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辛いことはやらない。疲れたら休む。それだけで変わることがある。

ここ最近、人から「助け」を求められる機会が続いている。
先の記事でも書いたが、幼馴染のご実家のお食事サポートをすることになったり、トラブルに巻き込まれた女性の付き添いや話相手を頼まれたり、精神疾患を患っている親戚からメールをもらったりしている。

今回に限らず、人の悩みの聞き役になることは10代の頃からしばしばあった。
自分の在り方に自信がなかった私は、「人の悩みを聞く」という役割の中に自分の価値を見出そうとしていた。
3時間でも4時間でも、相手の気が済むまで、自分がくたくたになるまで、相手の話を聞いた。
相手を見捨てることができないという気持ちと、自分の価値を証明したいという気持ちの両方が混在していた。

当然というべきか、そんな関係は長続きしなかった。
私が疲れ果て、相手を遠ざけるようになり、相手も失望して離れていくというパターンを繰り返した。
私が身を削って相手の話を聞こうとするのは優しさではなく弱さゆえだと分かっていた。
それでも、打ち明けられた話を拒絶することはできず、まるで条件反射のようにひたすら聞いていた。

最近、この繰り返しをやめられそうな予感がしている。
単純に、「辛いことはやめよう」と思ったからだ。
相手への思いやりとか自分の弱さとか価値とか、そんな諸々はもうどうでもいい。
辛いんだからやめる。ただそれだけをやろうと思った。

0か100か、という話ではない。
自分のゆとりを失わない程度にやる。
もっと言えば、自分が「楽しい」と思える範囲でやる。
そういう姿勢を、これまでの自分は「正しくない、間違っている」と否定してきたのだ。
おそらく自分にとっても相手にとってもベストであるその選択肢を、はなから排除してきたのだ。
やっと、気づいた。

今、求められている「助け」はどれも、それなりに時間とエネルギーを要する。
お食事サポートは現時点で2回終了したが、作って届け終えるまでに8時間近くもかかっているし、その後は疲れ果てて他のことは何もできない。
にも拘わらず、なぜか楽しいしやめたいとも思わないのだ。
(料理は嫌いでも苦手でもないが、好きでも得意でもない)
「辛いことはやらない」と決めたせいなのか、体は疲れても心は疲れていない。
その他のサポートはこれからだけれど、気が重いということもなく、むしろどんな話が聞けるのか楽しみにしているところさえある。
我ながら不思議な現象が起きていると感じる。

お食事サポートが始まる直前、急遽両親と一緒に1泊2日のドライブ旅行に行くことになった。
実家の軽自動車を買い替えたタイミングで、コロナ禍のために旅行も外出も自粛して家でおとなしくしている高齢の両親の希望もあり、私が無職の(=時間がある)間に(笑)気分転換をさせてあげたいという思いからの企画だった。

私はペーパードライバーではないが、運転は決して得意ではない。
車線変更も命がけだし、走行中はパワーウインドウもエアコンも一切いじれない。
そんな私が、今回の旅行は何としても行きたいと強く思った。

首を長くして待っていた納車日を迎え、早速お目当ての宿をチェックしたら、希望の日の希望の部屋だけがなぜか空いていた。
天気の週間予報を見たら、その日だけが晴れマークだった。

納車からわずか3日目に出発。
両親は車窓の新緑を眺め、道の駅の美味しいコロッケやパンに舌鼓を打ち、宿の素晴らしいサービスを堪能し、最後まで目一杯楽しんでくれた。
帰宅するまで傘を開くことはなかったのに、家で荷物を整理し始めたら外はすでに暴風雨となっていた。

運転と両親のアテンドによる緊張感が引かないまま、翌日はハロワ認定日のための来所、その翌日は家事代行のお仕事、さらにその翌日は前述のお食事サポートと続いた。
そこまで終えた日の夜、やっと、緊張感が引いたのが分かった。

お風呂から上がってテレビもつけずにぼんやりしていたら、意識が自分の中心にゆっくり戻っていく感じが分かった。
静かで穏やかで、雑音も異物もない、クリアな空間が自分の中に広がっている。
ああ、これでいいんだ。自分はここにいていいんだ。
ぴったりくる言葉ではない気がするけれど、そんな感じがした。
そして、なぜか、自分の周りの物事もシンプルにクリアに見えるような予感がした。

一言で言ってしまうと、単純に「疲れが取れた」ということだったのだと思う。
そのために必要な時間が、今回は約3日間だったということだ。

私は人より疲れやすく、また疲れを感じるタイミングが遅いらしい。
それに気づいたのはごく最近のことだ。
周りの人が自分より活動的で体力もあって元気に動いていても、自分はその人たちとは違う。
だから、自分が十分だと思うまで休んでいい。
そう思えるようになったら、まず気持ちが楽になった。
そうしたら、今までよりもたくさん、楽しく、活動できるようになった。

自分のタイミングで疲れを感じ、自分のタイミングで休息する。
そうするだけで、あれこれ考えなくてもちゃんと自分の中心に戻れる。
周りがよく見えるようになる。
そしてたぶん、直感がよく働くようになる。
今回のドライブ旅行の流れも、その結果だったのかなと思っている。

辛いことはやらない。
疲れたら休む。
人のサポートは楽しいと思える範囲でやる。
当たり前のことかもしれないけれど、「自分を犠牲にして尽くさなければならない」という思い込みに囚われているときには「分かっていてもできない」ことだと思う。
休んだり楽になったりすることの気持ち良さや、それによって物事がうまく回ることの体感を得ることができたとき、強固な思い込みに小さなヒビが入るかもしれない。

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