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地元の生活④

事が起きたのは、美千代が中学2年生の時だった。

父の女性関係が、週刊誌にスクープされた。
父の生きる世界では、こんなことはよくある話で、法を犯したわけでもなく、モラルと家庭内の問題である。
しかし、思春期の美千代は、父への嫌悪感が募っていた。
そして、こんな時、支援者に頭を下げて回るのが母の仕事であることも、美千代の苛立ちを増幅させた。

週末、母の衆子が、地元に帰ってくる。
美千代は、空港まで母を迎えに行った。

到着口から出てくる人混みの中、母の姿を見つけるのは簡単だった。しかし、にわかに母とは信じがたい変化に、美千代は鼓動が早くなり、胸を締め付けられるような苦しさを感じた。

衆子は、美千代の姿を見つけると笑顔で手を振りながら、小走りで出てくる。
「お迎えにきてくれたの?ありがとう。」と言うと、美千代をキュッと抱きしめた。

美千代は、「ママ・・・・」と言うと、それ以上は言葉が続かず、目には涙が溢れていた。

先日、東京に向かう母の後ろ姿は、かつてのような腰までのロングヘアで、美千代が一番大好きな母の髪型だった。
しかし、今、目の前にいる母は、全体を短く刈りこんだ坊主頭で、ロングヘアの面影など微塵も感じられない。

美千代は、母が坊主になったのは父のせいだとすぐに分かった。
父の代わりに頭を下げて回るには、それ相応の反省の色を見せなくてはならないといったとこだろう。
瞳から溢れ出る涙を止めることもできず、母の胸に顔をうずめて泣き続けた。

家に向かう車の中でも、美千代は、まだ泣いていた。

衆子は、握っていた美千代の手を持ち上げると、そのまま自分の頭を触らせた。
美千代が、驚いて顔を上げると、衆子は「気持ちいいでしょ」と言って、笑って見せた。

美千代は、初めて触る母の坊主頭に、不思議な感覚を覚えた。
温かくて、頭のどこを触ってもシャリシャリとして、手のひらにあたる髪の感覚がくすぐったくもあり・・・。
しかし、大切に伸ばしていた長い髪を、こんなに短くしなくてはならなかった母の気持ちを思うと、やはり、涙が込み上げてくる。

家に着くと、荷物を置いてすぐに母は、お詫び行脚に出て行った。

一人になった美千代は、母の頭の感触を思い出していた。
母の言う通り、気持ちいいような、くすぐったいような感触を思い出しながらも、ぎゅっと胸が締め付けられるような苦しい気持ちもあった。

次の日。
学校が終わると、美千代は、家とは反対方向へ向かうバスに乗った。
中学生になり、バスで通学するようになったが、普段は寄り道することもなく真っすぐ家に帰るのだが、今日は、どうしても行きたいところがあった。

ほどなくすると、この辺りで一番大きな繁華街に着いた。
ここまで来れば、美千代が、どこの誰だかわかることもない。

美千代は、ショッピングモールの中の1軒の店に入った。

店の中央にある椅子に案内されると、何も言わなくても、首にタオルを巻かれ、体をすっぽりと覆うほど大きなケープをかけられた。
店の外では3色のサインポールが回り、美千代の左右に座っているのは、共に男性。
わざわざバスに乗りやってきたのは、床屋だった。

中学入学を機に、母の意向で髪を伸ばし始めた美千代は、いつも肩くらいの長さを保っており、2~3か月に一度、揃える程度に美容院で切ってもらっている。
母は、「もっと長くすればいいのに」と言うが、なんとなくこれ以上伸ばす気にもなれず、肩上あたりの長さをキープしている。

「どのくらい切りますか?」

理容師は、霧吹きで美千代の髪を濡らしながら、荒く髪を梳かし、聞いてきた。

昨日から、この瞬間を何十回とイメージして、淀みなく答えようと練習してきたが、いざとなると声がでなくなり、思わず詰まってしまった。
「あ、あの、坊主にしてください」

やっとの思いで言葉にすると、言えた安心感と坊主になるんだという現実感に心が激しく揺れ動いた。

理容師が手を止め、呆れたような困ったような顔で言う。
「お嬢ちゃん、中学生でしょ。中学生の女の子が坊主になんてしたらダメだよ。短めのおかっぱくらいにしときなよ。」

美千代も美千代で、ここまできて止めたくなく、
「大切な試合で負けてしまって、監督から、気合を入れるために坊主にして来いと言われていて…だから、お願いします」
なんて、大嘘ついてみた。
野球部男子のセリフをそのままお借りしたが、理容師は、信じたのか信じていないのかわからないが、「お父さんとお母さんは良いて言った?途中で泣いたりしない?」と散々確認しながら、ガチャガチャとバリカンを準備し始めた。

美千代の鼓動は、どんどん早くなっていったが、不思議と悲しい気持ちはなかった。
「ママと一緒にしたい」その気持ちだけが、美千代を突き動かしていた。

理容師は、美千代の前髪を櫛で持ち上げると、おでこのど真ん中からバリカンを入れてきた。
いきなり入れられたバリカンに、美千代は「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げたが、バリカンの大きな音とバサバサと髪が落ちて行く音にかき消された。
理容師は、あんなに渋っていたとは思えないほど躊躇なく、刈り進めていく。アッとう間に、青々とした刈り跡が広がり、耳回りや襟足からも刈られると、つるんとした坊主頭の美千代が鏡に映った。

「顔剃りは?」と聞かれ、慌てて首を横に振ると、ケープを外され、セーラー服に坊主頭の自分の姿が鏡に映る。
支払いをして、店の外に出ると人の目が気になり、カバンからパーカーを出して羽織りフードをかぶると、人通りの少ない通路へと走った。

誰もいない階段の端っこで、そっとフードを取って、自分の頭を触ってみる。
ザリザリとしていて、温かさは一緒だが、母の頭を触った時とは明らかに手触りが違う。
それに、鏡で見た感じも、青々としていて母の頭とはまるで違った。

それもそのはず。
衆子の髪は、美容院でハサミで切ってもらっていて、短く刈り込んでいることに違いはないが、長短がつけられたデザイン性のあるものだった。
それに引き換え、美千代の頭は、床屋でバリカンで短く刈られた、高校球児のような坊主頭だった。

美千代は、自分の頭を見ては「ダッさ」と口にせずにはいられなかったが、なんとなく気持ちは晴れていて、満足して家へと急いだ。

母は、帰ってきていない前提で玄関を開けると、母の靴が揃えてある。
美千代は、急に悪いことをしたような気持ちになり、こっそり自分の部屋に上がって行こうとしたが、あっけなく衆子に見つかってしまった。

「おかえりなさ・・・・・・・・何してるの!」
美千代の坊主頭を見た衆子は、思わず大声を上げた。
見つかってしまったものは仕方ない。それに、いつまでも隠しておけるわけもないし。
美千代は、「私も坊主にしちゃった。ママみたいにカッコよくなれなかったけど」と言って、頭を触って見せた。

まるで、昨日の美千代のように、今度は衆子が泣き崩れた。
「女の子が、そんな坊主になんかしちゃって・・・・」と、母の涙は止まることを知らない。
「ママだって、女の子なのに坊主にしなくちゃいけないなんておかしいよ!だから、私も一緒に坊主にしたかったし、ママと一緒だから、私は、全然悲しくないし・・・、ママだけが辛いのは嫌だから・・・」と言っているうちに、美千代も涙が溢れてきた。
泣きながらも必死に訴えてくる美千代を、衆子はギュッと抱きしめた。

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