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横須賀、歴史・文学散歩

病院の父を見舞った帰り、私は横須賀に向かいました。

父は小学生の私に「いつか横須賀の戦艦三笠を見せてやる」
と言っていましたが、もはや実現されそうもありません。

父親と見るはずだった軍艦をひとりで見に行くことにしたのです。

また横須賀と言えばマイブーム中の佐藤さとるの生誕の地で、児童文学「わんぱく天国」の舞台になっています。作品ゆかりの地も歩いてみました。

まずは、横須賀中央駅から徒歩10分の三笠公園へ。

【戦艦三笠】
三笠は日露戦争中に、東郷平八郎が指揮した艦隊の旗艦で、明治38年の日本海海戦で帝政ロシアのバルチック艦隊と対決しました。
日本海海戦は、ロシア側38隻のうち半数以上を撃沈させるという圧倒的な勝利でした。

今は記念艦として三笠公園内にコンクリート固定されている。45年ごしに来ることができた場所です。
明治の日本が絹を売った外貨で買った当時の最新鋭艦。同盟国の英国ヴィッカース社に発注し1902年に完成。この時代の鉄鋼艦らしい、船側から突き出たたくさんの砲に惹かれます。
東郷平八郎が海戦中に指揮していた場所からの光景。至近弾が多かったらしいので、これでは、水柱でズブ濡れになったろうと想像。
海戦を再現する動くジオラマ。赤ポチが有名な「トーゴー・ターン」の瞬間。白ポチ側のバルチック艦隊は被弾するとピカピカ光る。凝った作りだ。
英国製らしさを感じるユニットバス。
中央が東郷平八郎。男前ですね。


【横須賀港と小栗忠順】
横須賀は幕末につくられた町です。
この時期、外圧に対抗するためには近代的な海軍を持つ必要がありました。
幕府の勘定奉行兼海軍奉行の小栗忠順(おぐりただまさ)が港湾と造船所をグランドデザインしました。

横須賀本港には日米の軍艦が停泊していた。今も江戸期のドックが現存。昭和期は赤城、瑞鶴、翔鶴など多くの航空母艦が造られた。

今回も司馬遼太郎の言葉を引用します。

小栗は、雄大なものを興そうとしました。
そのためには、製鉄所や鉄工所や船台(ドック)つまり造船所を持たねばなりません。持つからには、世界的レベルのものを持たねばならない。(中略)かれは、その地を相模国横須賀村という無名の村にえらび、慶応元年(1865年)三月から、六ヶ月かけて三つの入り江を埋め立てました。

司馬遼太郎「「明治」という国家」

あのドックが出来あがった以上は、たとえ幕府が亡んでも"土蔵付き売家"という名誉を残すでしょう。

小栗はもはや幕府が亡んでゆくのを、全身で悟っています。貧の極みで幕府が亡んでも、あばらやが倒壊したのではない、おなじ売家でも、あのドックのおかげで、"土蔵付き"という豪華な一項がつけ加えられる、幕府にとってせめてもの名誉じゃないか、ということなんです。
(中略)このドックは、明治国家の海軍工廠になり、造船技術を生みだす唯一の母胎になりました。

司馬遼太郎「「明治」という国家」

その後小栗は、新政府軍によって無慈悲にも斬首されました。
享年41歳。

【わんぱく天国の舞台へ】
海沿いの横須賀駅で、児童文学好きな高校の同級生S君と合流。
一緒に佐藤さとる「わんぱく天国」の舞台を探して歩きます。

「わんぱく天国」は戦前の横須賀を舞台にした作者の自伝的な児童文学です。
11歳のときに読んで以来、ずっと記憶に残っている作品です。


【横須賀市逸見(へみ)町】
横須賀駅の北側へ。

S君は付箋つきの文庫を持参してきた。

作品は「日曜日の午後---。国道にバスがとまった」の一文から始まる。バス車掌が「ナイサアシイ」と発音した「汀橋」バス停を発見。ここを左に曲がり、逸見町に入ります。
登場する酒屋が現存。

道は、香取屋から、いきなり「くの字」にまがって、やおやの正面にでて、ちょっとのぼり坂になる。
その坂を、カオルはかけ足でのぼった。そこから見ると、坂のつづきは石だんになって、はるか上の若葉の中に消えている。しかし、石だんにかかるところで、左にそれるたいらな細い道が分かれている。カオルはそっちへまがった。
と、いきなり石だんの上から、ばらばらっと男の子が三人かけおりてきた。

佐藤さとる「わんぱく天国」
主人公カオルが自宅のある左の道に曲がるとき、三人の少年が階段をかけおりてくる。


次第に狭くなる。家が密集するエリア。

そして、石だんをのぼって、いちばんはじめにある左がわの家が、カオルの家だった。まさきのかきねにかこまれた、小さな家だ。
(中略)竹やぶの後ろの山は、もう按針塚---塚山公園の下にあたり、ここからは塚山公園にのぼる近道でもある。

佐藤さとる「わんぱく天国」
狭い道の左手にがカオル(佐藤さとる)の家を発見。見逃しそうな小さなモニュメントがあった。


カオルの家を上から。
険しい坂の、白い民家の庭に「私設コロボックル野外図書館」があった。作者への愛情を感じます。


情報収集に余念がない友人。次回は「だれも知らない小さな国」の舞台を訪れるつもりらしい。


作品に描かれた坂と民家が連なる風景。


ラストでカオルが乗った手作りグライダー「按針号」が再現されていた。


ついに獣道のようになった公園への近道。少年にはとても魅力的な環境です。裏山がうらやましい。


徳川家康のお気に入りだったウイリアム・アダムス(三浦按針)の按針塚(墓)に至る。


塚山公園東から横須賀本港を一望。下記のラストで、壊れた「按針号」を燃やした場所からの風景と推察される。

「見たさ。」
一郎がカオルのせなかを、そっとなでながらそうこたえた。横から明がどなった。
「すごかったぞ!まるで、ほんものの飛行機みてえに、とびやがった!」
「ね、とんだよ!ぼく、とんだんだ!」(中略)
少年たちは、按針塚の広っぱに、こわれた按針号をかつぎあげて火をつけた。夕ぐれの中に、ごうせいなほのおがあがり、少年たちの夢を祝福するようなはでな音をたてた。みんなは、ほっぺたにほのおをうつしながら、だまって立っていた。
海はしずかななまり色をしていて、軍艦がいくつか停泊しているのが、小さく見えていた。

佐藤さとる「わんぱく天国」

このあとのラストは、喪失感にみまわれるとても悲しく、忘れられない記述になります。
ご興味がありましたら、ぜひお読みください。


今回の行程は4時間でした。
小学生の頃に想像していた風景をたくさん見ることができ、満足度が高い小旅行となりました。

また機会があれば次は「だれも知らない小さな国」の舞台の谷間を訪れてみたいと思っています。

最後におすすめのランチ情報。

昼食は横須賀駅前のインド料理店がおすすめ。米兵が多い町のせいかアメリカンサイズであった。サラダとラッシーが付いて千円しない。
不気味な図になってしまった…。


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