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雑記28 森の中の宗教 それはどういうものだったのだろうか

 久々にパンクしてしまった。ちょいと作曲に入れ込み過ぎたんだ。これを書き上げるまでは死ぬ訳にはいかない、うん、そんな新作のプランがこの私の中にもあるんだ。一週間ほど下書きに没頭していると、あれれ、随分と目が翳むじゃないか。おいおい、眩暈も酷いぞ。子供の頃公園にあったでかい地球儀みたいな遊具。ガキ共が中に入って、くるくる回して遊ぶやつ。あの中にでもいるみたいだ。当然吐き気が込み上げてくる。そうして、うん、やはり最後は寝込むのさ。ほら、たちまち布団が沼のようになってしまったぞ。凄い汗だ。自分の汗の沼の中であっぷあっぷと溺れる。漂っているのは汗の沼か、はたまた終わりなく襲ってくる悪夢の中か。そうしてようやく目を覚ましたんだ。蒸し上がった肉饅頭みたい、頭からはほかほかと湯気が立ち昇る。ああ、何とも言えない良い気分じゃないか。体から毒気が抜ける瞬間ほど気持ちの良いもんはないね。よし、また年末まで一頑張りだ。いやいや、その前にちょいと書きかけていた音楽の歴史に潜り込んでみようか。
 
 中世という長いトンネルを抜けて、ルネサンスへと至る音楽の歴史に、神に捧げる供物としての音楽が商品へと変化してゆく過程を見る事ができる。それにしても中世、現代の我々から見て奇妙奇天烈としか言いようのないこの時代における宗教の存在感、それをどのように読み解いていけばいいのだろうか。

 音楽の歴史について書いたり、話したりする時、いつも中世のあたりでふと立ち止まってしまう。どうしようもないジレンマに襲われるんだ。ほぼ一面を森に覆われた中世のヨーロッパ。その森の中に頼りなく点在する市街。かつて古代ギリシャ、古代ローマに栄えた市街は廃墟のように廃れている。その廃れた街の中心に建つキリスト教会。その教会に伝わる音楽の歴史、われわれが中世の音楽の歴史として扱っているもののほとんどは、一部の教養ある人々のものに過ぎないんだ。都市を取り巻く農村のほとんどにキリスト教は浸透していない。中世前期の農民の九割以上がキリスト教徒ではなかったとの資料もある。フランスでは農民の事を異教徒という名前で呼んでいたぐらいだ。

 具体的には当時の市外地でどのような音が鳴っていたのかはわからない。だが、豊かに音楽が溢れていた事は間違いないだろう。何てったって中世といえば祭りだ。祭り、そいつを支えていたものは歌と踊りさ。どのような楽器が使われていたのかは分かっているし、人々がそれらの楽器を操る楽師たちを取り囲み、どれぐらい熱狂していたのかも、当時の文章や絵画から伺い知る事ができる。

 民衆の音楽と教会の音楽は、はっきりと一線を画していたが、そんな中でペロタンなどが積極的に世俗音楽を扱う楽師たちと交流を持とうとしていたというのは嬉しい事だ。中世も後期になると聖歌と俗歌を絡めたようなスタイルの音楽も現れるんだ。ちなみにペロタンという人、名前は可愛いが偉い御坊さんなんだぜ。それまでは複数の人間が合唱をする時、それぞれの楽譜をばらばらに書いていたんだが、すべての声部を縦一列に並べ、ひと目で把握できる総譜ってもんを作ったんだ。それによって音楽はかなりの複雑な響きを作り出す事ができるようになったのさ。

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