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イエローストーン・ベアーストーリー【海を越えた家族愛の物語】

子供の頃に読んだ本で、時が過ぎても心に残っているストーリーと言うのが誰にでも一つや二つはあるだろう。何かの拍子にふっと思い出して、懐かしい気分に浸るような。シートン動物記シリーズの1巻、オオカミ王ロボ。2巻、灰色熊ワーブの冒険は私にとってのそんなストーリーだ。

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若い頃から登山をし、朝のランニングが日課。自然写真を撮るのが趣味という、今で言うアウトドア派の父親が全巻そろえてくれた。何度も読み返したのを良く覚えている。子供のころは頻繁に山に連れて行ってもらった。大きなザックを背負い、小さな子供にはかなりきつい冬山や、日本アルプスにも足を運んだ。小学校の高学年、中学と成長するにつれて、一緒に出掛ける事はなくなった。そして中学卒業まぢかに両親が離婚。その後、私と父親との関係はほぼ途絶えた。

そして10数年の歳月が過ぎた。メキシコで結婚をし二児の父となり、忙しく暮らしていたある日。日本から小包が届いた。重い箱を居間に運び興味津々で開けた。そして目にしたのは、子供のころに読んでボロボロになったシートン動物記。そこには、手紙が添えてあるわけでもなく、数冊の読み古した本が入っているだけだった。

顔を合わせる機会こそ無かったが、父親なりに異国の地にいる息子と孫たちに思いを馳せ、言葉なきメッセージとしてこの本を送ってきたに違いない。古びた本を通して遥かメキシコまで送られた思いは、言葉なくしても痛いほど伝わってきた。その思いを受け取るべく、黄ばんだ本のページを破らないように、幼い時の記憶を遡るかの如く表紙を開いた。

勿論、最初に手に取ったのは、大のお気に入りだった灰色熊ワーブ。舞台は、アメリカ北西部のロッキー山脈。幼い頃に母親と兄弟をハンターに撃たれて亡くした、実在したと言われるグリズリーベアー・ワーブの一生を描く物語。ひ弱で、やられっぱなしだった小熊が、時と共に逞しく育ち、山の主のような存在となる。やがて歳老いて、死の谷へ・・・というストーリ。

ワイオミング州の北西部に位置するイエローストーン国立公園。そこがワーブが闊歩した野生動物の王国である。

それから数年経ったある日。家族で訪れたイエローストンで傷ついたグリズリーベアーに遭遇した。その姿はまさにワーブそのもの。真近でグリズリーを見た興奮と同時に、昔懐かしいストーリーが脳裏に蘇るとても神秘的な経験だった。

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(イエローストーンの至る所にあるガイザー。水温によって異なったバクテリアと藻が生息し美しいグラデーションを作り出す)

早起きして朝食前にランニングで辺りを探索するのは、私の旅行中の楽しみの一つ。特に国立公園内での宿泊の際には、未だ薄暗い時間に出かけ、朝靄にかすむ大自然を堪能し、日の出を拝んでからでないと一日は始まらない。早朝は動物たちが眠りから覚めて、空腹を満たすべく活発に動き始める時間。いつものように就寝前にシューズなどを取り出し翌朝の準備をしていると、家族の猛反対にあった。

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(お一人様で朝食にありつくバイソン)

と言うのも、宿泊中のロッジはイエローストーンの中でも、最もグリズリーが頻繁に出没すると言われる場所にある。夕刻には三脚にカメラを固定してクマの出現を気長に待つ写真家を沢山見かけた。敢えてこの地を選んだのは私。当然、用意周到だ。グリズリー対策用の大型のペッパースプレーを取り出し、「これがあるから大丈夫」と強引に家族を説き伏せようとしたが・・・。結果は3対2で私の負け。

話は逸れるが、この3対2の背景を説明しよう。私の家族は、私、妻、娘、息子の4人構成となっている。重要な物事を決める時は民主主義を重んじ、多数決を取ることにしている。然し、困ったことに4人家族なので2対2の引き分けがある。苦肉の策、と言うか私が勝手に作ったルールが、家長二票制度。よって、私は二票を有している。その結果がグリズリー反対票3、賛成票2。私の無残な敗北だ。悔しいが家長たるもの、定められたルールは守らなければならない。朝ランは無しとなった。

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(朝もやに霞むイエローストーンリバー)

楽しみにしていたイエローストーン大自然モーニングラン。民主主義のいたずらで中止に追い込まれた。然し、早朝動物探しツアーは絶対譲れない。ここは、何とか家長の意地を見せて押し切った。翌朝、未だ暗い時間。眠い目をこする家族をパジャマのまま車に乗せて川沿いのルートへと向かった。

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薄暗い周囲に目を凝らすと、餌を食んでいるエルクが方々に見える。朝靄の川を眺めながらのノロノロ運転で走ること約10分。前方に黒い塊が・・・

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(突如、目の前に現れた黒い塊)

車を徐行させゆっくりと黒い塊に近づく。まったく怯む様子はない。息遣いが聞こえる距離まで近づいた。黒い塊は未だ若いグリズリーベアーだ。幾度となく熊に遭遇しているが、これ程の至近距離は初めてだ。おとなしそうに見える。然し、鋭利な爪と顔の傷がそれが仮の姿であることを物語っている。

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(グリズリー特有の巨大な爪が際立つ)

厚い毛皮が抉り取られ、その下の赤い部分が生々しく露出している。恐らく、他の熊との格闘に因るものだろう。傷を通して野生動物の荒々しい一面が窺がえる。戦いに敗れ独りさすらう若い熊。その姿はまさに灰色熊ワーブそのものだ。

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(どことなく悲しそうな表情をしている)

私たち好奇の眼差しを気にする様子もなく、車と並んで歩を進めるワーブ。数分の後、道から外れ、川沿いの斜面へと移動した。間もなく、その姿は深い霧に包まれ、やがて白く霞む背景の一部となった。

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(道を外れて川沿いの斜面を歩くワーブ)

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その後、柳の下の二匹目のドジョウならぬ、イエローストーン・リバー沿いの二頭目のグリズリーを求め暫く周囲を探索したが、その間も家族の興奮が冷めることは無かった。

やがて落ち着きを取り戻した子供たち。グリズリーの生息地をランニングすると言い張っていた無謀な父を咎める様な視線を私に向け、「だから言ったでしょ~、一人で走りに行ってたら、あの熊に食べられちゃってたかもしれないよ~」と、耳の痛い一言。それを横目で見ながら頷く家内。

実際には、子供たちとの会話はスペイン語なので、「Ya ves ? Te habría comido el oso」という感じ。

全くもって言い訳の余地もない。家長の威厳を危機に晒す羽目となった。それに増して、一歩間違えたら、あの巨大な爪で強烈なフックを食らうところだった・・・

さすがに今回ばかりは分別ある家族、そして民主主義に心から感謝せざるを得ない。

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シートン動物記ついででオオカミの話しを少し。赤ずきんちゃんを初め、昔話に登場するオオカミはいつも悪者だ。アメリカでもかつては、オオカミは家畜を襲う害獣として駆除され、絶滅の危機にあった。肉食獣の減少により大繁殖したのはエルクなど大型のシカ科の動物だ。1930年台には、増えすぎた草食動物による生態系への影響が問題視され始めていた。しかし、アメリカ政府が行動を起こしたのは半世紀以上経ってからだ。

1995年1月12日、カナダのジャスパー国立公園から、8頭のグレイ・ウルフが持ち込まれた。翌年までに31頭のオオカミがイエローストーンの地に放たれ、その後も「甦れ狼プロジェクト」(私が勝手につけた名前)は続いた。四半世紀を経た今、カナダから移り住んだグレイ・ウルフの子孫たちは、ワイオミング周辺の3州を中心に千数百頭まで増え、この地の生態系の一部となっている。自然のバランスを取り戻しつつあるこの地は、花や植物は勿論のこと、小鳥を初め、鷹、キツネ、ビーバーなど様々な動植物に生命の営みの場を提供している。


ワンポイント・アドバイス

その後、14年間住んだメキシコを離れ、数年前からロサンゼルス郊外にすんでいる。アメリカ西部の国立公園へは頻繫に行くが、熊を見かける事は多い。幸い、これまで怖い思いをした事はないが、機会をみては雑誌やインターネットでベアーアタックについての情報を得るようにしている。さて対策はと言うと、熊の種類によって異なるのが悩みの種だ。グリズリーベアーとの遭遇で一番大切なのは、走って逃げない事。近づいてきたら後頭部を庇い地面に伏せる。万が一、小突き回されても死んだ振りをする。

その一方でブラックベアーはと言うと、大きな音を立てて脅かしたり、両手を上げて自分を大きく見せる。それでも襲って来たら石でも棒でも使って戦う事とある。全く正反対の対策。ということは、まずは襲ってきた熊がグリズリーベアーかブラックベアーかを見極める必要があるということ。

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(ヨセミテで遭遇したブラックベアー。体は薄茶色で巨大。さらにかなり怖い顔をしている。これと戦って勝てる見込みはきわめて低い。騒いで逃げてくれることを祈るのみ)

一般的にはグリズリーベアーは茶色、ブラックベアーは黒と思われがだが、多くのブラックベアーは茶色だ。グリズリーベアーは肩に筋肉が盛り上がった瘤があるとか、耳が丸いとか、爪が長いとか、見分け方は色々あるようだ。然し、森の中で熊に遭遇してパニクッている時に、「背中の瘤はあるかなぁ?さぁて、耳はどんな形かな?」と冷静に観察するのは至難の業だ。熊の識別はさておき、双方に共通することはペッパースプレーが役に立つということ。

私自身も熊に遭遇しそうなエリアでのランニングや、人気のないトレイルに立ち入る時にはペッパースプレーを携行するようにしている。合わせてクマ除けの鈴を使う事もある。アメリカ最高峰への単独チャレンジの時も夜道では鈴が響いていた。⤵どうぞ。

アメリカ大陸でグリズリーベアーが生息している地域は、アラスカ、カナダと北西部の州に限られている。よって、例えばカリフォルニアで熊を見かけたらブラックベアーと思ってほぼ間違いなく、大声を上げて叫ぶのが賢い対策という事になる。その上で、万が一グリズリーベアーが遥か遠くの州から、偶々遊びに来ていたと言う事であれば、運が悪かったと思って諦めるしかない。

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(射程距離は10m程度。ある程度近くまで来るのを待って噴射。効果のほどは? 知らないで済むなら、それに越したことはない)

By Nick D


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