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うちのパパ、出産に立ち会わない件で新聞のった

最近お友達たちに出産ラッシュがおとずれている。出産の際、いろんな取り決めがパートナーや夫婦間で行われるのだろうなと予想する。最近は出産にパートナーや旦那さんが当たり前に立ち会うようだ。
うちの父は、子供が大好きだし、子供の命名なんかも張り切ってあれこれ工夫してしたし、アルバムもせっせと作ったりしていたのだけど、何故か出産にはいつも敢えて立ち会わなかった。立ち会わないどころか病院にも行かない。
父の性格からして、照れて無頼ぶっていたのであろうことは理解できるのだけど、やはり母は頼りにならないというか心細かったようだ。出産した後には母の病室で生まれた次の日の私や弟たちを父が抱っこして微笑んでいる写真がある。
お父さんの子供でもあるのだから、母が望んだのなら、立ち会わないまでも病院で待機していてあげろ? と感じる。よく理解できない「男らしい」価値観。
母が私たちを出産する時期に、母のお母さん、要はわたしの祖母が病気で伏せっていたので、女親に頼れず不安だったという。特に長女の私の出産は身体的にも精神的にも辛かったそうだ。なのに父は出産を物理的に見守る気ゼロ野郎。もちろん経済的にはきちんと責任を果たしていたのだけど、確かに母は大変だったろうと思う。
長女のわたしが生まれた時は父は飲み屋にいた。長男の弟のときは会社。次男の弟のときはテニスクラブ。次男の弟のときは母は諦めて覚悟もしていたし、慣れもあったので父に期待せず、家で待っているわたしと弟のことがただ心配だったらしい。
そんな感じで、数年たち、母とわたしたちで映画を観た際に、出産のシーンがあり旦那さんが手術室の前で祈るように奥さんのお産を待つシーンがあった。
わたしたち姉弟は、父があんな風に待ってくれていたのか期待して母に尋ねたら、酒、仕事、テニスにあけくれていた父の話しを聞いて、「お父さんらしい…」と思いながらちょっとお母さんが気の毒だった。
わたしと上の弟が小学生で、下の弟が幼稚園生のとき、父があるテニス大会で優勝したことがあった。わたしたち家族は応援に行っていて、その日は父も優勝できたしめでたしめでたしだった。
だけどその次の日、我が家のファックスに、父のテニス仲間から新聞のコピーが送られてきて、ちょっと空気が変わった。
おそらく地方面を割いた、父が出場したテニス大会の記事だったのだけど、父がショットを打っているモノクロで躍動に満ちた写真が小さく掲載されているのだ。
「お父さんが新聞にのってる!」
下の弟が元気よく母とわたしたちに新聞を持ってきた。
内容は、下の弟が、どうも一人でふらふらテニスコートの側で遊んでいたら、新聞記者さんに話しかけられたようで、幼稚園児の弟の名前も記されていた。
え?
少しびっくりして、母と一緒に新聞を読んでわたしはふきだした。
要するに、大会で優勝した父のことを記事にしてくれているのだけど、「お父さんの応援に来ていた次男の◯◯君によると、優勝に輝いた▲▲さんは、◯◯君が生まれた時にもテニスの練習を続けていたテニス狂」「◯◯君は、お父さんの試合を見つめながら、ー僕が生まれた時もお父さんはテニスやっていたのーと語る」みたいな内容だった。
母は弟の方を振り返り、
◯◯ちゃん、新聞の人にお話したの!?
と弟に聞くと、弟は
「なんかおじさんに聞かれて喋ったー。なんか話したなあ?」とニコニコしている。
下の弟は小さなころ、全然物怖じしない自由人だったので、さもありなん…よりによって、そんな記事になっていて家族としては笑うしかなかった。
父は、その日も会社おわりにテニスコートで練習して夜帰ってきたら、明らかに不機嫌だった。玄関でもう父が不機嫌なのが分かったのでわたしは「おかえりなさい」としか言わなかったのだけど、ちょうど下の弟がお風呂あがりで、素っ裸のまま廊下を走ってきて、
「お父さん、新聞にのってるよ!」
と全裸で父に告げた。うわぁ、◯◯君、それは禁句…とわたしは思った。父はやはりお知り合いから新聞の内容を散々言われたようで、
「あの新聞は三流だ。俺を伏兵と書いていた。なにが伏兵だ。元々優勝候補だった」
と怒りながら言って、そこから一切新聞にはふれようとしなかった。伏兵という記述で怒っているんじゃなくて、無頼ぶって母の出産時にテニスやっていたことを書かれて恥ずかしくて怒っているのは明白だった。滑稽である。
父があけない母の化粧箪笥に、母はずっとその新聞のコピーをしまっていた。別に母はそのことで父を恨んでなんかいないんだけど、何故か大切にしまっていた。わたしは高校ぐらいまで、時折その記事をこっそり読んでは笑った。父も会社でも宴会やパーティでも後々まで時折いじられたようだ。だって新聞だものね。
やはり情けは人のためならずっていうか、なんて言うか。人が人を生むって、一人じゃできないことだし、支えあいながらでしか人は誕生できない。産む人、産まない人、いろいろあってよいけど、思いやりはたくさん使っても損にはならないなぁなんて思ったり。

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