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2022/8/12 お別れの日

朝 ブレイク平本店にて朝ご飯
午前 昨日に引き続き友人と、平城跡、住吉神社をめぐる
お昼前 UDOK.到着
午後 デスクワーク
夜 飲み会

私のインターンは8/21までの予定だが、理虔さんのお仕事の関係で、12日が確実に理虔さんとお会いできる最後の日となった。7月20日に初めてお会いした日から約4週間大変お世話になり、様々なことを学ばせていただいた。

朝はバスを待っていたら反対側をすーっとバスが通り過ぎていき、湯本からお迎えに来ていただくことになってしまった。すみません。。バス停に(江名)いわき駅前とあったので、このバス停のベンチ座っていれば乗れるだろうと思ったら、反対側の車線をバスがきて、スクっと立ち上がったが運転手と目が合うことはなく・・・。これまでの人生、徒歩と電車と車で生きてきたので、バスや特急列車といったものの機械学習が足りずうまく行かない。私は基本的に一度学んだものでおおよその勘が生まれるようになり、機械学習を積めばロボットのようにやり方を定式化していくスタイル。よって未知のものにめっぽう弱い。一般常識が足りないと言うだけなのだけど。そして人がいれば聞きに行けるのだけど、後戻りできない状況だと、連絡取れる人に泣きつくという。。いつも皆さんご迷惑をお掛けします。

失敗しても朝の海は輝いている

午前中はこれまで回ることのできていなかった、いわき市平(たいら)の重要箇所を三ヶ所巡ることができた。ブレイクはいわき駅前にある有名なカフェ。重厚感のあるクラシックなタイプと思いきや、アップテンポの流れる若者に人気のありそうなカフェ。バナナジュースとピザをいただく。

バナナジュースに目がない
ピザの写真を探したらなかった。美味しそうすぎてすぐに食べていた。
平城跡、ドライブではわからず。
遣唐使の安全を祈願する住吉神社。一説によると・・・『新復興論』をお読みください

UDOK.に戻り、午後はヘキレキ舎にてデスクワーク。新しいデスクをいただき、気分も盛り上がる。ありがとうございます! 今日は半分偶然にも、ヘキレキ舎に関わる方がフラットUDOK.に立ち寄っては帰っていく。このフラット感、いいなあ。

UDOK.の初期のプロジェクト、アートプロジェクト「オクリエ」のお話を聞くことができた。当時のプロジェクトは本や動画にも残されていた。アーカイブの大切さを感じた。理虔さんが上海にいた頃に手がけた雑誌を読むこともできた。10年前のことは短い動画だが、コチラでも見ることができる。

小名浜で有名なsonsにも行けた

色々な地名や歴史の単語がわかるようになってきた今、書物にまとめられたものを読むと臨場感が違う。ある土地で経験してから読む文章、書いた人と会ってから読む文章の方が、書かれたものが映像として立ち現れてくる気がして好きだ。

夜、美味しいラム肉を食べて、乾杯をして、いわきを振り返って、色々な話をして楽しく終えた。

その一方で、悲しいお知らせがあった。近頃会うことはなかったが、とても大切に思っていた過去に千葉で関わりのあった若い方の訃報を受け取った。いわきに来て、たくさん亡くなること、生きること、表現することを考えてきた。でも、いざ自分の知っていた人がとなると、まだ全然、全然受け止めきれなかった。自分も自分が大切に思っている人もいつかなくなる。でも、それは多分1秒後じゃないと言う仮定の連続の上で成り立つもので、そのいつかが今となるとそれはきつい。

でも毎日生きること、亡くなること、表現することを考えてきたから、本当に少しではあるが、自分の中に緩衝材が造られていたようにも思う。いつか人は死ぬ。人間は脆い。学校教育に携わるものとして子供が簡単に命を落としてしまうような危うい存在であることも知っている。それを現実のものとして受け止める。

いつか自分も死ぬ。そう思うと、死ぬまでに自分がいたことをこの世に残すことって自分のためにも家族のためにもなるのかもなあと思った。し、私の友人には生きた証を何らかの形で残してほしいなと思った。それは写真でも、動画でも、本でも、ブログでも何でもいい。何でかわからないけど。みんな、どうなのかな。母が地域で活動してきたこともアーカイブに残してあげたい。終身雇用が当たり前の時代にステップアップのための転職を厭わない父が何を考えてきたのかインタビューしたい。夫がやっていることは夫自身が何らかの形に残してくれると思うから安心している。家族も家族以外の人も、みんな大事な人。みんなの考えていたことを残しておいてほしい。

話は変わって、どう受け止めるかという話に。辛くて大きな気持ちを逃さないといけないと思った時、私にとってピアノという存在は大きい。張り詰めたものを少ししぼませてくれる。悲しみが大きい時、悲しい曲を弾くと、言語化できない部分も含めて外に出すことができる。緊張感やストレスがある時、心のベクトルが内向きになりすぎると、精神衛生上良くないと思っているので、意識して外向きに出せるように努める。きっと大切な人が亡くなるたびに私はピアノを弾くと思う。それしかできない。

奇しくも次の日はピアノの演奏会。そこで想いを表現できればいいなと思う。


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