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昭和の教師は癖が強かった

昔は精神的虐待じゃないかという事象も
あったのに、よく学校に通っていたものだ。
子どもだから、モヤモヤしても
言語化できない。
言い返せない。
すごく悔しかった。

現代では、基本的人権が尊重されてるなー…
そんなもの昭和の時代の学校にあっただろうか。
残念ながら教科書の中にしか存在しなかった。

中学のときの美術教師がおかしな人だった。
コシノジュンコを真似た髪型、化粧、
派手なイヤリング、臭すぎる香水。

私は昔から本を読むのが好きで、
国語の成績はよかった。
問題が日本語で書いてあるから、
たぶんそれが助けになったのだろう、
他の教科もわりとよかった。

体育と美術と音楽と図工は普通だった。
手を抜いているわけでもなく、
ただ才能がないだけだ。
特に美術と音楽は良くなかった。

頭のおかしい美術教師は私に言った。
「弟さんは絵が上手なのにどうしてあなたは」
「国語や算数だけができても
人間としてはダメなんやで」

一つ下の弟は、
昔からブロックで遊ぶのが好きだった。
昔から絵が上手かった。
そんなの、仕方なくないか。
本が好きで国語ができて
美術ができないとこんなこと言われるのか。
言われなきゃいけないのか。

それから美術が大嫌いになった。
絵の色を塗るとき、
原色を塗ったらダメと言われるのも嫌だった。
せっかく綺麗な色があるのに。

中学を卒業した後、
好きなように原色を塗りたくって、
どうでもいい絵を描いて、
美術に復讐して絵の具を捨てた。

おそらくその美術教師は、
5教科に比べて美術は軽く見られていると
思っていたのだろう。
5教科ができて美術ができない人間を
見下すことによって、
自分が優位に立ちたかったのだろう。
そう予測するけど、
それくらい、中学教師なんて
しょーもないものだと思った。
そんなのに付き合わなければならない
中学生は大変だった。

まだいい子ちゃんな感じが残る原色の絵

あの頃、常に息苦しかった。
どうすれば改善するのかわからなかった。
不良になったり暴力を振るったりしても、
改善しないのはわかっていた。
不登校も、問題解決とは思えなかった。

結局は時間が解決した。
大人になって、自分で選択できるように
なったことが大きい。
でも、できることなら
尊敬できる大人に出会いたかった。



私は今、子どもにとって
尊敬できる大人になれているのだろうか。

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