【今の香港で起きていること②】蒸し暑い拘置所で彼女は「敗北」をどう受け止めたのか
多くの市民がスマホをかざして行進したことし6月4日の”無言のデモ“から1週間後、香港で一番大きな西九龍裁判所に、再び鄒幸彤さんの姿があった。
鄒さんなど「支連会(香港市民支援愛国民主運動連合会)」のメンバーは、去年の6月4日にも天安門事件の犠牲者を追悼しようと大勢の市民が集まったことを巡って、無許可の集会を組織した罪などに問われていた。
(前回の記事はこちら)
数十台のカメラが取り囲む中で、鄒さんは訴えた。
鄒さんはまったくぶれていなかった。1年前に比べて政府の取り締まりは格段に強まり、鄒さん自身も逮捕を経験していたが、そのことが彼女をいっそう強くしたように思えた。
力強いそのことばに圧倒された私は差し出したマイクをしまうのも忘れていた。
「歴史の真実と尊厳を守る」
この裁判の被告の中に何俊仁さん(69)という人がいた。鄒さんとともに団体の副代表をつとめ、民主派政党の民主党の党首や立法会議員でもあった、民主派の重鎮だ。
その何さんも無許可の集会を組織した罪などに問われていた。9月15日に行われた裁判に出廷した何さんの髪は短く刈り込まれ、少しやせて見えた。
6月4日の追悼集会が香港にとってどんな意味を持ってきたのか。何さんは法廷で訴えた。
静まり返った法廷で、娘くらいの年齢の裁判官を前に淡々と陳述する何さんの姿に、傍聴席からはすすり泣きの声が聞こえた。天安門事件は、中国ではタブー視され公に語ることが許されない。支連会が30年以上追悼集会を続けてきたことで、中国ではなかったことにされた事件を香港の人たちが語ってきたと主張するものだった。
支連会の活動は中国本土とは異なり、自由な言論が許される香港の「一国二制度」を体現するものだと、とらえられてきた。何さんのことばは、そのことを誇りにしてきた市民の気持ちを代弁していた。
「私はこの場にとどまり最後まで闘う」
鄒さんと支連会を取り巻く状況は日に日に厳しくなっていった。9月8日、鄒さんは支連会のほかの幹部とともについに国家安全維持法違反で逮捕され、その後起訴された。
罪名は「国家政権の転覆を扇動した罪」。支連会が発足当初から掲げてきた「共産党の一党専政を終結させる」という目標は中国共産党の指導に対する挑戦であり、国家の主権を脅かすとされたのだ。
この翌日、下町にある古いビルの10階にあった「六四記念館」には警察が捜索に入った。支連会が収集し展示してきた天安門事件に関する資料などは次々に押収されていった。
そして保安当局が「団体の活動禁止を命じる可能性がある」と言及すると、獄中にいる支連会の幹部たちは、「身の安全などを考慮し、団体を解散するのもやむを得ない」とする書簡を発表した。
追悼集会の意味を法廷で訴えた何俊仁さんも、書簡に名を連ねた一人だった。団体にとっては苦渋の決断だった。
これに対し支連会幹部の中で鄒さんだけが解散すべきではないと反対した。当局に抗うことはその後の裁判で不利になりえることを覚悟したうえでの表明だった。
しかし支連会は9月25日、会員による臨時総会を開いて解散を決めた。
蒸し暑くせまい拘置所の房の中で鄒さんはどんな気持ちでこの知らせを聞いたのだろう。しかし鄒さんはきっと絶望してはいないだろう。今後の裁判の中でどうやって自分の主張を説明するのか、弁護士として作戦を練っているに違いないと私は思った。
(若槻支局長の香港取材ノート、次回は「裁判という舞台の奇妙な“共演者”たち」来週月曜日に掲載予定です。ご意見ご感想もお寄せください)
若槻真知 香港支局長
島根県出身。97年NHK入局。大阪放送局、横浜放送局、
韓国ソウル支局、富山放送局を経て2018年から香港支局長。
地方局時代は主に検察事件や裁判を担当、
海外でも人権や社会問題の取材を続けている。
趣味は山登りと美術・映画鑑賞。香港4大トレイルを踏破。
【香港取材ノート】