初夏を始める

昨日買った半袖のTシャツに体を通す。今日は、暖かいでは済まされない気温らしい。

季節の変わり目がやってくる時は、こちらも相応の態度で迎え撃ってやろうというスタンスが、自分の中で近年確立されている。だから、今日は概念的な夏を真っ先に浴びたかった。

徒歩で行ける範囲の中では一番日差しが似合う場所である上野公園へ向かい、昼飯はアメ横で冷たい蕎麦を食べ、上野公園のスタバでは今年初めてアイスのコーヒーを買う。半袖から注ぐ風も久しぶりの感触だった。初夏に踊らされていたが、柔軟体操のような心地よさを感じていた。

スタバでコーヒーを飲みながら、僕の中で日曜日の習慣と化している競馬予想に取り組む。今回は、NHKマイルカップとの真剣勝負だった。出先なのでパドックの映像などは見ることはできないが、radikoで競馬ラジオを起動する。この暑さからか、東京競馬場ではどの馬にも発汗が多く見られるとの情報が聴こえた。その汗は、左回りで芝を駆ける競走馬と、スタバの日陰で呑気に予想を立てる僕が、唯一分かり合える感触だった。

レースの結果、僕の馬券は1枚だけ当たりを掠めており、後は全て紙屑となった。アプリで購入した馬券なので紙すら残らなかった。端金で興奮と教訓を買う羽目になったが、これを悪い思い出という形で処理しきれないのが競馬の恐ろしいところである。

レース後は、上野公園の噴水の近くに腰掛け、川端康成の『雪国』を読む。『雪国』は、蕎麦を食べる前にアトレ上野の本屋で購入した。理由は、今日の上野にとって、対照的な作品であるように思えたからだった。曲がりなりにも文学部を卒業した身分であるにも関わらず、今まで川端康成の作品を一作も読んだことがないというトンチキな自分に対する下らない救済でもあった。

「トンネルを抜けると」を抜けることに成功し、最長不倒を打ち立てる。ある青年と雪国の芸妓を巡る一連の描写は、国内外での高い評価に相応しく、普遍的な美を紙面に描いていた。初夏の暑さすら舞台装置に感じられるような、深々とした世界だった。

気づくと、空は陰っていた。どこか肌寒さを感じるようになっていた。そろそろ日が落ちることを悟った。

帰る頃合いだと思い噴水のあたりを出ると、動物園の向こう側に夕陽の輪郭が浮かび上がっていた。しかしその一部は木々や建物に隠され、はっきりとは見えなかった。何故だか夕陽が一番よく見える場所を探したくなって近くを歩き回ったが、その動機が芽生えた時より良い夕陽を見つけることは出来なかった。

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