作例と振り返る、Leicaで写真はうまくならない
結論からいうと、撮影機会が増えたことで上手くなった可能性はある。
ただし、短期的にはLeicaで撮る写真は下手になる可能性がある。
写真自体の良し悪しか、その経験を元に撮影者がどうなるか、という問いでは全然結論が異なるので、ここでは、Leicaという写真機がもたらす経験とその影響を話したい。
ちなみに、
Leica自体の写真の出来に関してはデジタル現像のこの時代、ある程度どうにでもなるし、結局好み(購入者が満足するかどうか)で、それと値段が見合っているかは価値観の問題でしかない。
改めてLeicaとは
私が所持しているLeicaはM11とSL2-S。
今回は主に、デジタルのM型「M11」についてお話していく。
ポジティブ・ネガティブなく事実で簡単に説明すると
一般的なカメラより高い
ボディ100万を超える。
レンズも高いやつだとそのぐらいする。
レガシーな特徴
モノクロ専用機がある
レンジファインダーという謎の機構でピント合わせ
オートフォーカスはない
技術的な性能はそれなり(?)
画素数・階調など。世代によって違うかも。
電子的な品質はよくない
SDカードとの相性、フリーズ問題など
工芸的な品質はよい
音、手触り、デザインなど
憧れで買って、いざ使ってみると「え?」ってなるのはそういう品質の問題があると思う。そこまで愛でてってなると、それは信者的である。
最新の技術に助けられていたことを実感させられる
「iPhoneでもキレイに写真が撮れる」
というのは少し間違いで、
「iPhone ”だから” キレイに写真が撮れる」のである。
何が言いたいかというと、
適正な露出やオートフォーカスはもちろんのこと、
ソフトウェアで加工されるボケ感やHDRなど、
何もせずともタップすればいい写真が撮れるようになっている。
しかしLeicaでは、
オートフォーカスはそもそもない
MFレンズ使えばLeicaに限ったことではないけど、急なものには対応できない
レンジファインダーという謎の機構でピント合わせする
EVあるが、多分みんなレンジファインダー使いたがる
同じような模様があるとわからん
明るすぎても暗すぎてもわからん
そもそもその見えてる通りに撮れるファインダーじゃない
→ 構図が思い通りにいかない
あと起動が遅かったり、前述の電子的な品質の問題でそもそも電源がつかないなんてこともある。
つまり冒頭のとおり、Leicaを使って即座に写真が良くなるなんてことはない。むしろ慣れないうちは逆だと思う。
Leicaの真の価値
一概には言えないが、Leicaを手にする人の多くは、誰かの写真に心を奪われ、憧れを抱いて購入するのではないだろうか。
それは著名な写真家かもしれないし、芸能人やインフルエンサーかもしれない。ただ作例をみて特定の「誰か」ではなく、そういう影響を受けたのかもしれない。
ただし、ここで重要なのはその写真を生み出したのは機材ではなく、撮影者だということ。
つまり、Leicaを買えば誰でもあの写真が撮れるわけではない。
では、Leicaの価値はどこにあるのか?
私は、撮影への心構えの違いと、撮影モチベーションにあると考えている。
Leicaが生み出す体験と効果
Leicaユーザーの多くは、普段からカメラを持ち歩いている人が多い気する。
そういう気分に駆り出してくれるものであるし、日常にマッチするデザイン性、ファッショナブルな側面があるのだと思う。
そして、その効果として日常の中で撮るものを探し続けている。
ただし、Leicaはワンタッチで快適な撮影とはいかない。
だからこそ、一枚一枚に込める思いは他のカメラとは違ってくる。
シャッターを切る瞬間、被写体と真剣に向き合っている。
だから私にとってLeicaとは、
写真と向き合う姿勢そのものを変える存在であるように思う。
写真を撮る機会を日常にしてくれて、
一枚一枚をしっかり向き合って撮る。
たったそれだけのことだけど、
私にとっては重要な価値になっている
それがすでにできている人にとっての価値は薄いかもしれない。
さあ、みなさんはどうでしょう。
Leicaで撮れば即座に写真が良くなる・上手くなることはないが、撮影体験から写真に対する向き合い方を通じて写真生活や撮影力が向上するだろう、というお話でした。
私にとって写真を撮る毎日になっていることは事実だし、それが写真上達につながっていたり、日々の記録につながっていたり、非常に高い価値をもたらしてくれていることは間違いないです。
おわり。
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