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じっくり解説! 令和4年度共通テスト小説(5)~大学受験生応援コラム

共通テストならではの複合資料問題を解く


’** 0 はじめに ***

当コラムに目を留めてくださり、ありがとうございます。

本コラムは、高校生や大学受験生の役に立てればとの思いから書かれています。主に大学入学共通テストの国語を素材として、問題の解き方や勉強法のヒントになりそうなことを書いていきます。

先月から、過去二年分の小説問題の解説を試みています。かなり間が空いてしまいましたが、今回は最後の問いを取り上げます。複数の資料を本文と関連付ける、共通テストでは必ず出題されるタイプの問題です。後で述べますが、資料の数が多いので面倒で時間を要します。その点については、外部識者からも批判の目にさらされているようですが、当の大学入試センター様はどこ吹く風のようで・・・。

’** 1 問5の解説 ***

問5は、「看板を家の窓から見ていた時の私」と「看板に近づいた時の私」の様子を、案山子(=かかし)を詠んだ俳句と関連付けさせることを求めています。作中の「私」は、自分を案山子を嫌がる雀(=すずめ)に喩えていたことから設定された問題です。設問は二つあり、(ⅰ)を踏まえて(ⅱ)を解く流れになっています。

本文を確認しましょう。まず、看板を窓の外から見ていた「私」について。これについては問1でも情報を整理しているので、ここではまとめて書きますが、常に看板に見られているようで気になって仕方がない、落ち着かないといった様子です。そんな自分のことを「案山子をどけてくれと頼む雀のようだ」(前書き)と感じています。この部分が「辞書の説明」「俳句」「俳句の解釈メモ」のどれに相当するかを空欄Xに答えます。…しかし、こう書き出してみると、本文と紐づけなければならない情報の項目数が多いですね。情報量自体は大したことはない(ほぼ一文)ですが。

なお、問1の解説はこちら。

次に、看板に近づいた時の「私」について。本文では看板を「ただの板」と言い、「動悸を抑えつつも苦笑した」とあります。動悸がする以上、それまで感じていた落ち着かなさや怖さが完全に消え去ったわけではないものの、笑っていることによって、恐れるに足らぬものと認識しなおしたことが分かります。「苦」と入っているのは、今までこんなものを怖がっていた自分って何だったんだ・・・という、自分にやや呆れた気持ちの表れでしょうか。この部分を、先に挙げた3項目と紐づけて空欄Yを解答します。

では、(ⅰ)を解答しましょう。

X…国語辞典の説明は㋐、俳句及び解釈メモはⓐでいいでしょう。
Y…国語辞典は㋑、俳句と解釈はⓑです。なお、国語辞典の意味は、この問いでは不要ですが、次の問いで必要になります。これで正解はと決まります。

なお、ⓒの俳句は解答にはなりません。この句だけは案山子を擬人化して案山子の視点で書かれています。本文に即して言えば、看板の視点で書かれているということになります。看板やそれに描かれた男が何を考えていたかなど分かりませんし本文にも記述はありません(そもそも思考なんてしないって)。よって、本問では答えになりません。

続いて(ⅱ)。どの選択肢も2文で書かれており、「はじめ」で始まる第一文が先のXに、 「しかし」で始まる第二文が先のYに相当します。

選択肢第一文…Xを踏まえた説明になっている必要があるので、辞書の㋐、俳句及び解釈メモⓐが引用されている必要があります。その条件を満たすのは③④⑤です。説明の都合上ここで3つの選択肢を検討しますが、第二文の照合を先に行うと③は脱落します。

選択肢③:看板は「自分を監視して」おり、作中の「私」を「おどし防ぐもの」と書かれています。監視については「監視するかのように見える」と解釈すればまだ許容できそうですが、「私」を「おどし防ぐ」というのは、何をするのを防ぐというのでしょう? 雀が稲を食べてしまうかのごとく、「私」が隣家の住人に良からぬことをしようとしているようです。✕!
同④:看板は「私」を「脅すもの」だと書かれています。③と同様、「私」が何か弱みを握られているかのようです。✕! でいいでしょう。
同⑤:いつも看板に見られているようで落ち着かない「私」の説明として妥当だと判断されます。〇。

…ありゃ、第一文の検討だけで答えが出てしまった。ただ、特に④は第一文だけでは自信を持てないかもしれません。第二文も検討しましょう。

選択肢第二文…Yを踏まえた説明になっている必要があるので、国語辞典の説明㋑、俳句と解釈のⓑを引用している必要があります。先に触れたように、これで選択肢③は脱落します。④と⑤のみ検討しましょう。

選択肢④:最後の「自分に憐れみを感じている」で✕! です。苦笑した理由については先に本文を検討した際に述べました。自分に呆れているという方が妥当です。

同⑤:自分に苦笑したときの心情を「滑稽」と表現しています。勿論滑稽だから「笑」うのですし、自分が何か間抜けだと思うから呆れるし「滑稽」なのです。〇! です。

’** 2 外部評価は? ***

例によって、「学校関係者」「国語の専門家」「問題作成者」それぞれの見解を見ましょう。一応リンクを貼っておきます。

ページを下にスクロールしていくと、教科ごとの問題評価一覧があります。

◆学校関係者
「 (ⅰ) 本文の内容の理解を深めるために、国語辞典や歳時記と関連させて【ノート】に整理するNさんの活動の追体験を通して、収集した情報を理解、選択し、その情報をもとに本文における「私」の心情を的確に読み取る力を問うている。 
(ⅱ) 「私」の看板に対する認識の変化や心情の推移について、国語辞典や歳時記といった他の資料と関連付けて整理をし、的確に読み取る力を問うている。」

→出題の意図はその通りだと思います。ただし、国語の共通テストは「最も制限時間の厳しい試験の一つ」であり、受験生は自分が読み取った本文の理解を基に、「辞書の意味はこれでしょ、で、俳句は…」ってな感じで当てはめ、時間に追われて答えを出すというのが現実でしょう。理解が深まるかどうかは…。大人の私にとっては、ただの当てはめパズルでした。

◆国語の専門家
「 問題が唐突に見えるが面白い。実際の学校現場で生徒が自主的に取り組めばきちんとした探究活動になる。「学びに向かう姿勢」を再現した問いだと思うが、学びを「深める」問いになっていたかと言われると疑問。ノートは本文のサブテキストなのか、それともメインテキスト の一つとして重視されるべきものなのか、位置づけがわからない。韻文と散文を組み合わせるという問題で、国語総合的な問題だが、問題自体が簡単。工夫された問いなだけに、難易度の バランスが難しい。特に(ⅰ)については、どれだけ問う価値があるのか疑問。いくら問題が工夫されていても、短い時間のなかで相当の分量が出されている。本当に受験生はじっくり読めているか。」

→時間制限を考えると、学びというか本文の理解を深める問いとして、試験場においては機能していないのではないかというご指摘です。じっくり読んでいる暇など受験生にはありません。それが現実です。(ⅰ)の存在価値については、私個人は(ⅱ)の下準備としてあってよい(ただし、簡単なのでサービス問題的な位置づけにはなるが)と考えています。

◆問題作成者

(ⅰ)は『案山子』と『雀』を用いた比喩表現を考えるために国語辞典と歳時記を調べた結果をまとめ、理解を深める状況を設定し,複数の情報を目的に 応じて適切に結びつける力を問う問題であるが,正答率がやや高く取り組みやすい問題であっ た。同(ⅱ)は調べた内容から導かれる考察と本文の修辞的表現をふまえて、登場人物の状況や心情の読解力を問う問題である。正答率は、概ね想定の範囲内におさまった」
 
(ⅰ)については、やはり次の問いを解くための準備という意味合いを持つようです。「状況を設定し」という言い方が、間接的ですがそれを証明しているようにも思えます。(ⅱ)は辞書や歳時記の説明がなくても状況や心情理解は可能であることから、(ⅰ)と同様に複数の情報を結びつける問いであったと私は判断します。そう考えると、二つとも同じ能力を試しているわけです。先に「(ⅰ)を出題する意味はあったのか」とあるのは、このことを指すと思われます。

’** 3 今回のまとめ ***

① 文学的文章では、誰の視点で物語が書かれているかが結構重要である。今回なら、ⓒの俳句が他の二つとは視点が異なることに気が付くこと。
② (ⅱ)に顕著だが、選択肢の作りがどれも同じようになっている場合、各部分が本文のどこに対応しているのかを必ず確認する。
③ 複数のテキストや資料を結びつける問題は今後も小説では出題される。実際には受験生は時間に追われて問題を解いているので、出題者の思惑とは裏腹に理解を深める結果にはなっていない。しかし、出題は続く。

これで何とか最終問題までたどり着きました。次回は総括をしたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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