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安全に向き合うとは~日航安全啓発センターで思ったこと~

医療安全管理担当者となってからずっと気になっていた日航安全啓発センターに行くことが出来た。ちなみに、今回は土木工学に興味がある息子と行ったのだが、自分の進路でも安全を守ることの責任を感じたようであった。
 
日航安全啓発センターは羽田の新整備場から徒歩2分のところにある。
「日航の墜落事故」といえば、ある年齢以上の日本人であれば誰もが思い出す、あの1985年8月12日御巣鷹の尾根に墜落したボーイング747機の事故のことである。乗客乗員524名のうち520名が亡くなった、今でも航空機単独では最大の死者数とされている。

実際の墜落した機体の一部や、ご遺族あての直筆の手紙、当時の事故の概要などを1時間15分程度かけて丁寧に社員の方が説明してくれた。見学者は10名程度であったと思うが、皆静かに聞き入っていたように思う。
私も、実際に目にする機体の一部、乗客が乗っていたであろう破損した座席などを見て改めてこの墜落事故の衝撃、乗客の方が感じたであろう恐怖、それに対峙したご遺族の方の思いを思うと胸が締め付けられる思いだった。安易に涙を流すのは心苦しかったが、涙が出てきてしまった。
このとき私は、1人称の視点(もし私が乗客だったら)、2人称の視点(もし私の大切な人が乗客だったら)であったのだと思う。
 
ただ、私は今回説明を受けて初めて知った2.5人称の視点でこの展示を見ている時間が長かったように思う。この2.5人称の視点は、2005年にアドバイザリーグループの座長をしていた柳田国男が新提言書に記載している視点である。
※柳田邦男氏は、フランスの哲学者ジャンケレヴィッチの「死の人称性」という概念をもとに、被害者の視点に立った上で検証(事故調査や対策立案)を行うことの重要性を2.5人称の視点と言っている。
 
この視点で見ると、日航安全啓発センターの存在意義を感じるからこそ気になる点がいくつかあった。一つは見学時間に比して、説明を受ける時間が長く自分で咀嚼し、質問をする時間がなかったのだ。全工程1時間半のうち1時間15分程度が説明であったため、ご遺族の方の手紙などを目にするだけで精一杯であった。
 
また、実際に事故原因とされるボーイング社の圧力隔壁の修理ミスがわかるような展示物や事故以降、どのように改善したかという展示もあったが、メインは外観からはそのミスに気づくことができなかったことが中心であった。そもそも墜落についても諸説あるくらいだから仕方ないのであろうが、原因をしっかり追求出来ないままの展示説明となる。こんな悲惨な墜落事故があった、二度と起こしてはならないというが、では何をどうしたのかはなかなか見えなかった。様々な仕組みづくりもしていたようであるが、例えば安全啓発センターでは、大々的にとりあげていた機付き整備士も2006年には廃止(別の形で統合となっていた)となっているし、なんとなくだんだん有耶無耶になっているのでは?という部分も否めないのだ。
随分前のことであるため、ネット上でもほとんど取り上げられていないが、なんとなく東京女子医大のPICUからの撤退とかぶる印象があった。(対外的には、なんのリスクも高まりませんと言っているが、明らかに技術力が低下し長期的な視点で見ると安全が損なわれるリスクを感じるという意味で)
※機付整備士とは、事故後に当時の最高経営会議が日本航空の機材の安全性を高めるための方針として発足した制度である。飛行機ごとに担当の整備士を定めることとなっていた。
 
しかも、そもそも日航安全啓発センターが作られた経緯は、2005年頃JALグループが国土交通大臣より事業改善命令を受け、その後も安全上のトラブルが連続したことから設置された、安全アドバイザリーグループの提言によるものである。
 
JALグループ安全啓発センターは、2022年から再開しているが、まだ制限があるのかなかなか予約はとれない。ぜひ、様々な人に訪れていただきたいと思う。そして、見学した人それぞれが、自分の居場所で「安全」に向き合うことで、世の中が改善すればいいなと思う。
 
安全に携わる人、時間に余裕がある人は、この安全啓発センターが作られるきっかけとなった「日本航空安全アドバイザリーグループ」の新提言書を読んでいただければと思う。
一言に「安全」といってもそれを守るため、守り続けるためには組織の管理者がどのような意識で日々の業務に取り組むべきか考えさせられると思う。


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