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ひとり日光社参!秋の関東平野を駆け抜けろ!!④【日光東照宮編】

おはよう小山

栃木県の県庁所在地である宇都宮市は、日光東照宮がある日光市と隣接している。
そのため、日光東照宮へ行く前日は宇都宮で宿泊したかったのだが、東横インの空室が無かったため断念して、悩んだ末に小山市に泊まることにした。

私が小山市で宿泊することを躊躇した理由は、東北及び北関東の大幹線たる東北自動車道から距離が離れているからに他ならない。
東北自動車道の佐野藤岡インターチェンジから小山駅までは、実に約20キロ弱も離れているのだ。
これでは翌日の日光東照宮までのアクセスが面倒になるのではないかと懸念していたのだが、ぼんやり地図を眺めていると光明が見えた。
それが新4号バイパス(新4号国道)だ。

新4号バイパスは小山市を通過しており、小山駅からの距離も近い。
慣れない地で一般道を右左折しながら無理やり東北自動車道を目指すよりも、新4号で宇都宮まで直行した方が早くて安い。
そして何より、純粋に新4号バイパスを走ってみたいという単純な理由もあった
走ったことのない道路を走ることに対して喜びを感じるという、私のドライブに対する楽しみ方の原点に戻ったようで、無性に嬉しくなったのだ。

そういうわけで、小山の東横インを出た私は新4号バイパス経由で日光宇都宮道路へ入り、日光東照宮へ向かったのである。


三日目(10月9日)

日光東照宮

日光宇都宮道路を西進して日光ICで降り、日光東照宮付近の市営駐車場で車を停めてから徒歩で目的地へ向かった。

日光口パーキングエリア
日光東照宮参道
日光東照宮大鳥居
東照大権現とは、神君家康公の事を指す
五重塔
三代将軍徳川家光によって建立されたという


想像の象

テレビの受け売りの知識くらいしかなく、博士ちゃんの二番煎じになってしまうので詳しくは書かないが、これが有名な想像で描いたという像の彫刻である。

随分コミカルな印象を受ける

見猿聞か猿言わ猿

「見猿聞か猿言わ猿」の彫刻のほか、人間を猿に例えて人生のライフステージ毎の心得というか、教訓のようなメッセージを込めた彫刻が複数埋め込まれている。


陽明門

日光東照宮と言われて真っ先に思い浮かべる建造物は、恐らくこの陽明門だろう。
別名を日暮の門とも言われ、その由来は日が暮れるまで一日中見ていても飽きない程美しいからだという。

もっとも日暮の門という異名が付けられた門は、東照宮陽明門に限らず各地に存在するようで、西本願寺にある国宝の唐門も同じ異名を持っているそうだ。

これもテレビで観て知った話だが、東照宮には逆柱を始め数ヶ所のみ装飾や紋様などを変え、意図的に不完全にしている箇所がある。
例えば陽明門の白柱の紋様は一部逆さになっているのだが、これを実際に自分の目で見てみたかったのだ。

いざ探してみると、これが案外難しい。
私はネットの情報を見て参考にしながら探していたが、それでもかなり難しかった。
正解が分かっているにもかかわらずだ。
こういう経験も、現地に見に行ったからこそ味わう事ができた感想だった。

陽明門内の天井には龍が描かれていた
陽明門内側

鉄燈籠(南蛮鉄燈籠)

かの伊達政宗が寄贈したという鉄製の燈籠で、これも重要文化財だという。


キリンビール

東照宮には麒麟の彫刻も多く施されていると言うことで、社名に麒麟を冠するキリンビールからビールが奉納されていた。


本殿及び唐門

本殿でも参拝したかったが、あまりにも人が多過ぎて時間がかかるため断念した。

唐門

神輿舎

神輿が保管されている倉庫のような場所らしい。


眠猫

可愛い猫の彫刻だが、大変人通りが多い箇所にあるため、あまり長時間立ち止まって見る事は出来ない。


坂下門

坂下門というと、坂下門外の変で有名な江戸城の坂下門を思い浮かべてしまう。
単純に坂の下にあるから坂下門なのだろう。
この後、家康公の墓所(宝塔)まで結構な坂道を登る必要がある。


奥社宝塔(家康公墓所)

坂下門から坂を登りきったところに、家康公の墓所たる奥社宝塔などがある。

陽明門と異なり煌びやかさはないが、重厚感のある金属製の門は非常に渋くて厳かさを感じさせられる。

またテレビの情報だが、これまで家康公の御遺体は日光東照宮に安置されていると考えられてきたが、静岡市の久能山東照宮に安置されているとする説が出てきたらしい。

つい最近観た相棒でも、墓所内の遺骨の有無と弔いの気持ちは関係ないという趣旨の発言を杉下右京がしていたが、そういう事だろう。
(東照宮の話をしていたわけではない)


叶杉(かのうすぎ)

御神木として信仰を集めている古木だが、折れてしまって上部が失われている。
美香や恭子とは関係ない。


銅燈籠

徳川幕府がオランダから奉納された銅製の燈籠だが、回転式の燈籠については葵御紋が逆さになっている。
これを逆紋の廻り燈籠と呼ぶそうだ。
よりによって葵御紋を逆にするという不備を幕府が不問にしたのは、外国からの贈答品だからだろう。
しかし、逆柱などに見るように完全なものは崩壊が始まるから、意図して不完全にしておくという日本の伝統的な考え方と結果的には相反しないというのが面白い。

葵御紋が逆さ

世界遺産にも登録されるほどの神社である日光東照宮だが、その壮麗さや豪華さは神社の中でも格別だったと思う。
なるほど世界遺産にもなるわけだと感心してしまった。

なお、今回は本殿では参拝できなかったので、また機会があれば寄って参拝したいと思っている。

さて、3日目の午前中は殆ど日光東照宮で紙幅を割いてしまったので、このあたりで一区切りしよう。

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