昨今のアレ

こんにちは。暇人です。

タイトルがふわふわしすぎて一体なんだ?というお話ですが、
AIの画像生成について言いたいことというか、まとめておきたいことがあるので、書いておきます。

私自身は、AIによる画像生成を、二元的な捉え方というか、単純な善悪で決めつけるつもりもなければ、賛成か反対か、そうでないヤツは中途半端な人間だみたいな、不毛な論争の中に居たくありませんので、中立という立場も取るつもりはありません(客観的に見れば中立的なのかもしれませんが)。慎重派である、とだけ述べておきます。

拙文なうえに、読む価値もなければ、あくまでも個人の意見に過ぎない部分も多々ありますので、他の方との議論も一切望みませんが、書いておきます。

①画像生成そのものが悪なのか
②絵を描くことの本質とは
というテーマを設けたつもりですが、とっ散らかってると思います。

まず、「①画像生成そのものが悪なのか」ということに関してです。
利便性という視点から、少しみてみます。

デジタルツールでは、色彩を瞬時に変えられたり、変形ツールを用いて自由に修正をすることができます。
対して、アナログで筆を取るとなると、絵の具やら、キャンパスやらを買い揃える移動時間や、お金がかかりますし、色を置いて絵を完成させてしまうと、光や空気に晒されない限り、ずっとそのままです。
寒色にするつもりが、少し温もりを感じる色相になってしまった!といったミスを修復するのも、大変でしょう。

もし、昔の画家が、デジタルツールの存在を知ってしまったら、AIを批判するのと同じように、なんて卑怯な手段だと、怒りをぶつけるような意見もあるのかもしれません。
あくまでも想像ですし、その技術を早速取り入れようとする画家もいるはずですが。

画家にどう思われようがというのは、関係ないといえばそうなんですが、客観的に見ると、我々がふだん生活している中で、AIや最新技術による利便性というのを、(よっぽど山奥でインターネット環境も断って生活してるだとかではない限り)、なにかしらの形で受け取っているのは事実といっても過言ではないでしょう。

また、こういった技術の発展によって、次世代のイラストレーターの教育に役立ちますし、今迄イラストを描くことに抵抗感や苦手意識を持っていた人、衰えを感じてイラストを描くのをやめてしまった人たちが、(再び)絵を描くきっかけになるかもしれません。
ですので、やみくもに叩きつぶしてしまおう、という考え方は、早計ではないでしょうか。

ではなぜ、AIによる画像生成を悪と捉えるのか。
心理学的にどうであるとか、そういったことは専門家でもなんでもないので言えませんが、未知のものに対する恐怖心だとか、そういった部分から、怒りの感情が生まれるのもあるかと思います。
また、急激な技術の発展で、自分自身のアイデンティティが潰えたり、努力して得たものが水の泡になってしまうのではないか、AIに仕事が奪われてしまうのではないか、という不安から来た怒りというのもあるのかもしれません。

しかし、画像生成問題の本質というか、批難すべきものは、AIによる画像生成そのものではなくて、それを用いて「不当な利益を得る」ことではないでしょうか。

実際に私も、自分のイラストが、AIの学習に使われている画像のまとめサイトに無断転載され、またそれによって管理者などが収益を得ているということを知ったときに、ブチ○すぞてめえケツ穴50cm拡げたろかと思ってしまいました。
個人利用とみなせるものや、私に何かしらの害がない限りの無断転載は許しているんですが、不当な利益を得ることは許していないので、激おこプンプン丸ムカ着火インフェルノ・改になりました(実用化しているであろう、意識高い系の年商と年収の違いわかってなさそうな自称クリエイターとか、中華圏の量産型クソスマホゲーメーカーとか、凄まじく嫌いなので余計に)

そういった意味では、私も画像生成に反対であります。
不当な利益を得たり、絵描きを煽りたいがために画像生成する人間が存在していたりすることが問題である、つまり、人間側に問題があるという事実には揺るぎないのかなと思うところです。

そのような、悪いことをしているという自覚を持ちながら、開き直って悪事を働く人間がいなくなる社会にしようだとか、そういった人間を受け入れる場所が必要かもしれない、というのは、趣旨が変わるので置いておきます。

次に、②絵を描くことの本質とは……なんて身の程知らずで大層なこと書いてありますが、述べておきます。

ふだんは絵描きではなく、作編曲をしているので、音関係の話題を。
サンプリング音源という概念が、音楽業界に誕生したときに「こんなものができてしまったら、演奏家の仕事がなくなってしまうではないか」という批判があったそうです。そのような記事を、どこかで拝読しました。
そのサンプリング音源というのが、ビートルズの楽曲でも使われていた「メロトロン」のことだそうですが、時代を経て、優秀なサンプリング音源がたくさん登場したにも関わらず、結果として、演奏家の仕事が減らなかったことなど言うまでもありません。
それに今でも、当たり前のようにコンクールなども開かれ、むしろサンプリング音源よりも生演奏を録ったほうがいい音源ができる、という考えをもつアーティストも多くなりました。録音用のマイクも、新しい機種もどんどん出ていますし、新規参入のメーカーもここ数年でそこそこ増えた気がします。

DTMという概念というか技術というか、それらの発展によって、演奏家や楽器を用意する手間だけではなく、楽譜を書く手間や時間というのも当然省けたわけです。
ですが、楽譜を読み書きできることは、世界の共通言語であるのと、電気を必要としないので、音楽をするうえで非常に大切です。
そして、生で演奏したほうが、偶発的な音が出て面白かったり、非常に繊細な表現が直感でできたりと、サンプリング音源だけでは得られないものがあります(打ち込みの手間も省ける)。

AIによる自動生成というものが、無論、音楽の世界にもあるのですが、それによって生成された曲が、仮に「よい曲」だと思えても、面白くないなぁ、と思ってしまうのが個人的な感想です。
あくまでも、AIによって生成されたものは「理論に基づく」か、もしくは「人間がAIに学習をさせ、イエス or ノーを選択した結果できた『よいもの』」に過ぎず、そこに感情やアイデアというものは存在しません。

厳しい意見になるんですが、逆に言ってしまえば、ヒット曲のコード進行集みたいなのを参考にして、AメロだのBメロだのサビだのと定め、ヒット曲のメロディはこういったメロディラインだ!トレンドはこうだ!というのをなぞるのは、AIにプロンプトを入力しているのと、やってることにほとんど変わりはありません。

絵に置き換えていえば、いわゆる「うまい絵」でキャラクターが立っているだけのイラストをひたすら描くだけでは、今はメシ食えても、今後はダメでしょうとはっきり述べておきます。
それらを描きたい!という意志を全否定するわけではなく(むしろ描いてください)、メシを食いたいという前提があるならば、技術的なことばかりではなく、情操やアイデア、哲学や自身の経験といった部分に目を向けるべきだ、ということです。

どっかの美大生のコラムで拝読したんですが、「お前たち(生徒)よりも、ときどきテレビに出てくるような、天才4歳児のほうが、はっきり言って絵がうまい。だけど、その4歳児は、お前たちと同じ人生を歩むことはないし、同じ感性を持つこともない」というような言葉があったような気がします。
私も同感で、うまいイラストを描くこと、ウケる曲を作ることばかり考えてしまっては、目指すゴールがだいたい同じなので、AIに食われるどころか、後発の人に食われると思います。
ピカソだって、子供の頃のうまい絵、写実的な作品を捨てて、アフリカの彫刻に影響されただとかいって、キュビズムという概念を生み出したはずです。
ピカソみたいなのをやれ!って主張したいわけではないですが。

創作というのは、自己表現であって、他人と比較して劣っているだとか優れているだとか、結果がすべてだというのは、本来別な問題のはずです。それをやりたいならば、スポーツ選手にでもなったほうが、いい人生になるかと思います。
ただ、矛盾するようですが、たとえばコンクールなどで、この人に勝ちたい!10000ファボ欲しい!5000兆円ほしい!という意志や願望を持って望むことは全く問題ありませんし、人として健全なことかと思います。
しかし、それらは自己表現という主体に付随する要素でしかなく、また時代によっては価値が逆転してしまうかもしれないというか、相対的な価値観に過ぎないので、その評価に依存してしまってはいけない、ということは、はっきりとお伝えしたいところです。
「みんな間違ってる!J-POPはクソだ!俺はすごいから、俺の曲を聞け!」というのも違う気はしますが。

仮にAIが規制されようとも、我々も人間なので、今迄どおり(?)他人への嫉妬というか軋轢というか、創作がうまくいかないだとかの悩みがあるかもしれません。
しかし、音楽は贅沢だといわれ法で禁止されている人たち、食料もなくて明日死ぬかもしれないという人たちがいる中で、創作の悩みなんぞ非常に贅沢な悩みだと、専門生のときの先生に言われ、たしかになぁと気づきました。

AIもしくは他人に勝つか負けるか、という考え方を絶対視するのではなく、自己表現ができているか、結果だけでなくプロセスも楽しめているか、ということが、今の時代、非常に大事かと思います。綺麗事ですが。
創作のはなしだけではなく、工業製品なんかでも、人間に代わってロボットが働くことができるような今でも、手作りにこだわっているメーカー、半自動のメーカー、ほぼ全自動のメーカーなど、さまざまです。
どういう結果になろうとも、何千年も続いてきたであろう、モノを作ることの愉しみや価値を、人間様が忘れるはずないので、必要以上に不安になるというか、気にすることはないかと思います。

ここまで言っておいてなんですが、最後にひとつ言いたいことがあります。

人のモノ勝手に使ってカネ儲けしたヤツ
全財産オレによこせや

おわり


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