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キャラクター過多

第一子妊娠中、こんな理想を思い浮かべていた。
木のおもちゃからはじまって、
部屋のインテリアに馴染むような
かつデザイン性と機能性を兼ね備えたおもちゃを
少しずつ集めたいな、
その子の雰囲気にあったやさしい色味の服を
一緒に選べたらいいな、
ていねいな暮らしは難しくても
なるべく穏やかに暮らしていけたらいいな、と。

そして、今現在。

見渡す限りの、キャラ、キャラ、キャラ。

子どもの関心は移ろいゆく。
好きなものにも旬があり、
好きな世界はどんどん広がっていく。

そもそもキャラクターというのは、
単体での存在感、主役感がある。
それぞれが人々の圧倒的支持を受け、
商品化されるまでに至っているのだから、
それら全員が舞台の真ん中に立つ
いわばバンドのリードボーカルのようなものなのだ。

想像してみてほしい、
ひしめき合うリードボーカルたちを。
自己主張が過ぎる。
あまりにも視界がやかましい。
原色からいわゆる夢色まで緩急つけて
各々の魅力を目に焼き付けようとしてくる。
あぁ緑が見たい。自然が、山が見たい。
一旦頭を休ませてくれないか。

ちなみに、私は着ぐるみが大の苦手である。
まだ元々が笑っていないキャラクターや
目に光のない黒目のキャラクターならばいいが、
かっぴらいた目で笑顔のキャラクターは
全速力で逃げたくなるレベルで苦手だ。
これは幼い頃に観た、
天才てれびくん内のワンコーナー
子どもの探偵ドラマに起因する。
遊園地で起きた誘拐だかなんだかの事件の犯人が
ニカっと笑ったうさぎの着ぐるみを着ており、
今でも思い出すだけで鳥肌が立つほどの
恐怖心が植え付けられたのだ。
普段は母親として、自分を律しているものの
子どもたちが寝に行ったあと
ひとりのリビングでキャラクターと目が合うと、
心臓が飛び出そうになることもある。

理想とはかけ離れた景色ではあるものの、
恐怖はあれど、不満には思ってはいない。
自分の好きを大切にしてほしい。
好きを見つける楽しみを謳歌してほしい。
それを肯定するのが自分の役割だ。

これから来たるベーシックインカムの時代。
お金を稼ぐための仕事ではなく
好きなことや自己実現で仕事を選んだり、
無理に働く必要がなくなる分
自分の好きに全力で時間が使えるようになったり
その人の「好き」の厚みによって
人生の満足度が大きく変わってくるだろう。
今から備えておいて、損はないはずだ。

暮らしに不満はないのだが、一点だけ、
いつか某ランドや某スタジオに行って
子どもたちと一緒に着ぐるみと対峙せねばならなくなる日が来ることに、今から怯えている。

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