現実は、その多くを想像に委ねている(ジョン・レノン)
突然だが、自分が好きな言葉について書こうと思う。思いつくままに書いて、いくつか溜まったらまとめのページを作ってみるのもいいかもしれない。
「ジョン・レノン」「想像」と言えば、この曲。この記事はちょうど「Imagine」一曲分の長さです。(たぶん)
Reality leaves a lot to the imagination. ――John Lennon
物語を書くうえで、私の心の拠り所となっている言葉。でっかくプリントアウトして部屋の壁に貼ってあるくらいだ。(これは、私が記事の中で所構わず突っ込んでくるくだらない冗談の類ではない。実話だ)
ジョン・レノンの言葉には好きなものが多くあるのだが、この言葉はその中でも最も「わかるようでわからない言葉」だと思う。なので、ここでは「現実」と「想像」の相関関係について、私なりの解釈について話したいと思う。相関関係とか言うと難しいので、わかりやすく言うなら「大福か、おはぎ」かということだ。もしくは「ショートケーキか、ロールケーキか」。それでもわからなければ、「握り寿司か、巻き寿司か」……もう、やめよう。比喩が下手すぎるからではない。おなかが空くからだ。
一般的な「想像」とは
あらゆる人間の活動において、「いま目の前にない物・事を想像する」ことは欠かせない。医者が病気の原因を特定しようとする時、サッカー選手が味方にパスを出す時、サラリーマンが上司に見せる報告書を作成する時。「もしかしたら、あの病気なのではないか」「味方の選手はここに駆け込んでくるはずだ」「上司はきっとここを知りたいはずだ」 そうやって、まだ誰も見ていないこと、知らないことを想像する。
だが、これらの活動における想像は、あくまで「現実的な可能性」を探る「手段」にすぎない。
手術中に「私がここでメスを体内に置き忘れたら」なんて想像する外科医に命を預けたくはないし、「新しく就任する監督がジダンだったら」なんて期待するサッカー部は永遠に強くなれない。もちろん、「報告書を読んだ上司は『よし、あとは俺に任せておけ』と言い残し、颯爽と役員会が行われている会議室へと消えていった」なんて池井戸潤の小説みたいなことがメタ表現を使って書かれた報告書を見せたところで、上司は「面白いじゃないか! ぜひ続編も書いてくれないか!?」なんてことは言わない、絶対に。
「病気を特定する」「試合に勝つ」「適切な報告をする」という目的を達成するための「手段」として想像力を働かせるのだから、「現実の可能性」から大きく離れてしまってはいけない。
創作における「想像」とは
創作における「想像」は大きく異なる。作家は物語を書くために想像するのではない。音楽家は作曲するために想像するのではない。画家は絵を描くために想像するのではない。逆だ。「物語を書く」「曲を作る」「絵を描く」というのは、すべて想像したものを具現化するための「手段」でしかない。白いキャンパスに筆で色を塗ることは、あなたの頭の中の想像を具現化する作業なのだ。
創作における「想像」の興味深いところは、それを具現化した途端に「現実」になるというところではないかと思う。作家が想像した物語を小説にして発表した瞬間に、それは然るべきタイトルが付けられた「小説」として現実に存在することになる。
あなたが想像力をふんだんに発揮して作成した報告書はファイリングされてキャビネットの中に残るが、あなたがふんだんに発揮した想像力そのものはあなたの記憶にしか残らない。
私が小説を書くことが好きな理由、創作を止められない理由は、「想像の世界を現実にする」という作業に計り知れない魅力を感じるからなのかもしれない。
「想像」は我々が生きる「現実」のどこにあるのか
記事としては、さっきの「計り知れない魅力」云々でそこそこ纏まっている気はするのだが、どうしても最後に言いたいことがある。大したことではない。「最後にひとつだけいいですか?」と終了間際に手を上げる奴は、だいたい大したことを言わない。そもそも、みんなもう終わった気分でいるし、パソコンやメモ帳も閉じてしまっているから、記憶にも記録にも残らない。それでも懲りずに手を上げる奴は必ずいる。いまの私のように。
先に述べたように、「一般的な想像」をする人たちにとって、想像は「手段」でしかない。目的があっての手段、現実があっての想像だ。想像は現実の一部とも言える。例えるなら、現実世界は「地球」で想像は「行ったことのない国」だ。
だが、創作をする者にとってはこれが逆になる。想像が「目的」なのだ。想像があっての現実。現実が想像の一部なのだ。現実世界が「地球」なら、想像は「宇宙」だ。
私はそういう感覚があるのだが、ほかの創作家のみなさんはどうだろうか。
Reality leaves a lot to the imagination. ――John Lennon
「現実は、その多くを想像に委ねている」
ジョンのこの言葉は、想像は現実を生きる我々の中に宿るものでありながら、同時に我々の生きる現実の外にあるものであることを示している気がしてならない。
この「現実」に対する「想像」の位置づけの違いによって、私は現実的な問題に直面することが多々あるのだが、その話をここですると長くなるし、ジョン・レノンは私の苦悩など知ったこっちゃないので、また別のところで述べることにする。
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