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紆余曲折を経て

こんにちは!
本日のnoteは4年出口が担当いたします!

自分達4年の代に変わり、ゴールともいえる島原学生駅伝まで今日でちょうど5日前になりました。
もう区間走者も暫定し、調整練習真っ最中で、部員みんなの顔も日を重ねるごとに駅伝走者らしい顔になってきました。

駅伝はまだ終わってないので、しみじみと1年間を思い出すのはまだちょっと早いということで、つらつらっと自分の駅伝に対する思いを書いていきたいと思います。


補欠の2年間

4年生になったということは1-3年生だったということです(?)
つまり3回の駅伝を経験しているはずです。
でも、件の感染症で1年生の時は中止になりました。
満を持した2年生、Aチーム唯一の補欠として駅伝を終えました。その年はBチームも出場しており、駅伝を走れなかったのは自分含めた数人だけでした。

その時、悔しいという気持ちは湧きました。

当然です。それに向けて練習を積んできたので。

でも思い返すと、その時の悔しいという気持ちは干支で言うと、巳くらいだったのかもしれません。

初めての大学駅伝。2区付き添い


そして、3年生になり、カリスマ悪魔のもとで練習に練習を重ねました。
正直この1年間はきつかった。
「島原優勝」という目標を掲げ、たくさんの壁にぶつかり、そのたびに仲間と乗り越えていきました。
PBも更新し、着実に「速い」選手へと成長していきました。

この年の島原駅伝。長大は去年同様8位。
自分はまたしても補欠として終えました。

7区のまつこーさんが帰ってきた時、泣いている人、「お疲れ様」と声をかける人、笑っている人や悔しさを全面に出す人。たくさんの顔が並ぶなか、僕はそこにいました。言葉通り、存在していた。それだけでした。

悔しい。そんな感情も湧きませんでした。
負けたことより自分が走れなかったことが頭から離れず、みんなの輪に入れませんでした。


勝負の最終年

駅伝に出場し、自らの手で他大学を倒したい
チームのエースとして走りで牽引したい

これが今年の個人目標です。

もちろんチームでは勝ちたいです。みんなで思いっきり泣いて笑いたい。

でもそれ以上に自分が勝ちたい。
この感情が随所に出る1年でした。

実はこの日も大きな節目だったり


いろいろ寄り道をして、遠回りして、立ち止まって。
たくさんいろんな人と話をして。
でも成長しない日はなかったのかもしれません。

ついにここまできました。

長いようで短いとはよく言いますが、この一年は長かった。めっちゃ悩んだね。まじで。

後輩のみなさん
僕みたいに最後の年のために3年間を使ってしまうようなことはしないでください。(そんなつもり微塵もなかったけど)
ラストイヤーじゃないからこそ挑戦出来ること、学べることもあります。
まだあと5日できることはあるはずです。
やればできるってこと知ってます。

やることやり切れたら、心から泣いて笑って、「いい駅伝だった」といえると思います。
悔しいと感じる人は干支でいうと亥くらい感じることができると思います。(来年は辰年らしいですよ!)


最後に

走る選手は全員が
「自分がエースで、この大会の主役だ」
と思って走ってください。

応援する人は
「自分の声は絶対に選手に届いていて、背中を押している」
と思って応援お願いします。

俺たちは強いです

自信を持って島原に乗り込みましょう

出口達基

やってやれないことはない

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