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ようやく書けた、鹿島神宮旅記録

パワースポットに頼りたいくらいに弱ってた昨年の後半頃は、
noteの皆さまのパワーを吸いとらせてもらって乗りきることが出来ました。

noteこそがわたしのパワースポットだ!

いいこと言った。

すんませんな、だいぶ吸いとっちゃって。
本当に心から感謝申し上げます。


思い立ったが吉日



関東屈指とも言われる「鹿島神宮」に行こうと思ったのは、前日のこと。

初詣ではない。
初詣はちょっと遅くなったけどもう行ってきた。

神様に「おぉい?」なんて呼びかけるとんでもない罰当たりで終るところを、
フォロワーさんのナイスなコメントで、素晴らしい初詣となった。
感謝しかない。むしろ拝みたい。

鹿島神宮がパワースポットらしいって噂は前から聞いてた。

関東屈指

秩父の三峯神社。
鎌倉の鶴岡八幡宮。

明治神宮もあるじゃないか。
将門公の首塚も相当なパワーがあると言う。

川崎大師、浅草寺、成田山。

「関東」と言う括りであれば強豪ひしめく激戦区だ。
そのなかでも屈指とは!

ちょっとこの数日間、不安定になってたこともあり、
思い立ったが吉日と言い聞かせ、

普段はこと細かく計画立てないと不安な私だが、

ガソリンいれときゃなんとかなる
車検もすんだばっかだし

と愛車を信じて見切り発車した。


道中の独り言は過去記事の通り。

くだらないつぶやきにたくさんスキやコメントもいただいて、
楽しくドライブできました。ありがとうございます。


優しいおばちゃん

鹿島神宮の手前に鰐川(わにがわ)という川が流れている。
この「わに」は、まさかの、あのアリゲーターとかのワニ、もしくは、サメのことであろう、と

「鹿島デジタル博物館」様のサイトに書かれている。
無断転載禁止とのことなので、リンクだけ貼っておこう。

日本てワニいたとこだっけ?

「いなばのしろうさぎ」の話には、ワニの背中を渡るなんて描写があるけど、あれは、サメともフカとも言われてる、と思う。

えっと、普通にサメ?


まぁまぁ。獰猛な、水に生息するやつ的な感じ?

その鰐川にかかる橋は「神宮橋」と言う名前で、
長かった道中に、目的地が近づいてきたことをようやく実感できる。

ここでテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」が流れて来た。
とてもいい歌だと思うが、パワースポット到着直前に聞く曲ではない。
まぁ仕方ない。プレイリストなんだもの。

正面に大きな鳥居が見えてきたが、何か全体的にさみしい感じのする街並みだ。
一番手前(神宮からは一番遠い)の駐車場に車を停めた。

もう少し近い位置の駐車場の看板も見えていたが、道路には入場待ちの列ができていたからだ。


元気そうなおばちゃんに500円を前払いすると、

「こっちの方にお願いします」

と、入って左側。つまりは位置的に神宮から最も遠い方向を指した。


ハンドルを切ろうとすると、おばちゃんが慌てて嬉しそうに言った。

「あっ、こっち空いたわよ!」

ちょうど右側の奥の方から車が出ていくところだった。
正直、そんなに広い駐車場ではないし、大して距離は変わらない。

けど、おばちゃんの心遣いが嬉しくて私も笑顔で
「ありがとーございます!」
と答えて右にハンドルを切った。


こういう親切に最初から出会えたことで、もう優しい気持ちになれる。
単純?そうです。単純なのだ、わたし。


おばちゃんは、あえて言い直さなくても良かったわけで、
わざわざ伝えてくれたのは、善意以外のなにものでもない。

「わし、足腰強いんでこっちでいいっすよ」

などと無粋なことは言わない。
ありがたくおばちゃんの善意を受け取った。

車を停めた時に、最後にかかっていたのは森高千里の「雨」だ。
時効警察の主題歌だったあの曲だ。
いかんいかん、心がすっかり乙女になる。

失恋した中年男が鹿島神宮に参拝する前のタイミングでかかるとは。
これ聞き終わってから参拝に行けばいいんじゃね?
何かすごく正解なことを思いついたように、「雨」を聞き終えてから
エンジンを切った。


活気に乏しい表参道

車を停めて歩き出した。
一番遠い駐車場と言っても5分と歩かずに鹿島神宮の入口に到着する。

全体的に通りがさみしい雰囲気だなと感じたのは、
雲一つない晴天の、土曜日のお昼時
という絶好の日時にも関わらず、

道路の両脇に立ち並ぶお店に活気が見られないからだ。
シャッターの降りた店も目立つ。

参拝客はそこそこ居た。
数ヵ所の駐車場が満車になっているのがそれを裏付けている。

だいたいこういう「門前町」にはお土産屋が立ち並び、
こんな時期だとひざ掛けをかけたおばちゃんが、

椅子に座って電気ストーブにあたりながら、
「いらっしゃいませ~」
とやる気のない声をかけてきたりするものだ。

そういう光景もまったく見られない。

こうして写真で振り返ると、そもそもお店自体がそんなにない。

ここは間違いなく表参道だ。
いちおうGoogleマップのストリートビューで確認したが、

広い境内の他の出入りできる箇所は、住宅街でお店の一軒もなかった。
やはりここが正面。メインストリートなのだ。

それにしてはやっぱり全体的にさみしい。


境内へ

めちゃめちゃ気持ちのよい青空だけが、気持ちを底上げしてくれる。

東日本大震災で倒壊してしまった御影石の大鳥居。
現在は境内に自生する杉の巨木を用いたものに建て替わっている。

再建の様子はこちらに書かれている。

あの日、鹿島は震度6弱の地震に見舞われた。
一度目の揺れで大鳥居の根元に亀裂が入り、続いた大きな余震で倒壊してしまったらしい。

こんな巨大な御影石の大鳥居に亀裂が入ってしまうほどの大きな揺れ。
あの災害は確かに予想を遥かに上回った被害を出してしまったのだな。
資料を調べながら暗澹たる気持ちになってしまった。

願わくばあのような大地震が二度と日本を襲いませんように・・・・・・。

大鳥居を抜けると参道にお祭りのような屋台が出ていた。
平日も出ているんだろうか?

大判焼きが美味しそうだったので、一つ買って食べようかと思ったが、
屋台の姉さんが作業?をしていて気がつかない。

声をかけようと思ったが、どうも全体的に商売っ気のない空気が、
外の通りからずっと蔓延していて、結局買わずに去ってしまった。


奥参道が源だと思った

「楼門」をくぐると右手に「拝殿」がある。
すでに「楼門」辺りまで参拝者の列が長く延びていたので、いったん通りすぎた。

この日もっとも空気が凛としていると感じたのはここ。
「拝殿」から「奥宮」に向かって300mほど続く「奥参道」だ。


鬱蒼とはしているが嫌な空気は微塵もない。

樹々を通して差し込む陽光が神々しくすら感じられ、
鹿島神宮全体の「気」の源はここではないかとふと思った。

小さな悩みなんか吹っ飛ばしてくれる、そういったパワーではなく、
静かに浸透してきて、身体の中に沈殿している澱を浄化してくれる、
そんな感覚になれる場所。

心が弱っている私には、力技よりもこちらの方が優しく心地よかった。

道行く人々の顔も心なしか穏やかで、みな自然と背筋を伸ばしている。

キャンプが趣味の一つである私は、自然の中で過ごすことを好む方だが、
同時に自然の残酷さも、人間の力では制御できない力も、少しは知っている。

飛躍し過ぎかもしれないが、ここのような鬱蒼と茂る森林がもし自然そのままのものだったら、こんなに気持ちが安らぐことはまずない。

森林浴とかマイナスイオンがぁとか、否定はしないけどそこまで自然の中で自分をさらけ出して無防備になる自信がない。

ここは違う。
不思議と「守られている」安心感に満たされている。
肩肘張って突っ張っていた心の芯がスーッと溶けていく。

鹿島神宮の境内の中で一番のパワースポットはどこ?
と聞かれたら、迷わず「奥参道」と私は答えるだろう。
それほどに、この日一番、気持ちが動いた場所だった。


さざれ石で「君が代」を想う


国歌「君が代」に出てくる、あの「さざれ石」を初めて見たと思う。


君が代のモデルになった「さざれ石」は、岐阜県揖斐川町(いびがわまち)にあるモノのようだ。

揖斐川町の郷土の伝承として、このような一文がある。

石位左衛門は、春日谷から近江の君ヶ畑や京都へ行き来する際、古屋笹又という谷間で、渓流に露出する「さざれ石」を見て「これは珍しい石、目出度い石「である」と見たまま、感じたまま、詠んで奉った歌を残しました。

 「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

岐阜県揖斐川町公式サイト様より引用



一時期・・・今でもかな?
国歌「君が代」がダサいとか、もっと明るく元気な国歌にしよう、とか、
おっさんからしたらとんでもない風潮があった時期がある。

そういうものじゃないだろう、国歌と言うのは。

賛否両論あるかと思うが、私は「君が代」を聞くと、
日本の国歌が「君が代」で良かったと誇りすら感じる。


要石にしっかりお願いする

若い二人が熱心に見ているのは・・・

要石


えっ?どこに石が?と私も一瞬探してしまった。

紙垂が結ばれた木の少し前方、アリの巣の出入口みたいな(例えよ・・・)、盛り上がりが見えるのをおわかりいただけるだろうか?

これが「要石」だ。
直径30cm位、地表に出ているのは7cm程。と言うことらしい。

地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。

鹿島神宮公式サイト様より引用

江戸時代の安政の大地震が発生したのが、1885年10月2日のこと。

旧暦の10月と言えば、「神無月」。
年に一度、神様が出雲大社に一堂に集まる時期だ。

その神無月に安政の大地震が起きた。

鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)も出雲に出かけて留守にしていたので、要石が外れて、地震が起きたと考えられたようだ。

色んなところでサラッと書かれているのだが、私が気になったのは、

水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの

の件(くだり)。

領内の百姓を数住人集めて作業に当たらせたと、とか
掘った穴は一夜にして埋まってしまった、とか、
けが人が続出した、なんて伝承もあって、

黄門様、興味本位で何をしてくれてんの?

とイラッとするのは私だけ?(笑)

我がまま黄門様は置いといて、今年の元旦から大きな地震が起きてしまった。
日本で暮らす限り、避けることのできない災害の一つ。

しっかりと手を合わせ「要石」が割れませんようにとお願いしてきた。

帰り際に拝殿で参拝した。写真を撮り忘れてしまった。
あんまり人が多かったもので・・・。

「いつもありがとうございます。怠けず頑張って生きていきますので、どうか今暫く見守ってください。迷っている時はどうか気付きを与えてください。それとほんの少しでいいので運の良さをください」

こんな感じで手を合わせてきた。

順番は前後するが、「奥宮」を中心に右に向かうと【要石】。
左に向かうと坂を下って【御手洗池】がある。

ある・・・・、ある?・・・・中心の「奥宮」?
あっ・・・・「奥宮」にお参りするの忘れてた・・・。

えーっと「御手洗池」は、っと・・・・、

1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。

鹿島神宮公式サイト様より引用


鳥居の奥で人がごちゃっとしてる所に湧き水が出ている。
池は、山梨の忍野八海ほどスカーンと透明なわけではなかった。

1日、40万リットル以上の水が湧き出るということだが、
学校のプールの標準的な大きさ(25m×12m)のプールに1.2mの深さ分の
水を張った時の水の量がおよそ36万リットルって計算らしいので、

毎日学校のプール一杯の水が湧き出ているってこと?になるのか。
相当な量だ。

この池の隣に「一休」(ひとやすみ)と言う茶屋(売店)がある。
「御手洗池口鳥居」から境内に入れば平坦ですぐにここに来られるが、

「大鳥居」から順路を辿ってここに来るには、急角度の坂道を下ってくる。
帰りは当然急角度の上り坂。

ここで甘味を取ったり、テーブルで軽食を取ったりして身体を休める参拝客が多いように見える。


こんな旨そうなアユの塩焼きや、有名らしいみたらし団子、湧き水で作った食パンなどが売られている。

ところで、私の旅記事に食レポがほとんどないのは、「ソバアレルギー」だからなのだ。

この茶屋でも、お蕎麦を出しているので、万が一、万が一だと思うが
「そば粉」がふとした拍子にみたらし団子についちゃった・・・とかすると、

ちょっとシャレにならない状態になってしまうので、極力、お蕎麦を扱っているお店では、お蕎麦以外の物であっても食べないようにしている。

本当は食べたくて仕方がない・・・団子大好きだし。

大概どこの観光地に行っても「蕎麦屋」はあるもので、
同じ釜で茹でたうどんは当然アウトだし、同じ厨房で作ったカツ丼なども、やっぱり敬遠して食べることはない。

なのでポツンと離れたフードカーのホットドッグとか(;´∀`)
「お蕎麦」をまったく扱っていない「洋食屋」とかで食事をとるしかない。
なかなかさみしいものだが、子どもの頃からそうなので慣れたもの。

鹿島神宮界隈で唯一食べたのがこちら。

「かしま 甘太郎 鹿島神宮参道店」さんの大判焼き、あずき粒あん味。
大判焼き専門店なのでそば粉の心配もない。
よほど大判焼きが食べたかったんだな、当日の自分は。

場所は表参道沿いにある。

焼きたてを頂いたので皮はパリッとしてて、中はもちもち熱々でとても美味しかった。めっちゃお腹空いてたし。


そうそう、御朱印帳等への揮毫は2月12日までの土日祝日は行っていないようなので、今週末と来週末に行かれる予定の人は注意されたし。
この日は土曜日。紙朱印を頂いてきた。

授与品はお守りをひとつだけ買ってきた。
今の私に最も必要だと直感的に感じたこちら。

鹿島神宮独自のお守りの一つ。

自信守(白)


いつも持ち歩いている手帳に入れた。

表面に大きく描かれているのは、御祭神である武甕槌大神。

画像では見にくいが左に書かれているのは和歌で、

揺らぐとも よもや抜けしの要石
鹿島の神の あらむ限りは

こう詠われている。

武甕槌大神が抑える要石の力により揺るがぬ自信をお持ちください

と裏面に書かれてある。

神無月の間は注意しないといかんな・・・。
心配性の私はまずそんなことを思い浮かべた。

今回の突発的な「鹿島神宮参り」は、自分の自信のなさから来る
全ての不具合(ざっくりし過ぎ)を断ち切りたかったから。
そのきっかけを作りたかったから。
過去の負の遺産を清算したかったから。

そういった想いからの思いつきだったので、この「自信守」を見た時に、
これしかない、と思ったのだった。


おわりに

旅の帰り道ってどうしてこんなに物悲しい気持ちになるんだろう。
どこまでいっても正面から照りつける夕陽に、うっすら涙を浮かべ(あんまり眩しくて)
すっかり暗くなった頃に帰宅した。

なんだかとても中途半端な「旅記録」になった感があり、振り返ると見どころもとんでもなくたくさん見逃してることに気づいてしまった(笑)

色んな方の「旅記録」を読ませて頂いているけど、皆さんほんとにお上手。
文章面でも私が目指す方向をきちんと決めて、勉強し直そうと反省した。

今回の旅で、やはり私は、その場の感覚でステキな所を探して歩く気の向くまま旅行に憧れはするけど、
きちんと、せめて旅の見どころだけは事前に確認して出かけたほうが、自分には合っていることがわかった。

とりあえずアホなことばかり吹き込んでいたボイレコを、きちんと旅記録として使えばよかったと激しく後悔(笑)

またどこかに行く機会があれば旅記録にチャレンジしてみようと思う。


追記

パワースポットに参拝したご利益は、
黄色いパンツ!
が届いたこと(笑)

幸せの黄色いパンツ。
人生初の黄色の下着。

き、金運!!

そういうこと!?

えっ?

と、黄色い財布を思い浮かべたりして。


数年振りに体調崩して、会社を休ませてもらって、
この記事を仕上げる時間が取れたのも、身体を少し休めなさいというお叱りかもなぁ。

もう少し軽めの症状でも良かったんじゃないかなぁ?神様

あぁやめて、自分。
その思考。
罰当たり。

ここ、カットで。

2024年2月2日 草津温泉のとある宿より
 ネリケシ


(すいません、自宅で書いてます。ちょっと作家の雰囲気出したくて。)

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