#19日目:シュレ猫と旅する哲学
●少し長めの休暇
いつもより少し長い休暇をとった。
目指すでもなく、遂げるでもなく、
そのうち何かがふっと現れるのを
ただ静かに待つ時間。
そんな時間にこそ、出会った本がある。
手に取った一冊から現れたのは、
時空を旅する不思議な猫だった。
シュレディンガーの猫。
量子の世界を表現するたとえ話に登場する
生きていて、"かつ"、死んでいる
(DEAD "AND" ALIVE)
なんとも不思議な状態の猫。
シュレディンガー博士の思考の中から
生まれた空想の猫こそが、
この本の案内役となる『シュレ猫』だ。
●世界観の『観』にふれる
シュレ猫は、哲学する猫として、
ふっと現れては消え、消えては現れ、
時代を超えて、哲学的偉人の言葉を借りて
世界の見方、ものの見方を
勝手気ままに語りはじめる。
哲学する猫の友人は幅広く、
(なにせ気まぐれな猫だから…)
ニーチェやサルトルなど今でも話題の哲学者から、
「星の王子さま」のサン=テグジュペリや
「沈黙の春」のレイチェルカーソンまで
原著なしでもその時代背景、エッセンスに触れることができる。
●シュレ猫が教えてくれること
世界の見方、ものの見方は、ひとつの完結した体系ではなく、
シュレ猫がそうであるように、幾つもの重なり合いにある。
生きていて、かつ、死んでいる猫は
論理的整合性にのみ閉じられた世界から見ようとしても、
決して姿を現してはくれない。
量子の世界はまったく専門外の私も、そんな
「重なり合い」の世界観に触れ、すっかり
シュレ猫の行方が気になる一人になってしまった。
今頃どこを旅しているのだろうか。