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『名もなき77億のあた詩たちへ』

⑧ 田町のジュリアナ師匠

ぐるりん山手線内で別に分かり合えてるとかはないのでするが、「お友達」とゆるく同し景色に入れ込まれたうちに、ええ、そうですよねえ、やはし、「お友達」は精神衛生上大切ですよねぇ、すちゃっ、と思おうかなって思う寸前に、ふと、車両内はあたしと「お友達」以外は、全員異様な団体乗客の皆様であることに気がつきました。
団体乗客ご一行は、玉ちゃんとの再会で完全にあたし&玉ちゃんの感性がスルーしていた田町駅からどうやらライドオンしていらしたらしい《ジュリアナ東京の穴から出てきた人たち》というAR/拡張現実の看板をセカイカメラを覗かないで可視化できるように説明書きされた、ある種恥でも目立ってなんぼまんぼ風味を望んでいるようなご様子の女性達でございます。

系列を持たされた「お友達」たちは、お色で喩えるるならば、全員どどめ色です。
THE Tokyoどどめ色コレクション2010年代すなぁ。
あ、でもでも、そんな風に「お友達」の彼らを喩えてしまうと、まるで負/腐のみを、あたし自身下にいるくせに淀んだ勘違い風味でば上から目線で仄めかしているような感じになってしまうんにょですが、いえー、いえいえOH-YEAR、どどめ色ーズ「お友達」の彼らは、あたしなんかよりもこのもりもり整備roundされたのだか勝手に隆盛して衰弱したのだか、やっぱこぽこぽ生きているじゃーんな、なのだか、わけわかめ~わかめ~ゆらゆらら~~わかんなーいわからないな東京密林、まぁ大雑把に申して、そのような感じの東京の一端に妙に馴染んでいるといふか、紛れも無く、彼ら/「お友達」は、ここの一部なんだなぁって抗えない音綴の織り成すバッカスなのです。本当です。まぁ、無論、申し上げるまでも無く御洒落やら洗練やらやらの通常からは隠されている緯(よこいと)様方ではあるのでするるが。
あたしは、せっかくできた緯(よこいと)の「お友達」に、お友達会話がなされているのだから、ちょっとでも頓知の利いたナイスでグーなことをば話さなきゃ話さなきゃ、と脳絵をfull稼動させつつも、片隅の脳絵では、あくまでも他の乗客の皆様からの視覚に配置される自分は、すました男装の麗人の構築景観を崩しちゃいけない、そこ絶対に守らなきゃ、と、なにも生み出しはしないけれど、ここまできたらもはや非生産職人芸だなっ、という名工・正宗並みの神経無駄研ぎ澄まし芸で、お友達会話にすら苦悶する小心者感を肉体と表情に反映させないよう細心の注意を払いつつ、どーでもいい雑談のために見つけられるだけのあらゆる神経回線をばひねりんひねりひねりし続け、うぱっ、と、結局無言で「お友達」三人に無言で頷く、という無難な線に落ち着いたりそれなりにお友達lifeをば堪能しはじめました。山手線ぐるりん、ぐるりん。

ぐるりん山手線内で別に分かり合えてるとかはないのでするが、「お友達」とゆるく同し景色に入れ込まれたうちに、ええ、そうですよねえ、やはし、「お友達」は精神衛生上大切ですよねぇ、すちゃっ、と思おうかなって思う寸前に、ふと、車両内はあたしと「お友達」以外は、全員異様な団体乗客の皆様であることに気がつきました。
団体乗客ご一行は、玉ちゃんとの再会で完全にあたし&玉ちゃんの感性がスルーしていた田町駅からどうやらライドオンしていらしたらしい《ジュリアナ東京の穴から出てきた人たち》というAR/拡張現実の看板をセカイカメラを覗かないで可視化できるように説明書きされた、ある種恥でも目立ってなんぼまんぼ風味を望んでいるようなご様子の女性達でございます。
その女性達は、皆様、露出甚だしい水着のようなパッツン・ピッツン・ズッキュン・ドッキュンなボディコンシャス(量販店『ドン・キホーテ』の洋品コーナーとかで拝見しますよね、あれです)をば見纏いになっていらっしゃる、ジュリアナーンの生霊たち……。
ジュリアナーンの生霊、凡そその齢/around fortyなのでふが、いや、ara_forと申し上げると、それはあたしの洞察なのか、寧ろろん、あたしの精神の狭き門のinがsightされているのか、といふまたぐるりんこなぐるぐるな無駄なこじらせをば生じさせるこの視覚いるかのimageでinsightで計測した、だからまぁ、おそらくara_forな、もう疲れるのであらふぉーと暴力的にご説明させていただきます。すみません、ara_forでお願いします。
で、それにしても。ara_forのジュリアナーンの生霊の皆様、生霊にしては妙に生感がお強く、びみょ~な疲れと母性みたいな何かが肉体に充満していらっしゃり、あたしとは違う東京の青春を謳歌したのだかやっぱり踊っているつもりで青春の自転車操業させられちゃったのだは謎なのだけれど、同しコスチューム系列のいさめ/慰め/勇めをしている同士の妙なのかみょうちくりん同士でございますし、斜めsympathy of soul、当時このジュリアナーンの女性達がどんな風にルッテルを貼られたのか不等性の均等を保ったり衝突したりしたのかももはや知る由もないのでするるが。
ジュリアナーンの生霊達は、ボディーコンシャスと共に、もれなく通称ジュリ扇と呼ばれるジュリアナ扇子をお持ちになっているのでするるが、ジュリ扇とは、ユリカモメ/都鳥が幾千年の昔から飛んでいる最中に落としてきた羽たちを地道にひらい続けてらっしゃった晴海ふ頭の船頭の詩人たちが集めては、そのユリカモメの落とし羽に、その時代ごとの色々を彼らなりの解釈で着色した羽々が大量につけられ仕立てられたふわふわのケバケバのお扇子のことのようでございます。
 
ぐるりん山手線は、田町駅はスルーして、もう東京駅を出たはずはずなのに、「次は田町駅です」と、文法的には正しいのだろども、みょうちくりんにしか聞こえないですよねぇ、の英語の車内アナウンスと共にまた田町駅に停車しました。
ジュリアナ東京がかつて存在したという田町に到着したらば、ジュリアナーンたちは俄然活気ついたご様子。
中でも、ジュリアナーンの生霊の皆さんから「師匠」と呼ばれているボス然とした風格の、団体の中でも生肉の露出度と少ない布のラメ度が格段にhigh level、デコデコのパチンコ台のようなボディーコンシャスをば見纏いになられているそのお方「師匠」は、田町駅から山手線がぐるりんこ発車しはじめるやいなや、にょっき! にょきにょきと、車両内に急に隆起してきたお立ち台にピンヒールで登りつめ、踊り始めたのです……。
お立ち台の「師匠」、腰を小器用にくねりくねりしながらも下半身と上半身も巻き込んだ上下に伸びたり下がったりの運動もしなやか、その柔らかさはパラパラみたいな今のダンスとはまた違っていて、もはや日本舞踊などの伝統芸能に近い凄み。左手は肝を据えて腰に置かれ、利き手らしい右手では徐にユリカモメの羽がたくさんついたジュリ扇をばひゅんひゅん上下しながら8の字に振り振り、でもジュリ扇揺らす手腕の上下は、身体そのものの伸び縮みの上下とは必ずしも一致していない上下運動で、単純なようで複雑で、たおやかなのだけれど、でもやはしおふざけのような、しょっぱいlibertyを表現していらっしゃる感じなのでございます。
「師匠」はお立ち台の上でdancingしながらも、時代の違和を揺さぶるあたしと「お友達」を目ざとく見つけ、
「ちょっとそこのどどめ色の兄さん方と男装きめてるあんた!」
とば煽動的に、「お友達」とあたしを指名して、そうシャウトしてきたのです。
……いつだってそう、はぁ、あたしって、女優目指してたときから、贔屓にされたい政治の力がある人からは一向に振り向かれないのに、こういう時だけは絶対に、絶対に指名されるディスティニー。そのディスティニー感が自由詩/ヴェル・リープルに奇数的な脚韻としてこの空気にとけこんだご様子で、心情詩の鏡の原風景として、車両内に石川さゆりさんの歌うひゅ~るり~ひゅるり~らら~~がか細いあたしのマラルメとして車両内に流れ出したのです。
 え?
え?、 です。散々ここまで男装きめて、自分なりにこじらせながらもはいつくばって詩考して、よりによって聴覚器官にヒットする文学の形象としてアウトプットできたのが演歌……って、ひゅるり~、ううん、とほほと思ったらいけない、奈々香、とほほひゅ~るり~と思ったらダメだよ奈々香、だって絶対今日のあたしの男装きまってる。玉ちゃんにも会えたし、林檎のケーキも一口食べれた、寧ろ疑うべきは、演歌へのジャンル差別、こっちこそがとほほなわけで、そうでしょ、凡庸メンヘルな上に差別かよっ、差別かよっ、演歌差別かよっ、しかもなんとなく欧米かぶれかよといふ風味のポエジー幻想の錯乱からあたしの観念とイマージュがもたらしたのが、それが演歌だと。このイマージュはどうせ変形してゆくものなのだし、このさゆりさんのひゅるり~~を受け止めて、いつか否定は肯定と同じものになるのだから。
っと、また脳内能書きこきをしていたらば、その間にあたしが苦悶しながらも認めた自分の戦慄詩/石川さゆりさんの越冬ツバメの「ひゅ~るり~~」だけのあの部分、が車両内に流れはじめ、あたしは恥ずかしい、恥ずかしい、きゃぴーと思ったのでするるが、案外「お友達」の皆様は
「ああ、石川さゆり、いいよねー」
「好きだなぁ、この歌、ほっとする」
などなど、ほんわかほわかしてくださってるご様子なのです。わ、意外、と思って、照れようかなと思う直前に、
「あんたのひゅるり~、借り物の上に、古くてしんきくさいんだよ!」
と「師匠」にあたしの詞の承認は瞬く間に一喝され、ひゅるり~~ひゅるり~らら~~の代わりに、ジュリアナああああートーキョーおおおおおーーーーーーーーー!!! ヒュウ! ヒュウ! テテレッテ テテテ テテレッテ POW!! ぱう!!! ジュリアナーとーきょおおおおーーーー!…………というすっとんきょうとんちき甚だしいしい毒っ気のたいそう強い音楽が大音量で流れ始める東京と時代をも巻きこんで巡るんぐるりん山手線車両内でございます。現実なうのあたしの奏でたお歌、バブルの生霊とユリカモメの羽音にのっとられ……ひゅ~るり~……、けどもパキパキのジュリアナーーーーーートキヨオーーーーーーオオオオ!!POW!……。

目眩がするやうな聴覚器官のさ迷いで踊り狂う師匠とジュリアナーンの生霊たちにたじろぎつつも、辛うじてあたしはキリッと現代感を出して佇んでおりました。そうしたらば、「師匠」は、有無を申させない感丸出しで、
「これからパン工場でパートするから、あんたたちもラインに加わりな! 詩的な林檎のケーキだけ作ってりゃいいと思ったら大間違いなんだよ。これが人生なんだよ」
と。なんといふか、その迫力に圧されるように、師匠の踊っていたお立ち台は山手線パン工場のベルトコンベアーのラインに変化いたしました。今まで調子こいて踊っていたジュリアナーンの生霊たちも各々ちゃんと工員の恰好になり、マスクや帽子まで被り、既にラインでしこしこ働いていらっしゃいます。
まぁ、空気、読んで加わらなきゃなぁと「お友達」三人が抗うことも無くとっととラインに配属されていったので、じゃあ? あたしも? 空気読んじゃう? 的な感じでパン作りのラインに加わったのですが、あたしが配属された箇所のラインはちょっと違う部門らしくて、海苔の上に均等に敷かれた酢飯の上に(ここまでは機械が作業するのです)に、ひたすら納豆を適度に一直線に並べるという、今日の夕方にコンビニで売られる《納豆手巻き寿司》の料理のラインの超絶一端だけを担う作業があてがわれたのです。
 な、なんで、皆パン作りに関する作業なのに……あたし、酢飯のラインなの……せめて、せめて粉雪からふわふわの苺クリームパンさんとかを作るラインに加わりかった……と不条理の鑢(やすり)をじょりじょり奏でながら、そいでもあたしは無駄真面目っぷりをば発揮し、誰も見ていないのでしょうが、男装に恥じぬようラインの作業に没頭しておりました。

(続きます…)

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