「意志する人」と歩いた9ヶ月――退職されたエントリ(部下目線)

はじめに

これまで上長として支えてくれた 山口 亮 さんが、転職で会社を去ることになりました。

嬉々として「退職エントリを書く」などと抜か…すじゃなくておっしゃるので「じゃあ『されたエントリ』書きますね」と宣言し、Adventarに登録。お世話になった日々を思い出しつつ、ここに捧げたいと思います。

「退職されたエントリ」なるものがどれくらいあるのかざっと検索してみたのですが、あるにはあるけど上司がいなくなるというパターンはちょっと見つけられなかった。6000文字以上の長文だけど、レアものです。

とりあえず何をおいても一番言いたいことは、ご一緒できたこの9ヶ月がわたしにとっては5年分以上の濃い日々で、それがとてもとても楽しく幸せで、本当に感謝しているということ。

なのでこのあとわたしが何を言おうとも、それが最上位です。ここ大事なのでよろしくお願いします^^

出会の3月

3月中旬の人事発令で、4月からこの方が上司になることを知りました。それまでの面識はゼロ。

前の上司の方とも初顔合わせでしたが、それから半年後にまた初顔合わせの上司にお仕えすることに。
ゼロから信頼関係を作るためのエネルギーがまた必要なのかと思うと、ちょっと憂鬱でした。

この方はどうやら社内の有名人だったようで、同僚たちが彼の出演している動画やブログで「この人だよ」と教えてくれました。

ビビリなわたしはこれらを見て「いったいどういう人なのだろうか…」とやや不安に。

さらに「いつもランニング帰りみたいな服装してて絶対変な人だよ」というインプットもあり、不安はさらに募ります。
とはいえ、直接お会いした時のファーストインプレッションでもってジャッジしたかった(何のジャッジだよという感じですが)。

下旬にその機会がやってきたので、所属している集団の現状、携わる仕事、課題などいろいろと共有。
あまり整理して伝えられなかったにもかかわらず「だいたい把握しました」と言われて驚いたのを覚えている。「え、まだ全部じゃないぞ。大丈夫かな」と。

というわけでこの時のジャッジとしては、
あたまよさそうだけど、なんかふざけた人かもしれない」と。
この感想は今もそれほど変わってないかなあ。

(ちなみにこのときはランニング帰りな服ではなかったのですが、
 翌月からはかなりの頻度でランニング帰りっぽい服装でした。)

羨望の4月

さてチームのメンバーはというと、わたしとこの方の2名だけでした。
会社で一番近しい存在になるであろう直属の上司とは良好な関係を構築し維持したい。2名だけだし、うまくいかなければ致命傷になりかねません。

わたしは普段サービスやコンテンツへのアクセスデータ分析の仕事をしているのですが、所属している集団の中でその役割に特化していたのは自分だけ。
しかしながら分析には、自分以外の目も絶対に必要だと思っていました。いわゆる「壁打ち相手」的な存在です。そうなってくれそうな人が来てくれた! というわけです。

なので、自分が何に関わっていてどういう手の動かし方をしているのか、
何が楽しくて何に悩んでいるのか、常に同期させておきたかった。

そのためには早々に距離を縮めておく必要があると思い、
まず下の名前でお呼びすることを提案して、OKしてもらいました。
(名字と下の名前とでは、明らかに下の名前のほうが発音しやすかったという理由もあり。)

これはかなり効果が高くて、話しかけるハードルが俄然下がりました。
その後いつも「りょうさん」とお呼びしていたので、以後はこの呼び方で綴ります。

さて、そんなりょうさんとわたしの性格は完全に真逆でした。
わたしは人見知りはするし、他人と自分を比べてしまうし、オープンに発信するタイプではないし、自分の学びさえ得られればあとはどうでもよくて、無難を維持すること優先しがち。
(今なら、それが問題解決につながるとは限らないとよくわかる。)

対してりょうさんは、何にも臆することなく、必要とあらば立場を問わず誰とでもカジュアルに会話するし、仕事に関係することでもないことでもオープンに発信して周囲を巻き込むし、もつれた課題もすばやく交通整理してくれました。その速さには、ときに狂気を感じるくらい。

社内外に幅広い知り合いを持ち、つないでくれることで、わたしとも知り合いにしてくれることがよくありました。

そのフットワークの軽さが羨ましすぎて、このころは嫉妬することもありました。わたしが半年かけてどうすることもできなかった問題を、あっという間に片付けていったから。
自分ができなかったくせに嫉妬するなんて、なんてひどい話でしょうかね。

信頼の5月

りょうさんは「課題発見」「整理」「解決法と次のアクションの提示」のスピードがとてつもなく速く、最初はついていけない自分の無能さがちょっとつらかったのですが、そのうち「もしや周囲のペースに合わせてスピード落としてる?」と思うようになりました。

「それはりょうさんの今後にとってはどうなんだろう? 」という気持ちがよぎったけれど、ともかく一緒にいろいろな案件に巻き込まれていくのはとても快かったです。
嫉妬どころか、信頼と尊敬を置くようになるまでにあまり時間はかかりませんでした。

タスクの確認、今後の予定、分析のネタ出し、その他細かい悩み相談、などなど、ほとんど毎日話していたので、まれに話さない日があると違和感があったくらい。本人も仰っていたけど、会話は時間じゃなくて頻度がすごく大事だとしみじみ。

あちこちからの相談をうけて走り回りつつ、こちらのやっていることにも関心を持ち、知ろうとしてくれていることが嬉しく。実際に手を動かして手伝ってくれることもありました。

日々の会話含め、このすごい方の時間を随分わたしのために使わせてしまったので、そこは申し訳なく思っているところ…。

きっとイライラさせることも多かっただろうなー。
しかし、よい意味でテキトーな面もあるりょうさんにはわたしもムッとすることが無かったわけではないから、お互い様ということで許してもらいたい。

そこらへんをお互い把握しつつ、譲るところは譲って、譲らないところは譲らず、まあまあ良好な関係をつくれたのではないかと思っています。
りょうさんから見たらどうだったでしょう? 同様だったらうれしいのですが。

怒涛の6月〜9月

実はこの間のことは、高速に流れすぎてあまり記憶に残っていなかったりします。だけど、こんなに頭を使って仕事をすることは前にも後にもないだろうというくらい、とても濃い日々でした。

元々わたしたちには、この半年を使って証明するべき「とある課題」がありました。それを証明するためにはどうアプローチしたらよいか。この手法を使ってみてはどうか、比較対象を変えてみてはどうか、調査対象にこれも加えてみてはどうか。などなど、大いに相談しました。

以前もサボってきたつもりは一切なかったけど、りょうさんはそれ以上にこちらの脳をフル回転させてくれ、ストレスを感じさせない快さを維持させつつ、全力以上を使わせるすべを心得ていました。

そんな状態の自分は、当時恐ろしい量の脳内物質が出ていたと思います。
数千行のSQLを書いて集計してレポート書いてそれをまた繰り返して、
どんなに退社が遅くなっても、この方といっしょに戦えるのならいいや。
という、危ない何かをキメちゃってるような状態。

その後のアウトプットは残念ながらサービスやチームに画期的に役立つものではなかったけど、自分には得るものの大きい日々でした。

「毎日120%出していると死ぬので、80%くらいで同じパフォーマンス出せることを目指したい」と言ったら「それだと絶対60%に下がるから、105%を毎日続けてタフになるのがいい」と言われて、「さすが、ゆるめてくれないなぁw」と思ったのを覚えている。

思うに、何をやるかも大事だけど、それを誰と一緒にできるかも同じくらい大事なのだと思います。おかげで、春と比べて成長できたと実感できました。


さて、このような人がいると周囲の信頼や期待も高まる一方だったはずで、
詳細は把握していないけれど、りょうさんは様々な「役割」を引き受けることが多くなっていったように思います。

兼務するチームが増えたり、内部的なPJやWGに参加したり、その他名指しで命じられる細かいこともいろいろあった模様。もちろんそれらも軽快にさばいていました。

そのうち、おそらく夏の終わり頃からか、着任しはじめのころに盛んだった「オープンに発信して周囲を巻き込む」ことが少なくなっていきました。

課題を切り分けて整理して次のアクションを導き出すスピードの速さや、どんな相談にも乗ってくれるところは変わっていなかったけど、ひそかに「これは危ない兆候だ」と感じていました。忙しいのは間違いないだろう、でもそれだけではないなと。

毎日会話をしていたわりに、わたしはそこに切り込む話を仕掛けてよいものかどうか迷っていました。
自分のことは何でもりょうさんに共有していたけど、りょうさんからも同じ量を引き出していいかどうかは別な話です。

オープンなようでいて、そういう深い部分を容易に探らせないところがある人だと思います。

ちなみに出会った時点で「すぐにいなくなる人だな」ということは無意識のうちにわかっていました。役職が上がるか、転職かはわからないけど、一箇所に留まる人には思えなかった。

あらゆる情報を集め、学びを得、それをもとに軽やかに意志決定するだろう。ご自身の進む道も。
よって、半年お仕えできたらOKと思わなければ、と自分に言い聞かせていました。 

忍耐の10月

とはいえ9月の発令で、10月以降もまたご一緒できることになりました。正直ホッとしたのは事実。
この月は新たな期のはじまりで、目標設定時期にあたります。

このころの仕事は、前期のように頭を使って考え抜いて、仮説を考えて検証を行う、というよりも、目標設定の材料にするためサービス側の見たい指標数値をSQL書いて出力し渡す、といういわば作業的な仕事が増えていました。

「そればかりだと辛い」という悩みは度々相談していたのですが、諸事情もあり今だけはやむを得ないだろうという話でまとまっていました。納得はしていなかったけど。

そして同時期に、りょうさんにもますます役割や兼務が増えて、管理・調整・連絡・また調整…の割合も増えていったように思います。
例によってさくさくっとできてしまうとはいえ「役割として負う仕事と、彼が本当に追求したいものとは一致しているのだろうか」と、なんとなく気になっていました。

分岐の11月

そんな、とある11月1日。
りょうさんから別室に呼ばれ、
「今月で辞めることにしました!」
「最終出社日は今月末」

と高らかに言われたのでした。

断ち切るかのごとき言いっぷりが、見事なまでに軽い。軽すぎる!

確かに予想はしていたけどやっぱり驚きました。
ついにこの日が来てしまったと。

去るにしても9月とか3月とかキリの良い時期を選んでくれるのではと思っていたので、まさか今だとは思ってなかった。さすが、こちらの勝手な期待通りには動かない方です。
こういうときも腹が立つほどフットワークが軽いし、さらには月の後半に旅行に行くから休むとのこと(ふざけすぎだろと思ったw)。

その場では衝撃もあってあまり何も聞き返せなかったのだけど、
あとからじわじわとダメージが来ました。

悪いことに翌日からは3連休。わが社は土曜日が祝日だと、振替で前日の金曜日が休日になるという仕組み。
この衝撃を抱えたまま休日に入るのはとてもまずい。
なんでこのタイミングに言ってきたかと、ちょっとむかつきました。

仕事をしていれば気が紛れていただろうけど、休日に仕事を好んでやる趣味はない。外出もしたけど頭の中では悶々と落ち込みまくって、電車乗り間違えたり。正式に発令が出る日までは開示できない情報なので、下手に周囲に相談もできない。

こうなるとお顔を見るのも辛いので、週明け11月5日は自宅勤務にすると告げました。

わたしなりの苦しいことの解決法のひとつは、考えないようにするのではなく、次から次へと湧いてくるのに任せて、考え続けること。
そのうち疲れて「なるようになるだろ」に至るという効果があります。
(考えている最中はそれなりに辛いので、誰にでもおすすめはしないです。)

・予想していたこととはいえ、今このタイミング?  どうして? せめて期末の3月なら、ゆっくり覚悟を決めてお別れできたのに。
・今後、同様の学びをもたらしてくれる方に出会える機会はあるんだろうか?
・ただいなくなるだけ、元に戻るだけだと思えばいいのか? 
・いや、元に戻るのはダメなはずだ。せっかく成長できたのにそれを止めていいのか?
・本当は何が原因なのか? 内容によっては今後の自分の在り方にもかかわってくるのか?

とかとか、湧いてくるのに任せていました。
すべて自分の身勝手な感情で、りょうさんにはまったく関係がないこと。
でも、湧いてくるものがなくなってから「これらを一度本人にぶつけない限り前には進めない」と、わたしの脳内会議は結論づけました。
よいことも悪いことも共有してきたんだから、今さら何をためらうのかと。

というわけで自宅勤務とした月曜日、Slackでの朝会で
「思ったよりダメージが大きかったので、一度改めてお話する時間がほしいです」とお願いしました。いつものように快く引き受けてくれました。

対面で改めてお話をしましたが、そこでお話したことはほぼりょうさんの退職エントリに載る内容だろうし、載らないことは言うべきではないだろうから省略。

少し目から塩分も出たけど、理由には納得できました。そういうことなら仕方がないよなあと。でもタイミングはやっぱりひどいと今でも思っていますw

そのときから今日まで、今まで聞けなかったことも含めていろいろな話をしました。

最近、おそらくただひとつの共通点を発見してお互いに笑ったのが、
なにか別な楽しみを見つけてしまうと、それまでの場所を見切るのがとても早い」ということ。
遅かれ早かれ、いつかわたしにもそのときが来るんだろうな。
真逆な性格のようでいて、実は似ているところがあったのかもしれない(どっちもB型だったし)。

もっと一緒にいろいろなことを試したかったし、なにかを作り上げたかったなあ。
転職先にも遊びに来たらいいと言ってくれたので、たぶん行くんじゃないかと思うけれど、お話をするだけで学びを得られるという稀有な方なので、その時はまたメディアのことやデータのことをいろいろ教えてほしい。

そしてなにより、りょうさんが「成し遂げたい」と言っていたことが実現するのかどうか。
ちょっと遠くから見ていたい。驚かせてほしい。そう願っています。
でもきっと実現するでしょう。りょうさんのやることだもの。


お見送り前の1on1。ドーナツを前に神妙な表情をしてみせているところ。



(アカウントだけ取ってしばし放置していたnoteですが、アウトプットの訓練も兼ねてときどき何か書いてみようと思います。ご覧いただきありがとうこざいました。今後とも何卒。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?