望とかを語ること、語れることって、実はものすごくカッコイイことなんじゃないかって、改めて気づかせてくれる授業でした。学校の生徒たちについてだけじゃなくて、自分の将来についても、〈ネパールのリーダーになりたい〉、しかもその動機が〈ネパールを笑顔にするため〉(!)って、真っ正面から言い切ってしまう。正真正銘の素直さって、ある種の凄みを伴うもので、おそらく御本人が意図してないだろう迫力を生んじゃうんだな、とおもったりもした。あと、学校の様子をうつした写真の中のライさんがめっちゃかわいいの。授業のときは民族衣装のお帽子だから見えないんだけど、髪のはえかた(?)というか毛流れ(?)がなんか好きなんだよなー。って、結局ミーハーなうえにじゃっかんマニアックかよ、とツッコまざる得ないようなのが現在の私の偽らざる感想である。(残念な子…。)

わぁいわぁいと感想文みたいなのを書いてますが、実は、各講座で語られている〈核心部分〉、〈結論部分〉(ではないかと、私がおもうもの)についてはあまり触れないようにしています。ネタバレにならないようにっていうのもあるのだけど、そういう《うわ!》っていう、知る歓び、もしくは驚き、みたいなのって、ひとづてに聞くのと自分が目撃者になるのとでは、ぜんぜんちがう体験のような気がするからです。私の記事を読んでくれる心優しきみなさんから、その《うわ!》の機会をなるべく奪わないように、だけどやっぱり語りたいことは語りたいので、毎度そのせめぎあいの中でギリギリを攻めてます。(なんの報告か。)

…おもえば、こんなアレに(どんなドレかはともかく)根気よくおつきあいくださり、ほんとうにありがとうございます。ぺこり。

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