見出し画像

ゴミの番長

 最近は物を捨ててばかりだ。近く引越しをする為に月一の粗大ゴミの日に相当な量を出す。
大切な物もそうでない物も、少し早めの終活のつもりでやっている。物を捨てるという行為は自分の愚かさと向き合う時間とも言える。

 粗大ゴミの当番をしていると、粗大ゴミの番長にアレコレ指図して頂きながら様々なかつては部屋の中に必要とされていた物たち、或いは破壊されて用済みになった物たちと対面する。

 そこはかとない、どころではなく行き場のない悲しみと言った情緒を感じる。日本人は何かにつけて悲しみを抱く習性があるとの事だけれど、ここにある物つまりはゴミと呼ばれる物、私は一つも作れない!とも感じて驚嘆する。

 ゴミの為に社会が動いている気分にすらなる。心地良い部屋を保つ為に物を買い、そしていつしかそれはゴミとなる。どんどんそのサイクルはさやくなってきている。環境云々もさることながら、箱から出されず大量に捨てられたお茶碗を分別しながら誰か使ってくれる人がいたらいいなぁと思い早朝5時の情緒を持て余したのでした。

いつまでも粗大ゴミ番長に指示をして頂きたいものです♪ご高齢なのに統率力がすごくて感動です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?