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昔、私はアスペだった

私は大学生。将来のために教職を取っている。

教職課程の授業はこれまで自分が受けてきた教育と照らし合わせたり、高校までのクラス内の人間関係や友達に当てはめたりと過去を振り返りながら勉強ができる。とてもおもしろい。

しかし、発達障害について学んでいるとき、「おっとこれは……?」があるある。まさに私の保育所、小学校時代!な特徴があった。

今日は私がどんな子どもだったのか、その後の変化、今の生活、アスペルガーについてどう思うかを書く。

私の子供時代

今振り返れば私はとてつもなくめんどくさい子どもだった。
6歳ごろ、病院に寄ってから保育所に行く日があった。普段なら朝、玄関まで親が送り先生が迎えてくれて人がまばらなホールを通りクラスメートがいる教室に入る。しかしその時は誰もいないホールを通りもうみんなが活動を始めている教室に入らなければならなかった。
しかし私は教室の前でどうすれば良いのかわからなかった。このことは鮮明に記憶に残っている。教室の中で先生と友達が絵を描いている。誰も私には気が付かない。どう入れば良いのだろうか。いつもは開いているドアが閉じられている。先生は私の方を見ていない。じっと私は固まっていた。自分でドアを開ければ良いのに、違うクラスの先生が気が付いて開けてくれるまで私はそこに立ってずっと待っていた。

小学校では「話し合い」がとても好きだった。自分以外の人が自分と違う意見を持っていたらそれを徹底的に否定する。自分が一番上で正しく、他の人は全員正しくないと思っていた。自分が白で相手が黒。今学期のクラスの目標とか、どんな係を作るか、とか様々な場面で異論を持つ人を叩きのめそうと必死になっていた。私の意見が認められないとすごく不機嫌だったし悲観的になっていた。他人と自分の意見をすりあわせたり、相手を尊重したりすることができなかった。

給食でデザートが残った時のこと。配膳用のスプーン一杯分はおかわりしたい人みんながもらえそうだったためとりあえず一人ひとすくい、になった。しかしあるクラスメートが一杯すくった後、少し追加した。私はそれが許せなかった。「自分の一杯が人より少なかったから」と彼は言い訳したが私はそれを理解できなかった。スプーン一杯は一杯で、彼の取った量が少ないなど関係ない。一杯であることが条件なのだから彼が行ったのはズルだと感じた。しょうがないな、とかだめだよ~という言葉ですませられなかった。大声でクラス全員に聞こえるように彼の悪行を責めた。

私のこういう対人関係やコミュニケーション、自分中心な行動は中学校に入学するまで続いた。

どうして中学からそれがなくなったのかはわからない。落ち着いてきたのかもしれないし、もしかしたらどこかでちょこちょこアスペっぽい行動をしてしまっていたのかもしれない。

自分でもこんな子どもいたら先生苦労するだろうな、と本当に思う。でもあのころの私はそういう考えや感じ方しかできなかった。こう他人は思うんだよ、と諭されてもさらに逆上したり「なんで私の思いを汲み取ってくれないの」と思っていた。

人とうまく付き合えなくて、でも自分が譲ることなんてありえなくて、絶対に許せなくて、いつも気を張って生きているような。

自分でも言葉にはならない「生きにくさ」を感じていて、でもどういう理由なのかはわからない。苦しい、自暴自棄になりそう、常に半分怒りながら生きている感じ。

こうしなさいああしなさい、あれはだめって律せられるとどんどんわからなくなってきて、友達も作れない。「私が私が」って必死になっちゃう。

そういうぐるぐるした、もやもやした場所にいる子がちょうど私でした。


今日はここまで!書いているとあれもこれもと思い出して長くなっちゃうので何本かに分けることにします。


ちょろい女子大生の川添理来です。