「言葉」が表現する意味以上のもの / 永遠というモチーフ 朝ドラらんまん感想・2

らんまんのモチーフについて、書いておこうと思う。

簡単にまとめるつもりがものすごい分量になってしまった。そして文章はまとまっておらず様々に行きつ戻りつする。大変読みにくい内容なのだけれど、それはこのドラマの複雑性と多層性そのものである気もするので、そのまま公開することにした。最終回を終えて尚、自分の中に残り続ける余韻に、ひとつ区切りをつける意味でもある。

方言についてと、「円環」というモチーフについて書く。


まずは、方言について。

主人公万太郎は、登場から最後まで、終始土佐弁を話し続ける。土佐にいた頃にはそれは全く不自然ではない。上京したときに、万太郎の土佐弁の持つ異質な響きに気がついた。

日本全国から東京に人が集まっているはずで、でも周りの人は誰も出身地の方言を話さない。主人公であるというメタ的な役割と共に、異例の条件で植物学教室に入った万太郎の「異質さ」も表現されていたように思う。
植物学教室への出入りが許されたばかりの頃、同じ学問を志しているのに、「寂しい」と竹雄に吐露した、万太郎の(生涯貫かれる)「孤高さ」も表していると思う。


そこへ、「お国言葉」を話す者が現れる。薩摩出身の高遠である。
高遠の薩摩弁は、新時代の勢いに乗り、デリカシーの無い行いを積み重ねる彼自身のキャラクターに近い響きを持っていたのではないか。力強く無遠慮なところがある。

明治維新において、文化と西洋化と共に、文化の薩長化が進んだ側面があるという話を「メディアの発生」(加藤秀俊)という本で読んだ。今までの日本文化全てが否定されたわけではなく、逆に重用され再評価された分野がある、と。薩摩琵琶・筑前琵琶や、黒田清隆が目をつけた浪速節のことが本書には書いてあった。江戸文化に馴染めない薩長出身の高官たちによる独自の感性が働いている点もある、と。

長く続いた江戸文化や江戸っ子たちの気質に、(都市⇔田舎という二項対立の軸もあり)引け目を感じながら、それらを「封建的」という言葉に押し込めて、新しい文化の勢いに乗る、高遠の傲慢さと彼の使う薩摩弁はよくシンクロしていたように思う。



「お国言葉」と江戸文化。この意味では、岩崎弥之助と新橋の料亭・巳佐登の文脈があるように思う。

明治に入って大資本家となった岩崎と、新政府や新興の資本家たちを客に発展した花街としての新橋。
(寿恵子の母は、江戸の趣を残すとされた柳橋の伝説的な芸者。叔母は新興の地・新橋巳佐登の女将という対比構造も背景にある)

岩崎は「お国言葉」で、あたかも江戸の風流人のような遊びに興じる。一番美しい菊を決めようという「菊比べ」に、個人的には大田南畝らの様々な催しも想起した。

(伝説の芸者の娘でありながら芸を仕込まれず花柳界に身を置いていたわけでもない)「素人」・寿恵子が巳佐登で働き始める。
既存の文化に異端の者が入り込むところに物語が生まれる、という文脈に、落語の「百川」を思い出したのは私だけかもしれないけれど、この噺は、江戸の料亭「百川」(それこそ大田南畝ら狂歌連も御用達、文化を作った場所である)に奉公人としてやって来た百兵衛さんの酷い訛りをキーにして笑いを生む物語である。

時代は江戸から明治へと移った。らんまんにおいてはこの「百川」の物語は、舞台が新橋・「巳佐登」に移り、奉公人が江戸っ子・寿恵子に、客を「お国言葉」を話す者たちへとひっくり返ってしまうのか!と、この週の初め、個人的にはびっくりした。上記のような高遠の話した薩摩弁の響きと、地続きのものを感じてもいた。

しかし、この週の「方言」は、そんな軽率な皮肉では終わらなかったのだ。

「菊比べ」を終え、岩崎が(万太郎が出品し寿恵子がプレゼンした)ノジギクに対して大金を(裏で密かに)支払う、その時に思い出したであろう「人」、その熱量の根源は、風流人の気まぐれなんかでは全く無い。

それは、野暮な程の夢追い人の情熱、名も地位も無きあの頃の記憶、「故郷」の引き寄せるエネルギーであった。そこに、岩崎の「お国言葉」の温度がピタッとはまるのだ。万太郎が土佐弁で語ったノジギクへの情熱と、同じくらい無垢な質量で。

(万太郎のその質量を、寿恵子が「江戸弁」で語り直すその事実そのものがこのドラマらしいと言えるかもしれない。彼女の"プレゼン"は、決して「標準語」で行われたわけではなく、彼女自身の「お国言葉」であったのではないだろうかと思わされる。)


さて、日本古来種である「ノジギク」に、故郷(=初心)を見た岩崎、ナショナリズムを受け取る陸軍大佐・恩田、日本古来という言葉に内在する「大陸由来」の歴史を語る万太郎、というこの三者の描き方は、のちの展開を大きく示唆してしていたのではないかと思う。


時代は明治後半。維新の頃、江戸から新しい文化への混乱から時代は次のステージへ。「大きな力」は、民衆を「絶対」「中心」へ統一しようとする。

「方言」の話に戻ろう。
内容以上に言葉そのものが持つ「傲慢さ」は、万太郎が台湾へ行く際のエピソードに如実に現れる。

台湾では「共通語」である日本語を使うこと、と命令される万太郎。それに対し、万太郎はその土地の植物を知るにはその土地の言葉を学び、土地の人とコミュニケーションを取ることが必須だと考える。(この事は、日本列島においても、各地で同じ植物を別名で呼んでいたことなどから繋がっている。)

すごいなぁと思うのは、「共通語」を押し進める権威の象徴・恩田大佐は「お国言葉」で話すこの構造である。
明治初期、高遠において見られた「無遠慮さ・傲慢さ」、江戸の者から見たら「無粋」とも捉えられたのではないかと思われる「方言」が、日清戦争勝利後のこの時代においてはもはや圧倒的な「力」・暴力性として表出している。

しかし、万太郎はその命を破る。
案内役の陳志明を、日本語読みの「しめい」ではなく、現地の読み方である「ジーミン」と呼び台湾語で語りかける。

言葉を上書きすることは、その存在をも変質させること。
思えば、この週は徳永新教授の挨拶から始まったのだ。「さあ、植物学を始めよう」田邊教授が英語でした挨拶を、ドイツ語に「上書き」して。
これを受けて、台湾から帰った万太郎はその地の植物「オーギョーチ」に向き合い、それに向かって日本語で語りかける。「さあ始めようか」と。

ここには「国と個」というテーマも勿論絡み合い(それについてはひとつ前の投稿に詳しく書いた)、万太郎の土佐弁は「共通語」という中心に収斂してゆく動きに相対する「個」の象徴であるのだと言えると思うけれど
その上で、言葉というものが持つ暴力性そのものも提示されているような気がする


「共通語」の持つ暴力性は、内/外の論理として、関東大震災の際の自警団の描写に表出する。

Twitter(X)で様々な方が指摘されていた。「どこへ行くのか」と問われた万太郎が、もしいつものように土佐弁で答えていたらどうなっていただろうかということ。

「描かれない」けれど、そこには自覚的にある。「敵」を作り出すことで「国」の意識を強固にし、「個」を埋没させ全体へ収斂させてゆく流れ。万太郎の「根津の十徳長屋」というその答え、一言だけが全てを語る。

また、万太郎が持つ「日本」のイメージと、明治維新で作られた「皇国・日本」のイメージとの大きな差異として、江戸までの日本列島の歴史と地続きであるのか否かという点があり、そこには中国大陸・朝鮮半島の文化がどれだけ寄与しているか、という点がとても大きいということが、ノジギク→オーギョーチのエピソードから分かる。

万太郎の土佐弁は、自分を育ててきた土地の歴史そのものを負っている。「全体」に収斂されない「個」とは、力によって(皇国史観によって)「上書き」され得ない、この国に生きてきた人々の文化でもある。



言葉で定義してゆくということは、現実に溢れる様々な例外を切り捨ててゆくことでもある。
万太郎がこだわり続けた「名付け」そのものが内在する矛盾でもあり、メタ視点で観れば、素晴らしい「台詞」の持つ危うさでもある。

このドラマは、言葉そのものが持つその内容、そこから溢れてしまう意味・時に意味未満の響き、感情というものに自覚的であったのではないだろうか。

度々登場する「候調」の手紙と、それを読む現代語でのナレーション(ここでも、万太郎の土佐弁が語られる「温度」として機能している)の差異も印象的だ。

「言文一致」でなかった時代。書き言葉と話し言葉が別の形式だったということと、「勧善懲悪」という儒教的概念と、人間の心情そのものを書くという方向で発展してゆく近代文学(小説、近代詩)と。
近代は、表現される「形式」そのものが変容した(それまでの文化を切り捨てて。丈之助が「愛しているがこそ捨てなければ」と思っていたように)時代であった。

しかし、表出する文章が硬い「候調」だったとしても、それを書かせた人間の心の動きが単純なものでしかないとは言えないであろう。同時に、いくら巧みに言葉を紡いでも本質を欠いた文章もある。また、新しい言葉が生まれることによって、初めて発見される感情もあるだろう。

言葉は移ろう。曖昧で揺らぐ。それでも、時に言葉はそれを忘れさせる強さを持ってしまう。揺らぐ心を断定してしまう。

言葉で書かれるものが、様々な文脈に接続し、時に内容以上の意味を持つ。らんまんには、そういう部分がとても多かったように感じる。万太郎の土佐弁は、その要素のひとつだったのではないかなと個人的には思う。


ここまで、「方言」という一要素について書いてきたけれど、どうしても脱線して別のテーマ(「体制/個」や歴史観)に連なってしまい、大変読みにくい文章になってしまった。
これは、私の文章の下手さというのも勿論あるのだけれど、らんまんの「円環」構造にもよるのではないかなぁと思っている。

現に、方言と物語のエピソードと共に書いた上の小文を、どこから始めてどこに・どういう結論に帰結させるべきなのかとても迷った。(いや、現在進行形で迷っている。なので素直に物語の時系列で書いた。)
どのエピソードも、善悪の二元論で語り得ないものを持っている。一面に純粋さ、一面に傲慢さ。簡単に断じ得ない、どこも安心できるゴールではない。


らんまんは、初めの(万太郎幼少期、青年期)エピソードをなぞるように、図鑑の完成までのエピソードに積み重なり、物語がひとつの「輪」の構造で最終回へ閉じたように見えた。

この「円環」のイメージは、巡る季節(四季)と植物の盛衰から来ているのだと思う。

この物語における「死」のイメージもこの中にあって、母・ヒサ(聖のイメージ)、祖母・タキ(伝統のイメージ)は、新しい生命へ一直線に繋がってゆく古い存在としてではなく、そこにいつでもいる唯一の「永遠」の存在として描かれていた。
最愛の妻・寿恵子の死が、「永遠」そのものであったように。

(守り神のように折々で描かれた「月」はまさに円環の象徴で、毎冬に繰り返される酒造りと「峰の月」はそのイメージを引き継いでいると言えるのではないか。)

らんまんにおける次世代への「継承」が、こうした「円環」の形なのは、それは必ずしも血縁による継承ではないからなのではないか。
血縁的な継承は、家系図のように上から下へ一直線に進む。らんまんにおいては、植物学という大きな世界を、本草学の時代から現代に繋がる新しい時代へ受け渡すようなイメージがあるように思う。
この物語もまた、何か別の物語から接続されて始まったのではないかとすら思わされる。

その「普遍性」が、物語を現代へ開いている。
らんまんは、槙野万太郎という「天才」を絶対的主役として運命的に描き出す物語ではない。万太郎という主役は、出会う人々の人生を照らし出す。新しい植物に出会い、愛を以てその画を精緻に書き上げるように。この物語には脇役がいない、という感想をTwitterで観た。まさにそういうことなのだと思う。


円環は、どんなに時代が変わってもそこにあり続ける、人の心の中の不変のものの象徴だ。

不変の「峰の月」をこころに、(故郷を離れ新たな土地で「冒険」をする、同じ土佐弁を話す万太郎の「片割れ」たち)綾と竹雄の造るのは、「青空のような」酒・「輝峰」。

この物語の主役は、「お日さまのよう」と、最後の最後に評される。
晴れた空の太陽は、明日へ・未来へつながるパワーの象徴だ。

「描かれない」けれどずっとあった太陽。植物を育て人々の暮らしを照らすもの。守り神である月が反射するそのひかり。

明るい自然光で終わった最終回。太陽のたっぷりの光は、現代の私たちをも照らしているのだろうなと感じた。



参考文献
・「メディアの発生 聖と俗をむすぶもの」(加藤秀俊)
・「幻の料亭「百川」ものがたり 絢爛の江戸料理」(小泉武夫)
・「芸者論 花柳界の記憶」(岩下尚史)
・「日本近代詩鑑賞」(吉田精一)
・「江戸の博物学者たち」(杉本つとむ)
など

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