その少年に声をかけたのは、なぜだかわからない。いつも道路でバットを振っていた。投球フォームの練習をしていた…。
好きって、こういうことなんだと、その子を見るたびに感じていた。あの背中にいた男の子…。

その男の子とは、長男を連れていった児童館で会った。白髪のおばあちゃんに背負われたその男の子とは、週に何度も会った。

実家が遠く離れた場所にある私は、子育てを頼る人がいなかった。同居していた義父母はいたが、遊びにいきたいとか、疲れたなんて理由で子どもを預けるなんてできなかった。
児童館で知りあったママ友に話を聞いても、
実家に行っては、羽を伸ばしたりしている。

この男の子の親も…おばあちゃんに預けて、自分は働いていられる。いいよなぁ…私も働きたいけど、無理だよ…保育園は100人待ち。働き口さえ探しにいけやしない。行くところもない私は、毎日毎日、児童館に通っていた。

その男の子の家は、私の自宅と児童館の通り道にあった。おばあちゃんにおんぶされていたその子は、歩けるようになり、オモチャのバットを振り始めた。小学生になり、リトルリーグのユニフォーム姿でバットを振る。最寄り駅への通り道でもあるので、その子が大きくなる姿をずっと見てきた。中学生になり、名前が大きく入ったユニフォームでバットを振る。朝も、夕方も、通るたびにその子はそこにいた。

私はこんな子の親になりたかった。
何か１つのものに打ち込んでいて、家族ぐるみで応援する。「いやー、うちの子なんて、運動しかやらなくて…」なんて言ってみたかった。
ご両親は共働きで、立派なお家があって、おばあちゃんが子育ても全面サポートしてくれる。
もちろん、表向きの姿しかわからないけど、私の理想がそこにあった。

しばらく、そう、何年かぶりに、その子にあった。いや、その子…もう立派な男性になっていたその男の子の姿を久しぶりに見た。
2月の午後6時過ぎ、真っ暗になった道路で、タオルを投げて、投球練習をしていた。

「あの子だ…」と思ったとき、向こうから自転車で通りすぎた女性が「頑張ってるねー、気をつけて」と声をかけた。「はいっ！ありがとうございます」男の子は笑顔で返す。

その瞬間、私も声をかけていた。
「あの…小さいときから、ずっとここでバット振ってましたよね？いつもおばあちゃんが面倒みてて…」

「はい！そうです！」
男の子は満面の笑みで答えた。

「今も野球をやってるんだね、高校生？」
「そうです！横浜高校で野球やってます！」
「横浜高校か、すごいね！頑張って」

あの男の子は、野球の強豪校で野球を続けていた。横浜高校といえば、松坂大輔選手や筒香嘉智選手を輩出した、野球の名門だ。
私の住む地域から通える距離じゃない。野球をするために選んだのだろう。だから、最近見かけなかったんだ…。
頑張って…と言いながら、泣き出したおばちゃんを、不振がろうともせず「はいっ！頑張ります」と言って、顔をくしゃくしゃにして笑った。

この涙はなんだったのか…。
遠くからいつも見ていた男の子は、会いたくてずっと探していた、恋人みたいな感じがした。

しばらく沸き上がる涙を止めることができなかった。なんだか…よその子どもとか、自分の子どもとか、そういうのも本当はないんだよなぁ…。

誰にも頼ることができなくて、ちっとも楽しめなかった子育てだけど、子どもたちも大人になり、今は自分の好きなことをして過ごせるようになった。あの頃の疲れてて、気負いばかりだった自分はもういない。自分を殺して、他者のためだけに生きる…私には期間限定だったから、なんとか越えられたようなものだ。

天職ってなんなのか、いまだにわからないけれど、この男の子みたいに、四六時中やってること…これがきっと天職なんだろうな。
そうすると、私の天職は……今やっていることと違うのかもしれない。