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俺は本当は旅がしたくて旅をしてるんじゃない

本当は旅じゃなくて出会いが欲しかった。
運命的で奇跡的、ノスタルジックでエモーショナルなばったり出会いがあるんじゃないか。そんな期待に胸を膨らませて、空が薄暗い青の中俺は電車に乗って東北へ向かったんだ。コロナ禍真っただ中の三年前の大学一年のときだった。

当時は外に出られなかった鬱憤がたまっていたからとにかく外に出てみたくて、旅というモノに憧れていた。

詳しくはここでは書かないが、ともかく俺の望んだ解放感はその旅にあった。
しかし、裏の目的いや真なる行動原理の「摩訶不思議でロマンティックな出会い」はなかった。

早朝俺が駅に向かうときおれと同じようにデカいリュックを背負った美少女に出会うことはなかった。
俺が誰もいない改札で呼び出しボタンを押して駅員さんを呼び出し買っておいた青春18きっぷにハンコを押してもらうとき後ろから「これも」と言って割り込んでくる美少女はいなかった。
俺が各県へ向かう電車に長時間揺られているとき俺と同じように旅行客らしく長時間乗っている美少女はないかった。
海岸へ行きひたすらぼーっと海を眺めているとき何かしらの超常現象を目撃することも、見たこともない素材で作られているスーツをまとった美少女が浜に打ち上げられることもなかった。
俺が神社や城や何かしらの所以がある土地に行ったときどこか人ではない雰囲気を感じさせる美少女を目撃することもなかった。神聖な声に呼び止められることもなかった。
俺が宿やホテルのたまり場的な場所で次に行く場所を考えているときるるぶを持つ俺の後ろから「そこいいよね。私も行こうと思ってるんだ」と話しかけてくる美女はないかった。
旅行中「そこなる青年、一つ私にご飯を恵んでくれないか」と俺にたかってくる美女はいなかった。
最後の帰りの電車の夢の中で「来てくれてありがとね」と私に語り掛けてくる美少女はいなかった。

というか、私以外に老若男女全然いなかった。

私は主人公になりたくて、旅をした。
困難を得るために違う場所に赴いたが、何かの事件や事故、超常現象やミステリー、青春群像劇に加わることはできなかったのだ。

この時に懲りず、本来の欲望に目をつむり、私は翌年の大学2年次にも旅行を決行する。
これはこれでいいモノだったが、その時の私はあまり心晴れやかではなかったことを覚えている。
あの旅行は逃避だった。
あのあと私はもう旅行になど行っても意味はないのではないかと、思い始めていた。結局は逃避であり、私は逃げきれるようなたちではない。

島根県の邑南町の二週間、あれはあれで旅と言ってしまおう。
あれは挑戦だった。
出会い自体はまあまあだが、ああ、俺は満足している。

俺の旅の本質は受け入れること。
逃避を挑戦を失敗を受け入れること。
普段の戦う場所ではない土地に行き、普段の自分を受けいれること。

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